新当主の現実

「えっ、今日の仕事、これで終わり?」


 悲報:安芸家新当主である安芸 国虎、いきなり窓際族となる。


 就任式で伝えた和食氏討伐を現実にするべく、安芸城で日々行なわれている政務に少しでも携わろうと仕事を回してもらっていた。


 軍を起こすにしても、内情を知らなければ見当外れの行動となる。ましてや安芸家は先の戦で負けたばかりだ。損害の程度や残った戦力等、知りたい情報は山程あった。しかもここでは新参であり、俺を知らない者も多くいる。やり方も奈半利とは違う事も多い筈。


 そういった事情を鑑み、後見人兼責任者である与松 元盛お爺様にお願いをしていたら……これである。毎日大した事無い案件に目を通し署名するだけ。それも数枚程度という内容であった。


 当然元盛お爺様に直談判をするが、返ってくるのは「国虎はまだ子供なのだから」という過保護な答え。俺に対する態度は明らかに新当主に向けたものと違っていた。


 これまで殆んど接点の無かった元盛お爺様だが、いざ話してみると……孫に対して激甘の人であった事が判明する。長く母親と離れて暮らして寂しい思いをしていたのだから、しばらくは母子水入らずでゆっくり過ごして欲しいという意図であった。「その間は爺に全てを任せておけ」と優しい目で語りかけられてしまう。


 また、和食氏に戦いを挑むにしても、建て直しには半年から一年は必要で焦る事はないという事情もあった。


 これで元盛お爺様が仕事のできない人であったなら話は簡単だったが、実際には堅実な仕事ぶりで城内での評判も良いという話である。亡くなった父上がここ数年毎年のように和食氏との戦いができたのは、元盛お爺様の力が大きかった。しかも、父上は政務を疎かにして、ずっと武芸の鍛錬に勤しんでいたという。やはり兄上を亡くした事が相当なショックだったのだろう。体を動かす事で余計な事を考えないようにしていたのだと思う。そんな状況にも関わらず、元盛お爺様はずっと縁の下で支え続けていてくれた。


 ……これでは俺が干渉する口実が無い。無理にでしゃばると逆に混乱の元になるのが分かる。


「母上からも言ってください。これでは『お飾りの当主だ』と言われてもおかしくないと。もう少し私も当主らしい所を皆に見せないと示しが付かないですから」


 仕方がないので母上を通じて、元盛お爺様を説得するようにお願いしてみるが……


「国虎殿はもう充分に当主らしい姿を見せてくれたのだから、母は安心しています。それよりも母が作った干し柿の味はどうですか?」


「さすがは母上の作った干し柿です。こんなに美味しい干し柿は初めて食べました」


「まだまだあるからたくさん食べるのですよ」


 ……こっちもだだ甘だった。


 兄上と父上を亡くして寂しいのは分かるが、俺に構い過ぎである。何かあるとすぐに呼ばれる日々を送っていた。最近の母上の流行は俺に色々と食べさせる事である。俺はこれまでしっかりと鍛えてきたので、ガッチリとした体格になってはいるが……母上曰く当主としての貫禄が足りないらしい。平たく言えば、この時代としては痩せているので食って太れという話である。


 先日の就任式の雰囲気から一転、俺は実家で良く分からない生活を送っていた。


 二人の気持ちはよく分かるし、邪な考えがない事も分かる。しかし、今の俺の状態は外から見ると「安芸家を乗っ取られた」と見えるのではないか? そんな考えが頭を掠める。


 もし元盛お爺様なり母上にそんな気持ちがあったなら、どんなに楽であったか。粛清して終了の案件である。だが現実は違う。単純に過保護なだけであった。これを悪と断罪するのは酷でしかない。


 しかも、先日の家臣が一斉に帰った件にしても、時期を見て取り成してくれるとまで言ってくれている。本当に良い人達である。


 「このまま二人に甘えた方がいっそ楽ではないか?」という誘惑に一瞬駆られもするが、現状は何とか踏み止まっている。今の状況に危険信号を感じる俺はきっと間違っていない。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 俺の方はこうした状況となっているが、奈半利は少し大変な状況になっていた。今日、親信から文が届く。


