婚約破棄
父上の死に端を発した当主就任と二度の戦、更には拡大した領土に開発の手配と、天文一二年 (一五四三年)はこれまでにない程の大変さであった。最後の最後で餅に振り回されるというのが俺らしいとも言えるが、今思えば、この忙しさが父上の死を悲しむ暇を与えなかったとも言える。皮肉な結果ではあるが、俺の安芸家当主としての滑り出しは悪くない形となった。
年が明けた天文一三年 (一五四四年)はこれまでの忙しさが嘘であったかのように始まる。昨年に父上が亡くなったという事もあり、正月の行事は全て取り止め……そう言えばここ数年正月はずっとこれだな。新当主として様々な仕事が待っているかと思いきや、ゆっくりできるのはある意味ありがたかった。たまには家族水入らずというのも良いだろう。母上もお爺様も久々に俺が安芸城に戻った事を喜んでくれていた。
最前線の須留田城は相変わらずだ。緊張状態を保ってはいるが、戦にまで発展する様子は無い。こちらは決戦を急いでいる訳ではないので、このままの状態で後一、二年は何とか持たせたいと考えている。香宗我部家とは違いこちらの食料は万全。それだけの期間があれば開発中の土地もある程度の目処が立つ。軍拡という方向に舵取りをした以上は手足となる兵と共に地盤の強化が必要であった。
畿内情勢に付いては結局昨年の内に乱は終結する。潜伏に逆戻りという形となった。細川 氏綱殿も粘ったとは思うが、所詮は多勢に無勢。尾州畠山家からの援軍は多少あったらしいがそれも長くは続かず、形勢を不利と見るや手を引いたという。なるべくしてなった形とも言える。もし次があるならきちんと根回しをした上で行って欲しいものだ。
俺の知る歴史なら後五年以内に三好 長慶が細川 晴元と袂を分かち敵対する。そうなれば形成は逆転し、今度は逆に細川 晴元が追い詰められる。それまでは何とか辛抱して無謀な行いはしないで欲しいと思う。
こうして周囲から戦の匂いが消えると、たまには小さい頃のように和葉や一羽達と遊んだりできるのでは……と考えたのが運の尽き。こんな時ほど予期せぬ問題が持ち込まれる。正確に言えば、忙しさにかまけて完全に忘れていた問題がぶり返した。
「安芸 国虎殿ですね。先日は息子が世話になりました。今村 慶満の父、
「それは一向に構わないのですが、ただ遊びに来たとは見受けられません。今回の土佐滞在は何か目的があるのでしょうか?」
「これは異な事を。先日安芸家と細川玄蕃頭家で婚約の話が纏まったではないですか。国虎殿の当主就任の話もお聞きしましたので、これを機に話を前に進めようと思い土佐まで参りました。お忘れになっていたという事はございませんね?」
それは俺の婚姻問題である。今村殿に言われて思い出したが、確か「婚姻」にはまだ早いという事で「婚約」という形で一旦棚上げになっていた話だ。より具体的に話を詰めたいという趣旨の訪問であった。
当時の「次期当主」から、現在は「当主」へと俺の立ち位置は変化した。当主でありながら未だ独り身というのは、宜しくないとでも言いたげである。
……実際その通りなだけに痛い所を突いてくる。武家の当主の役割の一つが自身の血筋を残す……平たく言えば、妻を迎えて子作りしろというだけに、「婚約」という宙ぶらりんな状態を続けないで欲しいというのはありありと感じた。
それにしてもどうして俺が当主に就任した事を知っていたのだろうか? この点は少し気になる。
さて置き、俺の婚姻についての考えは何も変わっていない。
「…………今村殿、この度の婚約についてはお断りをさせて頂いたつもりだったのですが、きっと何かの手違いでそちらに伝わっていなかったのだと思います。申し訳ございません」
「はて? それにしてもおかしな話ですね。もしかして、先に他家より断れない縁談が入ったという事でしょうか?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
「それなら安心致しました。数日中にもこの土佐に婚約者の娘がやって来る手筈となっております。とびきりの器量良しですので、きっと国虎殿もお気に召すかと。会って頂けますでしょうか?」
「えっ……誠の話ですか?」
「そう仰らずにまずは会ってみてください。話はそれから進めましょう」
何だ、この押しの強さと自信の表れは。顔はにこやかなのに「ノー」を受け付けない雰囲気となっている。もはや「イエス」以外の答えがない状態。何度か断りを入れてみたが、話をはぐらかされたり、お相手の女性が「渋谷越の秘宝」の二つ名を持つという不必要な情報が入ったり、果ては細川 晴元の被官を辞してまで今回土佐までやって来たという良く分からない話までされ、のらりくらりとかわされる。
