下克上

「……益氏様、それは……誠ですか?」


「こんな事で儂が嘘を言ったとしてもどうしようもあるまい。とにかく命だけは取るな。それがお主のためになる」


「分かりました」


 戦国時代は乱世だ下克上だと言われるが、思った以上に身分制度が根付いている。家格と言えば良いだろうか。武家が血筋を誇り家の存続に拘るのもこれが背景になるのではないか。


 安芸家は内向きには壬申じんしんの乱で土佐に流された蘇我 赤兄そがのあかえの後裔という事になってはいるが、眉唾も良い所だ。海産物の売買が生業の家には似合わない肩書きである。幾ら土佐が流刑の地であったとは言え、いや流刑地だからこそ、そう簡単に貴種の血筋は残り続けられないと考えていた。世の中、そう都合良くはいかない。


 だからこそ土佐国内の貴種と言えば、絶賛当主保護中の遠州細川家や西の一大勢力である公家五摂家の一つ一条いちじょう家、後は吾川あがわ郡の吉良きら家辺りだろう。他は大なり小なり大した事はないと思っていたのだが……ここに来て身近にとんでもない家があったと思い知らされる。それが香宗我部家であった。


 この顛末の切っ掛けは、香宗我部家の和睦という名の降伏の申し入れである。


 個人的には兵糧攻めにもう少し耐えて欲しかったが、このまま秋を迎えられる状態ではなかったと推察する。使者は弱みを見せまいと気を張っていたが目の下の隈までは隠せない。もっとも例え秋を迎えた所で、収穫もできない現状では何かが好転する訳ではないのが和睦の大きな理由だろう。


 そしてここからが問題となるのだが、いざ香宗我部家が「降伏する」と言った所で「はいそうですか」と軽い気持ちで受け入れられない事だ。抗争中の両家が争いを止めるとなれば、それ相応の条件を決める必要がある。幾ら俺が安芸家の当主とは言え全てを独断で決められないのが世の常。家臣達を交えて皆が納得できる条件を協議しなければならなかった。


 安芸城の評定の間。何故だか分からないがそこに有力家臣全てが揃う。元盛お爺様等の身内は当然として、岡林おかばやし家、小川おがわ家、小谷こたに家、専光寺せんこうじ家といった俺に対して反抗的な家臣筆頭まで出席なのだから笑うしかない。そんな事をしても取り分が回ってこないのは少し考えれば分かると思うのだが……まあそれは良いか。


 そうして始まった評定は冷静な話し合いになるかと思っていたら、予想に反して開始早々から怒号が飛び交う。普段静かな安芸城の一画が戦場へと様変わりした。反抗家臣組は自分達が安芸家にどれほど貢献したかというアピールを必死で行い、元親お爺様や父上が起こした戦でも鬼神の如き活躍をしたと自らを誇る。


 対して奈半利派閥は自分達の活躍が香宗我部家を降伏に追いやったという自負があり、「お前達はお呼びじゃない」という態度で責め立てる。


 実質はさて置き、今後の安芸家の中枢に名を連ねるのはどちらの派閥かという、どう考えても平行線にしかならない茶番が続いていた。それだけ香宗我部家の降伏は、安芸家のあり方を左右する出来事と見ているのだろう。間違っても「ついに安芸家の悲願が達成された。これまでの事は水に流して皆で祝おう」という雰囲気にはなりそうもない。


 そのお陰かどうかは分からないが、香宗我部家への処分は面白いくらいに意見が真っ二つに割れる。片や奈半利派閥は元親お爺様の意を汲んでか最も過激な一族全ての死罪を主張し、片や反抗家臣組は現当主こそ死罪にすべきだが残りの一族は助命すべきと温情を訴えた。


 この辺りまで来ると、俺の裁定が派閥のパワーバランスを決定付けてしまうような錯覚を覚えてしまう。そうなると香宗我部家には可哀想ではあるが、奈半利派閥の意見を採用せざるを得ない。どうしても肩を持ちたくなる。所詮俺も人の子と言えよう。


 そんな時、これまでじっと互いの主張を聞いていた細川 益氏様から空気の読めない発言が出てくる。感情を乗せずただただ冷静な口調で一言「香宗我部の一族の命は誰一人取ってはならない。全員保護するべし」と。