 現状、奈半利は安田家に任せている。これまでも総務として頑張ってくれていたので、特に心配はしていない。


 只今、あちらはお祭りムード全開だそうだ。俺が安芸家の当主になったという事で連日飲めや歌えの大騒ぎになっているとか。皆が俺の当主就任を祝ってくれるのはとても嬉しいが、お陰で大忙しらしい。酒を飲んで気が大きくなった奴等が溢れた結果、喧嘩や揉め事がしょっちゅう起こっているのはお約束と言って良いだろう。


 こうした内容を見ると、新人四人を奈半利に送っておいて正解だった。先日の当主就任以来、俺の派閥に入ってくれる家臣が人を寄越してくれた。しかし今の俺は暇そのものなので、親信の父親である安田 益信に預けて鍛えるように言ってある。本人達は当初奈半利行きを嫌がっていたが、「お前等はこれからの安芸家の重臣になる者だ。だから文官仕事もできるようになれ。戦働きしかできないなら重臣にはできない」と言えば、あっさり応じてくれた。


 こうした早い者勝ちのような形で重臣を決めるのは良くないと分かってはいるが、あの就任早々の時点で人を寄越してくれるというのは信頼に値する家と言っても過言ではない。相当な馬鹿でもない限りは側に置ける人材になるだろう。


 具体的には親戚の畑山家より畑山 元氏はたやまもとうじ、有沢家より有沢 重貞ありさわしげさだ、黒岩家より黒岩 越前くろいわえちぜん、井原家より井原 源七郎いのはらげんしちろうの四名となる。有沢 重貞は三〇代前半の壮年ではあるが、元明おじさんの息子の元氏は丁度俺と同じ年齢、黒岩 越前や井原 源七郎は共に一〇代と皆俺と年齢の近い若い連中である。


 元氏とは久々に会ったが、俺よりもデカくなっていて少し驚いた。けれども性格は変わらずで父親譲りの生真面目さである。俺がいい加減な性格をしているだけにとてもありがたい。良い親戚に恵まれたものだ。


「何?」


 文を読み進めていくと細川 益氏様の件が書かれていた。式では微妙な雰囲気となったが、奈半利に着くと皆と一緒に飲んで楽しんでいたらしい。そこまでは良い。


 問題はその後である。何と益氏様の留守を良い事に「長宗我部の軍が田村の地に攻め込んだ」という報せが届いたというのだ。益氏様は急いで戻ろうとするが、親信がそれを止めてくれた。「今田村に戻るのは益氏様の身を危険に晒す事になる。むしろ遠州細川家は安芸家で保護するので家臣の人達は安芸領に逃げてきて欲しい」と提案したという。穀倉地帯の田村の地が目当てなのだろう。欲に目がくらんだ長宗我部のやりようにはムカつくが、それよりも細川 益氏様を保護したのは見事な機転だ。さすがはやるな……と言いたい所だが、続いて書いてあった「安芸家が五年以内に田村の地を取り戻しますから安心して下さいと言って説得した」という内容。


 ……いや、勝手に約束するなよ。


 途中までは素晴らしい活躍だったにも関わらず、最後がどうしようもなかった。親信は相変わらず親信である。


 とは言え、これは一度奈半利に出向く必要があるな。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「親信、助かった。見事な判断だったぞ。あのまま益氏様を帰していたら、下手すると命を落としていたかもしれない。……ただ、五年で取り返すは言い過ぎだろう」


「気にするな。国虎の烏帽子親をみすみす見殺しにする真似はできないからな。まだこちらに援軍を出す余裕が無いなら保護するしかないと思っただけだ。…………それで、決心はできたか?」


