耐火煉瓦は一日にしてならず
馬路 長正や杉谷 与藤次他を堺に送り出してから幾日かの時間が過ぎる。連中には何とか無事で帰ってきて欲しいと祈りながらも日々の生活は変わらないでいた。変わったのはあの暑苦しい声を聞かなくなった事。それはそれで寂しいものだ。
そんなある日、廊下を大音量で踏みしめながらもう一人の騒々しい人物がやって来る。
「国虎! ついに耐火レンガが手に入ったのか?!」
「来たか。正確には耐火レンガの元が手に入っただけだがな」
本日は予定にない雑賀衆の船が奈半利の港に到着。現状、こちらで手の回らない海運は雑賀衆におんぶにだっこである。奈半利から堺、もしくは
そんな雑賀衆との関係であったが、ふとした事で有名な海賊衆である
お願いしていた物は瀬戸内海を挟んだ中国地方から産出される鉱石だ。荷下ろしされた商品の目録を見た時、飲んでいた麦茶を噴出すくらいに驚く。発注していた俺自身が忘れていただけに「まさか」の一言であった。
そこに書かれていたのは「ろう石」の文字。それが
雑賀衆も俺と同じ気持ちだったのだろう。面倒な事は丸投げ。地元の商人に任せる。雑賀衆は商人としての側面を持っているだけに、商人同士のネットワークを活用した。
今回の件は本当に偶然だったらしい。備前の商人である
──特別報酬を分捕った後、雑賀衆は風のように去って行く。
これが親信に使いを出す前の出来事。
それにしても「ろう石」が縁で阿部 善定と繋がりが持てるとは思わなかった。彼には礼状を書いて特別報酬も渡しておかないといけない。何とかして良い関係を築いておきたいという思惑だ。
何故なら、阿部 善定と言えばセットで戦国時代屈指の有名武将の名が上がるからだ。その名は
「それは残念だな。けど、今の俺達なら仕方ないんじゃないか? 仮に奈半利に来てくれても現状は書類仕事しかないぞ。来てくれれば大助かりだが。それに宇喜多 直家を職人にするのは勿体ないし、本人も嫌がるだろうからな」
「そうだよな。良い働き場所を用意できない以上は連れてこられないな。今回は縁がなかったと思って諦めるしかないか」
宇喜多 直家は後に梟雄と言われる人物だ。上昇志向が強いと思われる。間違っても単なる文官で納まる人物ではない。スカウトするにしても現状の奈半利では魅力を感じないのが目に見えていた。
「国虎が土佐一国切り取ってから、その時に呼ぶくらいが丁度良いだろうな」
「無茶言うな」
いつもの軽薄な笑みから飛び出す親信のボケにしっかりとツッコミを入れる。
それはさて置き、これで待望の耐火レンガが作れる。
耐火レンガの役割は非常に単純で重要である。特徴はその名の通り、高温に強いだけ。良い物なら温度は一七〇〇℃でも大丈夫だと言われている。本気でそれだけの代物。
だが、これがあると無いとでは大きく違う。例えば陶器、例えば鉄、そして例えばガラス。これらが安定的に製作できるようになるからだ。陶器なら陶磁器や磁器も夢ではない。さすがに陶石 (陶磁器の元)を手に入れられる伝手は持っていないが、ボーンチャイナ (磁器の一種)なら製作可能となる。
戦国時代の日本の陶芸窯は一般的に一〇〇〇℃を超える高温に耐えられない。それを越えると窯が壊れてしまう。万が一無理矢理製品が作れたとしても、窯自体の作り直しが必須となるのでその分コストが大きく跳ね上がる。個人のコレクションとするならそれでも良いだろう。だが商品とするなら、価格に窯のコストが上乗せとなる。それではまず売れない。値を下げて赤字を垂れ流しにしても良いなら話は別だが、それでは意味が無い。
俺のように商売として陶器や磁器の販売を考えるなら、まず窯のコストパフォーマンスを考える必要があった。
鉄も似たような事情と言える。この時代の鉄は伝統的なたたら方式で作られており、その弱点は、一度の鉄の製造で炉自体を壊す事だ。これでは鉄自体の価格が上がり、鉄製品の普及が見込めない。しかし耐火レンガを使用する事により発展型たたら、いわゆる角炉に進める。これで炉を一度の使用で壊す必要がなくなる。結果、鉄製品の価格が下がり普及を見込める。後の鉄砲製造を考えるなら、鉄製造のコストを下げるために耐火レンガは必須と言える。
ガラスも事情は同じと言って良い。
俺がこれまで焼き物や鉄に手を出さなかったのはこれが理由である。ワンオフでもない限りはコスト度外視の製品作りをしたくなかった。
ただ……ここからがまた遠い。何故なら、一般的な耐火レンガの作り方はレンガの中に耐火レンガを混ぜるというものだ。耐火レンガが無ければ耐火レンガはできない。何という禅問答であろうか。
これは、ただろう石を混入させただけでは充分な性能を発揮する耐火レンガはできないという意味となる。耐火レンガを鍛えると言えば良いだろうか? 語弊のある言い方のようだが、そういうものらしい。何度も試作品を作り破損させながら完成品に近づける作業が必要となる。これが耐火レンガの恐ろしい所だ。
耐火レンガはローマと同じく一日にしてならず。
時間を掛けてゆっくりと良い耐火レンガを作ってもらうつもりだ。
「あっー、それはまだまだ掛かりそうだな」
「そう言うなって親信。これでも大きい進歩だぞ。俺も早くボーンチャイナには手を付けたいが、クリック一つでポンとできる訳ではないからな。焦ると絶対に良いのができない」
「意外だな。国虎の事だから、鉄をすると思っていたんだが……『地金』を作って売るだけでも良い商売になるんじゃないのか?」