こうなると俺の方も、
「……分かりました。会うだけですよ」
観念してこう言わざるを得なかった。やはり今村家の人物は親子共々一筋縄ではいかない。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
──数日後。
あの時きっぱりと断れなかった事を俺は激しく後悔していた。
やって来た婚約者は当然と言えば当然だが、この時代の「器量良し」の女性であった。「喜玖」という名前はあるが、俺にはどう見てもモビルス〇ツの「〇ム」にしか見えない。分かってはいるが物凄く失礼な事を考えている。
確かにこの時代基準なら美人なのだろう。肌も白く髪も艶やかで手入れが行き届いている。身長も低いし、仕草が上品なのも分かる。
……けど無理だな。
作法が分からないながらも前世のお見合い感覚で「食事会」として用意したこの席。俺の横にいる母上は相手の事をすっかり気に入ったようでしきりに話しかけている。だが返事は、大半が「ええっ」であったり「はい」であったりと素っ気ないものばかり。緊張で上手に喋れないというのはあるとは思うが、妙に澄ました態度が鼻につく。
また、料理自体にほぼ手を付けていない点にも気付いた。彼女の傍らにいる今村殿は、安芸城近海で本日獲れた魚の刺身を気に入ってくれたようだが、京の料理とは違う献立では箸が進まないのだろう。木沢 浮泛を見ていたからか、そう感じた。
予想通りの結果としか言いようがない。「会ってみるだけ」という言葉に惑わされなければ良かったと深く反省するばかりであった。
「……時に、どうですかな? 今村家の一族の娘は」
「国虎殿、貴方は果報者ですよ。これだけの器量良しには滅多にお目にかかれません。ましてや細川玄蕃頭家との婚姻です。我が安芸家との家格を考えればこれ以上の話はありません」
時が熟したと思ったのか、二人から婚約と言わずに婚姻まで決めてしまえとでも言いたげな波状攻撃がやって来る。「さあ」と俺への決断を促すような眼。最早俺の言葉は一つしかないような雰囲気がありありと形成されていた。
「確かにお二人の言う通りですね」
「おお、それなら」
「はい。この婚約、きっぱりと破棄します。それが互いの家にとって最良の選択になるでしょう」
だからこそ、きちんと口にする。俺の選択はただ一つだけである事を。俺の中での答えは初めから決まっており、変わりようがない。相手は和葉しかあり得なかった。
『…………』
まさかと思える告白に、この場にいる俺以外の開いた口が塞がらない。それくらい想定外の言葉であったのだろう。
今は何を言っても理解できないだろうし、落ち着いた頃合でゆっくりと二人を説得しなければいけないな……などと考えていた所、思わぬ伏兵が参戦する。
「……何でよ」
「ん?」
「まだ私が貴方を振るのは理解できるわ。それが何! どうして貴方のような田舎者に振られなければいけないの!! 京からここまで足を運んできたと言うのに、馬鹿みたいじゃない! 私はね、『渋谷越の秘宝』とさえ言われているのよ。貴方とは釣り合いが取れないのは見れば分かるでしょう。身の程を弁えなさい」
「……なら、尚のこと破棄して正解だな。俺は身の程を知っているから、釣り合いが取れる相手にするさ」
これが「渋谷越の秘宝」の現実かと思いながらも、彼女自身の本音を知れたのはある意味ありがたかった。彼女も彼女で望んでいない婚姻話だったという事になる。その上で土佐という田舎を下に見ているのがはっきりと分かる発言をしてくれると、逆に清々しささえ感じた。
「国虎殿! 喜玖殿に謝罪しなさい。今ならまだ間に合いますから」
「お言葉ですが母上、元々私はこの話には反対していた筈です。ここで無理にでも婚姻を進めるなら、今村家と細川玄蕃頭家との縁は手切れとなりますが宜しいのですか?」
「それは儂達が困りますので手切れにはしないで欲しいかと……」
「どういう事よ!!」
「喜玖殿、この際はっきりと申しましょう。私は喜玖殿を妻に迎えたくないと言っているのです。……と言うより心に決めた女性が既にいます」
「その娘の方が私よりも上だって言うの!!」
「当然でしょう。私にとっての一番は彼女以外にあり得ませんから」
もうここからは売り言葉に買い言葉。後は野となれ山となれ。始めからこんな婚姻が上手く行く筈がなかった。武家は政略結婚が基本とは言え、打算が御破算になるなら何の意味もない。それならば全てを白紙に戻すのが一番マシな選択である。
ただ残念な事に、これを理解できない人物がこの場に一名いる。
