土佐の土地事情

「さあ、早速船を作るぞ!」


「言っている事としている事が違いますが、私は何も言いません」


 大きな資金を手にし、ついに巨大プロジェクトがスタート……と言いたい所だが、世の中はそう甘くはない。船の製造が一週間やそこらでできない以上は奈半利の経済を回すための足場固めが必要となる。平たく言えば日銭稼ぎだ。


 カラリと晴れた青空に南からの海風が心地良さを増す。ぼそりと呟いた一羽の言葉は、そのまま風に流され掻き消されていた。


 ここ奈半利一帯を今一度歩いて調査した結果、面白い事情が判明する。既に平地は耕作地として充分に有効利用されており、最早新規事業を起こす用地など猫の額ほども残っていないと思っていた。けれども、それが間違いだったという事が分かったのだ。


 新規事業として造船を選択したのは今も間違っていると思っていない。ただ……それのみに絞る必要がないという話である。


 あくまでも、この「用地が残っていない」という意味は「米を育てる事が可能な」という前提が隠されていただけだった。これは主に内陸の地に当てはまる事情である。


 そう、この地域には沿岸部を中心にまだまだ人の手の入っていない土地が山ほど残っていたのだ。最初はこの未開拓の場所は新規の耕作予定地で、誰かが管理していると思っていた。だが現実はそうではなく、単なる耕作放棄地であった。そして、その耕作放棄地になる理由はある意味切実で、ある意味では単純である。


 結論から言うと、それは塩害被害の土地だ。土佐湾とさわんに面し、野分のわけ (台風)の多い土佐ならではの特性と言えるだろう。


 三人衆からのこの地域での帰農事情を聞かされた時からずっと違和感を感じていた。港を筆頭に沿岸部には人の手の入っていない土地が相当残っている。なのに何故帰農できないのか? 何か理由でもあるのか? とずっと考えていた。


 その答えは意外な所から知る。俺達が現在寝泊りをしている長正寺の住職が、近くの畑で取れた作物の不出来を嘆いていたのが切っ掛けだ。作物がしっかりと育たなかったり、根腐れを起こしたりしていると嘆いていた。


 最初は単純にその土地が痩せこけているだけじゃないかと考えたが、理由はそうではないと言う。何故なら、数年前まではきちんと作物が実っていたらしい。大きな野分が通った年を境にして突然駄目になったという話だった。もし、土地が痩せたのなら、徐々に収穫量が落ちるだろうと。


 瞬間パズルのピースが嵌ったような気持ちになる。台風によって土地が駄目になるのは、俺の知る限り塩害被害しかない。猛烈な風が大きな波を引き起こし、長正寺の畑が海水に浸かったのだろう。それは当然沿岸部一帯にも当て嵌まる。 


 つまり、俺が好き勝手にしても良い土地がまだまだ残っていたのだ。これを有効活用しないでどうする。


 こんな時いつも思うのが「日本人はどうしてここまで米に拘るのだろう」というある種の呆れだ。けれどもそれが執念となり、数々の品種改良に成功する未来を知っているだけに笑うに笑えない。


 ただ、俺は初めから米への執念は持ち合わせていない。こうした場合は米以外で勝負すれば良いと考える人間だ。


 そこで思いついたのが俺の知る中で塩害に強いと思われる作物である「綿花」と「大麦」の栽培。それと麻もついでに栽培する。綿花は既に親信が試験栽培中である。規模を拡大するには丁度良い機会だ。また、大麦は雑穀として簡単に入手できるし、麻も簡単に入手できる。三人衆には「食料は買う」と言ったが、別に構わないだろう。これらはまだ種蒔たねまきの季節ではないので場所を確保して耕す事しかできない。後は肥料を入れるくらいか。まずはきちんと育つかどうかの試験栽培からである。


 更にもう一つ。これは俺が最も期待を寄せる日銭稼ぎの手段である「流下式塩田りゅうかしきえんでん」だ。ポンプが無いので全てが手作業になるのは負担だが、揚浜式あげはましき入浜式いりはましきの塩田と比べて塩の完成までの時間が大幅に下がり、大量に生産可能となる。枝条架しじょうかと呼ばれる独特の設備が必要となるが、揚浜式や入浜式のように場所を選ばないという利点がある。また土佐という立地上、仕上げの煮詰めに必要となる燃料には事欠かない。要は低コストで塩が作れる。