「この辺で鉄が取れるなら考えたが、俺の知る限りで採れるのは実家近くの焼き物用の粘土くらいだぞ」
そう、ここで意外に気付かない商売がある。それが親信の言った「地金」の販売だ。
平たく言えば鉄自体の価格の高さを利用し、耐火レンガで製造コストを下げた分、差額で儲けるという話だ。より利益率が高くなる。
勿論、そこまでしなくとも充分に利益のある商売だと思う。それだけ鉄の製造には多くの設備投資が必要となるからだ。しかし、ここで地理的条件の不利で問題があった。同じ商圏内に海部家と根来寺という二台巨頭がある事だ。実績のあるこの二つに割って入るだけの伝手もコネも無い現状では市場に食い込むには難しい。その上、無理をして食い込むと、今度は両者から睨まれる恐れが出てくる。
……リスクの高い商売に手を出す必要はないと言えよう。
「それは何とも悩ましい話だな」
「最悪、鉄関連は耐火レンガの販売だけでも良いと思っているけどな。それもあって、焼き物が手堅いと思っている」
「『鉄は国家なり』だぞ国虎。民間需要を忘れるなよ」
「ビスマルクか……言いたい事は分かるが、鉄に手を出すとしても最低限産出地を押さえてからだな」
親信が言っているのは、自らの領内限定で農具や鍋等の日用品として使う道があるという意味だ。これなら民の生活水準向上に役に立つ。この時代の鉄は軍事用が優先されており、民間用は軽視されている。結果、それ目的なら文句も出ないという事になる。確かに今の俺達にはこれくらいが丁度良い。
「なら、一条をぶっ倒さないとな。土佐なら
「親信、良く知ってるな」
「足摺岬の方は俺も何処で聞いたか覚えていないくらいだが、『平野サーフビーチ』ってのが幡多鉱山の跡地でな……前世に行った事があるんだよ。『サーフビーチ』なのに『鉱山』というのも変な話だろ? 俺もそう思って調べたらこの時代は有力な砂鉄の採掘場所だった」
「そんな事情があったのか」
確かこの時代の鉄は砂鉄を集めて作るのが主流だったと記憶している。どうしても鉄というと鉄鉱石を溶かして抽出するイメージがあるが、まだそれだけの技術が一般的ではないのだろう。この時代に合わせた鉱山を知っているのはありがたい。
それにしても……「平野サーフビーチ」ねぇ。俺の常識では、これが鉱山だと言われても絶対に分からないな。
「そういう事だ。これで土佐を統一する理由ができたな」
「目的と手段が間違っているだろう」
「気にするな」
そんな事をしなくても、これで土佐の西に位置する一条家から砂鉄が買えると分かった。この辺は親信も織り込み済みで言ったと思われる。俺も余計な事は言わず、いつもの事だと軽く流す。親信は造船の責任者である以上、船の部品に必要な鉄を自領で準備できるようにしたいという思いがあるようだ。
何にせよ、まずは耐火レンガ作りである。これも事業が軌道に乗れば大量の燃料が必要となる。やはり木材の豊かな場所にお願いするのが妥当だ。今回は馬路村の奥にある魚梁瀬家に頼むとするか。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「そう言えば、国虎の婚姻の話は進んだ?」
日も暮れ後は寝るだけという時間、薄暗い灯りの中で繕い物をしながら和葉が俺に尋ねる。いつもはその日にあった事を報告しあうのだが、今日は先日の俺の結婚の話が話題となった。
「まさか。流れたんじゃないのか? 俺はあの時『まだ早い』と断ったし、今後も話を進めるとはならなかったからな。その辺は和葉にも話しただろ?」
「そうだけど……そう簡単に諦めるものなのかな……」
「諦めてくれないとこちらが困るからなぁ。両家の仲を壊す婚姻とか無意味だし……向こうもそれくらい理解していると思いたい。それに俺は、結婚するなら和葉が良いと思っているからそれで良いんじゃないのか?」
「えっ……それは本当? でも、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、私は側室……ううん、妾で充分だよ」
俺の言葉に一瞬嬉しそうな顔をするが、すぐに目を伏せ寂しそうな顔でこう返す。ままならないものだな。完全に振られるという最悪の事態にはならなかったが、プロポーズは空振りに終わった。
「どうして? 正妻は駄目なのか?」
「小さい頃は分からなかったけど、私は国虎とは身分違いだから。今後の事を考えるとこれが一番良いと思う」
「そんな凄い身分かね。単なる田舎者だぞ。それに和葉が身分を気にするなら、どこかの家の養女にしてもらえば良いんじゃないのか?」
「それでも駄目。私は今のままで充分だから」
こういう所は昔から変わらない。一度決めると融通がきかないのが彼女の悪いクセであった。ただ……内容から和葉なりに俺の事を考えているだという事が分かるだけに何とも言えない雰囲気となってしまう。
きっとこの辺りも俺の価値観のズレなのだろう。「身分違い」と言われても、俺と和葉の違いがどこにあるのかさっぱり分からないでいた。俺が良くても周りがそれを許さないという事なのだろうか? 下克上だなんだと言われている戦国時代だが、現実には人々の常識には身分がしっかりと刷り込まれているのだと身に沁みる。
本当にままならない。
「どの道、婚姻はまだ先だからな。そう結論を焦る事はないさ。けれどもこれだけは覚えておいて欲しい。俺が好きなのは和葉だから」
「……うん」
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