「そこまで焦る理由が俺には分からないが、今回は親信の言う通り奈半利勢だけでやるしかなさそうだ。実家は動かせる兵と言うか……今の俺では何もできない。問題はやるにしても兵力が足りないんじゃないのか?」


「何のための木砲や焙烙玉だと思っているんだ? こういう時に使う物だろう? 確かに艦砲射撃でもできるならそれに越した事はないが、今ある物だけでも充分何とかなる」


「そこまで言うなら親信も戦に出ろ。俺だけにやらすな」


「それは断る。俺は技術担当だからな。美味しい所は国虎にやるよ」


 約半月ぶりに奈半利に戻ると、文に書いてあった祝賀ムードは何処へやら。ピリピリとした空気に包まれ、まるで戦でも始めるかのような雰囲気となっていた。皆が忙しそうに動き回っている。挨拶を何とか交わすのが精一杯であった。


 なお、実家には書置きだけして勝手に出てきた形だ。後で大目玉を食らうのは覚悟の上である。


 それはさて置き、親信とは会って早々これである。曰く、ああ書けば俺がこっちに戻ってくると踏んだそうだ。本人は前線にでる気はないのに完全にやる気になっている。


 実は当主就任式の夜、俺達は今後の方針を話し合っていた。二人共和食氏への仇討ちに異論はなかったものの、俺の方は実家の兵も動員して全力で当たる方が良いと唱え、親信は最初から奈半利勢だけで戦えると主張していた。更には反抗的な家臣の粛清まで言い出す始末。コイツこんな性格だったか?


 今回の就任式はそれ位屈辱的だったらしい。文ではお祭りムードと書いていたが、裏では途中退室した家臣への大悪口大会が開催されていたと教えてくれる。その行き着く結果は「俺達の力を見せてやる」というもの。あの時の俺に対しての態度も許せなかったが、それ以上に奈半利勢が下に見られたような気持ちになったそうだ。


 ……ままならないものである。


 畑山 元明おじさんや安芸 左京進義兄上に真相をそれとなく聞いてもらうようにお願いしたら、俺のやらかしが原因だと分かっただけに複雑な気分だ。烏帽子親や来賓の件で、俺のアピールがこれまで安芸家を支えてきた家臣を蔑ろにしているように映ったらしい。どうやら実家の方では身内を除いて、少し金儲けが上手いだけの半端武士というのが現時点での俺の評価だと教えてくれる。


 せめて俺が配慮をして、事前に挨拶をするなり手土産を渡すなりしておけば良かったのだろうが、あの時はそういう事に全く気付かなかった。


 こういった事情を踏まえると、いつ派閥抗争一直線となってもおかしくない雰囲気である。だが、この辺は武士の特性のお陰で何とか切り抜けられる。武士というのは功績を上げてナンボの人種。戦での活躍の機会があれば意外と納得する。そのために俺に求められるのは「戦に勝てる当主」である。つまりは戦に強い事を見せ、活躍した家臣に対して報いるなら、それが求心力となり、わだかまりにも目を瞑ってくれる。組織の拡大期と同じ理論である。そういった意味でも俺は和食家との戦いに勝つ必要があった。


 確実に勝ちを拾うためにも全力で当たりたかったが、そうそう贅沢は言っていられないらしい。今奈半利は軍を起こさなければ暴発しそうな状態になっている。


「兵器だけで戦に勝てるなんて漫画やアニメの世界だけだぞ。きちんと寡兵でも何とかなるような作戦を考えないと勝てな……いや、待てよ」


 そう言えば、さっき親信が「艦砲射撃」と言っていた。まだ今の俺達には戦艦や大砲を作る技術が無いので実現はできないが、この「艦砲射撃」は海戦だけに留まらない事にその意味がある。つまりは海から陸を狙うという発想の転換。そうか。俺達も海から陸を狙えば良いんだ。


「おっ、その顔。何か思いついたようだな。勿体振らずに早く教えてくれ」


「……なあ親信。『海兵隊』って聞いた事があるか?」

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