 本日はこの設備をつくるのに問題がないかの実地検分である。特に現場で俺がする事は無いが……。安芸城から来てもらった製作に携わった技術者に現場を確認してもらっている。必要な資材の手配は一羽の役割となっていた。


 なお、同じく連れてきた清酒造りの技術者は、既に益信の下に付けている。奈半利の酒蔵を一つ、武士待遇で雇用するという買収でまるまる傘下に収めた後に送り込んだ。勿論、買収と言っても強制ではない。清酒造りに挑戦したい酒蔵に交換条件として直属化しただけである。いずれは焼酎や蒸留酒、ワイン等も作りドル箱にする予定なのでこの方が都合が良い。


 網作りに至っては、担当者が近隣の手の空いた子供や老人を集めて勝手に始めていた。曰くさっさと作り方を覚えてもらって帰りたいらしい。仕事熱心なのか不真面目なのか良く分からない。


 当然だが親信と付き合いのあった船大工連中は、同じく武士待遇で雇用している。不安の無い生活とやりがいのある仕事に皆燃えていると教えてくれた。海部家に発注した道具類が到着したら、差し入れを持って挨拶に行く予定である。懸念があると言えば工房がボロい事だが、弁才船は製作に場所を選ばないという大きな利点があるので、事業が軌道に乗るまでは何とか耐えて欲しい。


 「ローマは一日にして成らず」の言葉の通り、俺達は確実に動き出していた。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「イチ、ニィ……イチ、ニィ……」


「おおっー、やってるなー。もうここまでできるようになったのか」


 まだ訓練を始めて一ヶ月も経っていないというのに、総勢たった三〇名の常備軍が揃って手足を動かし、勇壮な行進をしている。これも奈半利三人衆の一人、安岡道清の教育の賜物と言える。


 三人衆の中でも明らかに武闘派と言える道清は、分かり易いくらいの現場肌の男であった。世が世ならニッカボッカに安全ヘルメットが良く似合う。道清は奈半利再開発に反対していた山崎甲斐守やまざきかいのかみを攻め滅ぼして岡城城主に収まった苛烈な性格ではあるが、親分肌でとても面倒見が良いのでうってつけの人物だった。


 書類仕事が嫌いなのが玉に瑕ではあるが、現場肌の者は得てしてそういうものだろう。俺が奈半利にやって来るまではよく「こんな事なら岡城を落とさなければ良かった」と家臣にこぼしていたらしい。


 それが今やこれだ。面倒な書類仕事の大半は俺に押し付けて、自分は最低限で済むとなったら、元気一〇〇倍になっていた。


 今行なっているのは、常備軍とは名ばかりの仕事にあぶれていた素人同然の奴等に行進の訓練を行なったり (俺が行進の意味を教えた)、同じく新設した二〇人規模の工兵見習いに奈半利川の川底の土を浚える作業を行なわせたり (連れてきた一〇名もここに編入)、時には直属の家臣を連れて鹿やイノシシ等の害獣の駆除を行なったり、治安維持の巡回を行なったりとローテーションで各部署を回る八面六臂はちめんろっぴの活躍をしてくれている。本人曰く「毎日がとても充実している」と喜んでいるらしい。


 俺からすれば、現場指揮官として物凄い負担を掛けているような気がして少し申し訳ない気分である。


「殿、どうだこいつら? かなりさまになったんじゃないか?」


 俺の姿を見つけると、光り輝く額の汗を拭いながら凄く良い顔で声を掛けてくれた。


「いや、『様になった』なんてものじゃない。良くここまで仕上げたな。お手柄だ。さすがは道清、俺の見込んだ男だ」


 労いの意味も込めて少し大袈裟に褒めると「ガハハ」と調子良く返してくる。本当に楽しそうだ。


 そんな道清に話を聞こうと、後は家臣に任せて俺達は涼しい場所へと移動した。


「どうだ? 何か問題が起きている所はあるか? 結果は急いで出さなくても良いから無理するなよ。特に奈半利川の浚渫しゅんせつは慎重にな」


 現状でも問題無いが、やはり長く港を使おうと思うなら川の底を浚う浚渫をするに越した事はない。大雨等で奈半利川が決壊してしまうと、港が全て流されて使い物にならなくなるからだ。そうならないよう、いずれは堤防等で補強する予定ではあるが、その前段階としてここから手を付けた。川の中に人が入るので下手をすると命の危険に晒されてしまうが、大掛かりな資材を必要としないのが魅力的である。