 瞬間、奈半利陣営の家臣は大激怒した。それはそうだ。自分達が保護し世話をしていた者が、その恩を忘れて裏切ったように見えたとしても不思議ではない。安芸家にとって香宗我部家は何代にも続く宿敵である。悲願の達成は領地を取り返しただけでは収まらない。今後の憂いを断ち切り、二度と安芸家に逆らえないようにするのが筋だという武家らしい論理が奈半利組の総意である。益氏様はその考えを真っ向から否定した。


 こんな事なら益氏様をこの場に呼ばなければ良かったと後悔をしてしまう。安芸家の家臣でもなければ客将という立場ですらない益氏様は、本来この場には関係の無い人物だ。俺が第三者としての冷静な意見を言える者が必要だろうという考えで参加してもらった。それが逆に場の混乱を加速させる発言をするとは……。


 いや待てよ。


「益氏様、まずはその発言の真意をお聞かせください。何故全員保護するべきなのか理由をお話し頂かなければ皆も納得できません」


 第三者の冷静な意見だからこそ、自分達の常識とは全く違う理由で発言した可能性がある。俺はそれに気が付く。


「やはりお主はそういう所が土佐の田舎侍とは違うの。分かった。話そう」


 それからの益氏様の話は武家の複雑怪奇さを象徴するとでも言うべきか、乾いた笑いが知らない間に出てくると言うべきか……とにかく面倒臭いの一言であった。


 まず、香宗我部家は甲斐武田かいたけだ家の一族だった。紛うことなき源氏の一族だ。源平合戦の時代に土佐にやって来たので、甲斐武田氏として有名な武田 信玄たけだしんげん (晴信)とは全くの繋がりはないと思うが、由緒正しい血筋である。安芸家とは比べものにならないくらいに。


 そして、現香宗我部当主の香宗我部 秀通こうそかべひでみちの存在。これがまた厄介である。何と母親が細川 勝元ほそかわかつもとの娘であった。細川 勝元というのは細川 高国様の祖父だ。つまりは細川京兆家の娘が母親という。香宗我部 秀通は天狗で有名な細川 政元の甥に当たる人物であった。


 最後はそう重要ではないと益氏様は言ってくれたが、香宗我部 秀通の妻は細川家の分家である十市細川家の娘だと言う。


 これらの情報を纏めると、現香宗我部当主並びにその一族は源氏のハイブリッドとも言っても良い血筋。武田家と細川家の血が流れている。正真正銘の貴種と言えよう。


 …………どうしてこんな家が土佐にあるのか分からない。せめて分かり易く「武田」と名乗っていて欲しかった。


 結局の所、俺達はそうした事実を知らず喧々諤々の議論を続けていた事になる。さぞや益氏様は俺が下手な決定を出さないか心配していた事だろう。だからこそ香宗我部の一族を保護……と言うより実質は客分扱いとしての飼い殺し、それが「俺のためになる」という理論だ。細川京兆家に睨まれる可能性を考慮したのだと思われる。現在は内ゲバ中とは言え、腐っても細川京兆家。最悪幕府を動かし敵認定をされてしまう。今の俺達にそれを跳ね除ける力は無い。


 ここまで明確な理由なら香宗我部一族の命は取れない。だが、ここでまた一つの問題が出てくる。どういった形で保護をするかだ。扱いを間違えると処遇に不満を持って香宗我部残党が安芸領でゲリラ活動を始めかねない。


「益氏様、養子ですかね……」


「そうだな。それが手堅いかもしれんな。後は……現当主には男子がいるからの。それを更に養子として迎え、入った養子は『繋ぎ』として示せば香宗我部の家臣も暴発はするまい」


 まさに二段構えの策と言える。今回の降伏受け入れの厄介さは、香宗我部家が安芸家にとっての宿敵だという所に端を発している。逆を言えば安芸家は香宗我部家から見れば怨恨の相手になる。例え事実上の降伏だとしても、こちらから一方的な要求を突きつければ武士の面子に関わってしまうために双方に配慮した決着が望まれる。


 単に養子を送り込むだけであれば、香宗我部家の乗っ取りと相手に判断され屈辱だと感じる。だからこそ今一度の養子を迎える策が生きる。香宗我部側には一時的な措置だと言い訳が立ち、安芸側には送り込んだ養子で香宗我部の牙を完全に抜くという言い訳が立つ。歴史的にもお家騒動が起こった際の落とし所として度々使われる手法である。