「…………許せない……」
「えっ?」
「この屈辱は絶対に忘れない。あの時私を妻に迎えておけば良かったと後悔させてやる! 覚えてなさい。帰るわよ、和代!」
「はっ、はい。お嬢様!!」
プライドをズタズタに傷つけられ、面目を失った彼女。政略結婚の意味を皆が勘違いした結果、被害者となってしまったとも言えよう。俺としてもここまで拗れた以上は取り繕うつもりはない。「馬鹿殿」や「女の敵」という称号を甘んじて受け入れるつもりだ。
とは言え……ここまで強烈な性格だとは……。婚約破棄して本当に良かったと思う。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「えっ、何! 国虎、これは一体どうなっているの?」
念のためにという事で今日一緒に安芸城入りしてもらっていた和葉が、吹き荒れた暴風の爪跡が残る部屋に入ってきた。
晴れ晴れとした俺の表情とは対照的に、母上や今村殿は完全にやけっぱちになっている。喜玖殿が出ていってからは二人は浴びるように酒を飲んでいた。俺への説教を肴として。
「おっー、和葉。来てくれてありがとうな。で、母上。彼女が私の思い人の和葉です」
「国虎殿はこんな娘が良いの。喜玖殿と比べたら不健康に細いし、体も大きいし、何より日に焼けて肌が黒いし。その辺の娘と何も変わらないじゃない」
母上はまだ未練たらたらだ。この辺は価値観の違いだから仕方ないとしか言えない。俺からすれば母上が駄目出しをする点が全てプラス評価となる。
ただ一つ訂正しておこう。現在の安芸領には和葉ほどスタイルの良い女性はいない。
母上への対応は一旦置いておいて、それよりもまずは和葉にここに来てもらった用を済ませるべく俺の横に並んでもらい、今村殿へと向き直る。
「それで今村殿……ものは相談なのですが、彼女を今村家の『養女』にしませんか? その後、細川玄蕃頭家の『養女』にするというのはどうでしょう?」
「儂には国虎殿が何を言いたいのか分からないのですが……」
「簡単な事ですよ。この和葉を今村家の養女とするなら縁談をお受け致します。あくまでも人が変わるだけで、安芸家と今村家、細川玄蕃頭家との繋がりという意味では何も変わりません。見返りは現在試験栽培中の砂糖の卸売りです。どうです? お受け頂けますか?」
「ちょ、ちょっと国虎。いきなり何言ってんの」
何も知らされずに部屋に入った途端にいきなりの養女入りと縁談の話だ。訳が分からなくて当たり前である。
けれども、この場で納得行くまで説明をするような馬鹿な真似はしない。肩に手を置き、今日一番の笑顔でサムズアップする。全てはそれだけで事足りる。
後はトドメに、
「喜べ和葉。婚約はしっかり断った。後は和葉が俺の妻になるだけだ」
と伝えるだけ。
長年一緒にいる和葉はこれで全てを察したらしく、完全に諦めの表情になっていた。
「そこまでして私を選ぶの……少しは相手の女性の事を考えて欲しかったんだけど……。でも、国虎なら私が『うん』と言うまで何度でも同じ事しそうね」
「よく分かっているな。その通りだ。和葉には安芸家の未来と今村家の利益がかかっている。大人しく観念するしかないな」
「ああもう。分かったわよ。一緒になってあげる。そこまで言われたら責任重大じゃないの。本当に馬鹿なんだから」
今村殿は自分達が良かれと思って選んだ娘を袖にされたのだから、今でも悔しいとは思う。しかし、俺が断っていたのを知った上で無理に進めた結果だからこれは仕方がないとしか言えない。経済的な繋がりを期待しての縁組であるなら、初めから俺がどう思っているかをしっかりと確認して欲しかった。それさえできていれば、こんな茶番は起こらなかったと思う。
また、母上には可哀想な真似をしてしまったが、それでも安芸家の格を上げる婚姻はこれで成立するので納得して欲しいとは思う。どうしても和葉に反対するようなら、細川玄蕃頭家が実態の無い名前だけの家である事や、今村家が京では実力者ではあるものの実態は商人上がりの半武士という情報を暴露して全てを御破算にするつもりだ。
これにて一件落着。大岡裁きもかくの如きと自画自賛できる三方良しの妙案と言えるだろう。
「ねえ国虎、ずっと疑問に思っていたんだけど、どうして私が良いの。好みの細い娘なら他にもいるとは思うけど」
「こう言えば納得してくれるかな。何があっても側にいてくれたから。和葉や一羽がいなかったら今の俺はなかったと思う」
「えっ……そんな事」
「うん。そんな事」
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