 湾ではなく川を利用した港の切実な事情とも言える。


「大丈夫だ。言われた通り、必ず命綱いのちづなを巻いて作業させている。後は……特に問題はねぇかな」


「それは良かった」


「…………ただ、北川きたがわの奴等が時々様子見に来てるのが気になるくらいか……」


 ここで言う「北川の奴等」とは奈半利川中流に城 (砦)を構える北川 道清きたがわみちきよの事だ (偶然にも安岡道清と同じ名前で紛らわしいので、以後は通称の玄蕃げんばとする)。一応は安芸家に従属している勢力の一つではあるが、下流にいる姫倉右京とはどうにも仲が悪く、今回の再開発プロジェクトから外れた存在である。北川家はここ奈半利における木材の供給源の一つであるが、その木材の買い取り価格でしょっちゅう右京と揉めていたらしい。


 特記事項としては、それなりの規模を持つ家であり、敵に回すと厄介な点だろう。今でこそ三家合同となったので勢力はこちらが上回ったが、姫倉家単独の時は手を焼いていたという。


「大事に発展しそうか?」


「いや、今は大丈夫だ。多分……俺達のしている事が気になるんじゃないか? 一応警戒はしておく」


 今までこういう事をしていなかったから当然の話だが、特に巡回や行進をしている際に見に来る事が多いと言う。物珍しさか、それとも戦準備と見ているか、その辺の事情は俺達には分からないが、現段階では実害がない以上は見て見ぬふりをするしかなかった。


「頼んだぞ。今は揉め事を起こしたくないからな。北川家からも木材を買うように益信には伝えておく。利益を渡しておけば、そうそう暴発はしないだろう」


「頼みます」


 だからと言って、敢えて敵対するような行動をすれば向こうも黙ってはいない。急進派の声を小さくするよう相手にも利益を渡しておけば多少ムカついた所で見逃してもらえるだろうという寸法である。勿論、利益を渡す事で相手が図に乗るようならこちらも出方を考えなければならないが、そうでないならはっきりと分かる力の差が出るまでは大人しくしているつもりだ。


 ただ……そうは言っても、万が一の事を考えれば準備は必要だろうと風呂敷からある物を取り出す。


「そういう話なら持ってきておいて良かったな」


「何がだ?」


「この新兵器の事だ。『印字いんじ』と言えば分かるか?」


「ああ、大丈夫だ。分かる」


 平たく言えば投石紐とうせきひもの事である。スリングという方が分かり易いだろうか。作りは非常に簡素だ。


 意外と知られていない場合が多いが、戦において投石は非常に役に立つ。ただ、手で投げるだけでもだ。有名処では甲斐武田かいたけだ家の投石部隊がそうだろう。そんな役に立つ投石部隊に距離や威力を増やす道具が加わったらどうなるか? こんな強力な部隊はいない。しかも、弓に比べてコストが低い (投げる石は最悪その辺にある物で何とかなる)となれば今の俺達にはぴったりと言える。


 問題は思った以上に慣れが必要なので、習熟に時間がかなり必要な点だ。


「徐々にで良いから、アイツ等にコレを仕込んでやって欲しい」


「槍とか弓じゃなくて良いのか?」


「見栄えを考えるならそうなるが、そういうのは後で良いからな」


 まだ動き始めた俺達には身の丈にあった物で良い。背伸びした所で続かない事は分かっている。それは当然軍備だけの話ではない。少しずつ前に進み結果を出して行く事が大切だ。


 今回の新装備は対山賊用としては丁度良いんじゃないだろうか。今の俺達におあつらえ向きの仮想敵が見つかったような気分になった。


「確かに。今のコイツ等にはこれ位が似合いそうだな」

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