 いっそ戦をして首を取った方が面倒がない……のだが、安芸家が和睦を受け入れない残忍な家だと認識されるのは最も良くない評判となる。まだ長宗我部という本丸が残っている現状で後背の海部家に悪印象を抱かせたくはない。俺が安心して西に進めるのは海部家という友好的な家があるからだ。


「問題は誰を養子に送るかですが……最も適任な畑山家はここで使いたくはないです。一羽でも良いと思いますか?」


 本来であればこういった時、俺の弟や子供を送り込むのが筋である。だが、今の俺には兄弟も子供もいないので選択肢には難があった。


「それはどういった理由だ」


「畑山家嫡男の畑山 元氏は今後私の代わりに軍を率いて貰うつもりなので、香宗我部の養子に入れると安芸家での力が大きくなり過ぎる可能性があります。その点一羽なら裏方専門ですので力はありません。しかも私の側近ですから丁度良いかと思ったのですが……」


「なるほど、身分の事か。それならお主が得意とする一度どこかの家の養子にすれば良い。朝倉家辺りなら文句も出まい」


 まさかここで経歴ロンダリングを提案されるとは思っていなかった。一羽は養子に送り込むにはうってつけの人物であるが、出身が武家ですらない河原者である事が障害となっていた。それを何でもないように言ってしまうのは恐れ入る。俺のやらかした婚姻騒動で悪知恵を与えてしまったような気分だ。


 とは言え、これで香宗我部家の降伏を受け入れる準備が整う。香宗我部の一族には金だけ与えて後はのんびり余生を送って貰おう。……子供は無理に一羽が面倒を見なくとも良いか。母上は子供好きだから養育をお願いすれば喜ぶかもしれないな。


「お待ちください! それならば養子を送るのは我が小谷家からでも良いではないですか。何故そのような身分も定かではない者を厚遇するのですか? 筋違いです」


 ここで反抗家臣組の一人である小谷 正春こたにまさはるより異議を唱える発言がされる。「香宗我部家の面倒を見る」という名目で何らかの利益を得ようと考えている思惑が透けて見えるのが何とも言えないが、またも自分達旧来の家臣が蔑ろにされていると感じたのだろう。物凄い目で俺を睨んでいた。


「何だ。そんなに息子を香宗我部に送り込みたいのか? 良いぞ。その代わりに小谷家も含めて所領は全て返上して俸禄のみにする。その上で兵を率いる権限も集める権限も与えないぞ。兵は一切持たさない」


「戦働きの手段を全て放棄しろとは、某を愚弄してそのような事を言うのですか」


「都合の良い解釈をするな。香宗我部一族を殺さずに力を奪う策だ。それを理解して発言しろ」


 まだ何かを言いたそうな顔をしているが、何を言っても無駄だと理解したのか口を閉じる。宿敵を降した事で反抗組も少しは態度を軟化させるかと思いきや逆に拗れる結果となっている。これはどうしようもなさそうだ。俺のする事全てが気に入らない状態に陥っているとしか言いようがない。


 しかし、「俺を嫌っているから」という理由で家臣を処分するような横暴は当然できない。処分や粛清をするにはそれ相応の証拠や理由が必要となる。例えば謀反の証拠などあれば話は早いのだが、相手もそんな分かり易い行動をすれば自身の身が危険に晒されるくらいは分かる筈。


 面倒ではあるが、反抗組への対処はしばらくお預けである。ここまで拗れているなら、いずれもっとはっきり分かる形で尻尾を出すだろう。気休めにしかならないと思うが、今は杉谷 与藤次に頼んで見張らせるのが精一杯だった。


 それよりも香宗我部の問題を片付けるのを優先するか。


「一羽、とばっちりで悪いがこれでお前も武家の仲間入りだ。武家なんて面倒なだけだと思うが……おいっ、どうした?」


「いえ。まさか私が武家になれるとは思っていなかったので……今後より一層国虎様に忠節を尽くします」


「……悪かったな。一羽がそこまで武家に憧れているとは知らなかった。報いてやるのが遅くなったが、これからは香宗我部の当主として宜しく頼むぞ」


「はいっ!!」


 下克上だと言われながもこの時代は身分制度はしっかりと根付いていた。

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