二章 奈半利細腕繁盛記

右向けば借金

 前途多難なのは分かっていたが、いきなりこれは無い。


 ゼロからのスタートという認識が甘かった。甘過ぎて胸焼けしそうだ。


 目の前に積まれた証文しょうもん (手形てがた:借用書のようなもの)の束を見る。また、ため息が出そうになる。


 そう、現実にはここ奈半利でのスタートはマイナスからであった。


 安田城の一室で、現在大の大人達が俺という六歳児に向かって現在進行形で平伏している。右から安岡 道清やすおかみちきよ姫倉 右京ひめくらうきょう安田 益信やすだますのぶとこの地域の主要な城主が揃い踏みしていた。末席には親信もいる。


「安芸 国虎様、我ら一同奈半利の地に貴方様が来られる日をずっと心待ちにしておりました」


 何故か左右に控えるおじさんと義兄上はこの光景に戸惑いすら見せず黙ったまま。俺に発言を促すような態度であった。二人共何を考えているのかさっぱり分からない。新手のドッキリだろうか? 考えが横道に逸れそうになるが、その辺りは後回しにしてまずは……


「いや……平伏はしなくても良いのですが、それよりもこの証文の束は何ですか?」


 これの意味を知る必要がある。


 けれども、


『……』


 返事がない。ただのオッサンのようだ。


 そんな現実逃避をしたくなるこの状況が、奈半利での生活の栄えある一日目となる。どうしてこうなった。


「あのー、何か言ってもらえますか?」


「我ら一同、国虎様に忠誠を誓い、領主としての権限も委譲致します!」


 もうどうにでもして欲しい。知りたくなかった現実が目の当たりになってしまう。はっきりとは言わないが、この証文の束は俺への寄贈品という事になる。可能なら是非付き返したい。


 つまり……


「話を整理すると、ここにいる三人は私に権限を預けるから、代わりに借金も面倒見て欲しいという事ですか?」


 とこうなる。


 俺には理解できないが、この時代の武家は土地に拘る筈だ。よく言われる「先祖代々の──」や「一所懸命」というアレである。それをあっさりと手放すというのは通常では考えられない。しかもその相手が俺という事は、実質上俺がこの地域一帯の領主になったようなものである。このとんでもない状況に俺自身が付いていけなかった。


 元々のプランとして考えていたのは、奈半利の港を借り受けて俺達で運営するというものであった。親信はどう考えていたか知らないが、この辺りがまだ現実的だと思う。


 何故なら、元手も人もいない状況で大きく手を広げられる筈がない。手の届く範囲で少しずつ確実に発展させるのが理想である。大きな博打を打つ必要はないと思っていた。


 それがこれだ。


「まさにその通……はっ、全ては国虎様の御心のままに」


 今本音が少し出た。コイツが安岡道清か……俺に全てを押し付ける気満々である。


 確かに現代の地方自治体でもそうだが、特に中世や戦国時代となれば領地の経営は楽ではない。思った以上に見入りは少なく、出て行く金ばかりである。大半が借金漬けで運営していたとも聞く。儲かっていたのはごく一部との事だ。


 ……他の二人はいざ知らず、コイツは面倒臭くなったのかもしれないと思い至る。経営状態が思わしくないのだろう。それにしても、なんてとばっちりだ。


「忠誠を誓うと言われても……貴方方はこれからどうするつもりですか?」


「我らを始め、一族、郎党ろうとうは国虎様の手足となります」


 そうきたか。


 最初は何が言いたいのか分からなかったが、意図する所は分かった。要は「一族、郎党を路頭に迷わせないよう面倒を見ろ。当然俺も含めてな」という事だ。武家は一族や郎党といった家臣団を持っている。当たり前の話だが一人ができる事はたかが知れているので、何をするにしても抱えている家臣団の力が必要となる。武家というのは言わば中小零細企業の社長と同じだ。だからこそ、この三人は手足となる一族を盾に取って、俺を社長とした奈半利カンパニーの重役として雇えと言いたいのだろう。


 チクショー、足元見やがって。その通りだ。いきなりこの地域一帯をぽんと渡されても、満足に運営できる筈などない。コイツ等三人とその一族郎党を雇わないと維持する事さえも無理である。ましてやそこから発展させるとなれば、今以上に人材も必要となる。


 ……誰だ、こんな事を考えた奴は。絶対にこの辺全て計算の上で俺に押し付けようとしている。しかも、報酬も吹っかけられそうな匂いがプンプンする。


 あっ、今一瞬親信と目が合った。平伏しながら俺の反応を覗き見してやがる。やっぱりか。


 …………どうにもならないな。これは。


「あっー、分かりました。まずは別室で益信殿、親信殿の二人から話を聞きます。それからで良いですか?」


『はっ』


 とにかく洗いざらい全てを吐いてもらおう。無茶振りが過ぎるというか、どうして土地をあっさり手放すのかその真意が知りたい。進むか引くかの判断を下すにしても現段階では情報が少な過ぎる。本当、こんな大事な話を何故事前に教えてくれなかったんだ。俺が大人になっていたなら親信は一発ぶん殴っていた。


 どうしてこうなった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「いいからまずは全て吐け! これからどうするかはそれによって決める!」


「国虎様、ますばお気をお沈めください」


「そうです。今日から国虎様がこの一帯の領主です。喜んでください」


「馬鹿も休み休み言え!! こんな事俺が頼んだか? 右も左も分からない場所で、いきなり実質上の領主にされて喜ぶ奴なんかいるか! しかも借金漬けだぞ! 七歳のガキにやらせる事じゃないだろう。それとあの時の反応、元明殿と義兄上も事前に知ってた筈だ。どうして一言言わなかった!」


「……そりゃ事前に教えたら絶対ここに来ないからだ」


「当たり前だろう!!」


 義兄上のぼそりと呟く一言に一瞬にしてぶち切れ暴れようとするが、あっさりと羽交い絞めにされてしまう。この時、自分がまだ子供である事をどんなに恨んだか。必死で身体をジタバタさせてもどうにもならないこのもどかしさ。今、周りにいる者達は全て敵にしか見えなかった。


 そんな時、元明おじさんが俺の前で膝を突いて予想外の言葉を投げかける。


「国虎様、今回の件は全て大殿である元親様が承認されたのです」


「……えっ、お爺様が……」


 途端に体中の力が一気に抜ける。ようやく分かった。この一連の茶番は、全て元親お爺様が話を通したからこうもスムーズに進んだのだと。だが何故? 何のために? もしかして俺のテストでもしているのだろうか? いや待て、それよりも……


「義兄上、もう暴れないから放してください。事情は分かりましたが、まずは今回の件で一番気になっている武家にとって大事な土地をあっさりと捨てる理由を教えてください」


 そう、これがずっと疑問に感じていた事である。領主というのはその土地を任された者だ。幾らお爺様の力が強いとは言え、そう簡単に返上させられるような横暴はできない。そんな事をすれば間違いなく反乱が起きる。「代わりの土地を用意する」と言っても嫌がる者が多い時代でこれが考えられなかった。


「国虎様。国虎様にとって、武家は何が一番大事だと思いますか?」


 俺が落ち着いたのを確認したからか、今度は親信の父親である安田益信が質問に答えようと進み出てくれる。今いるメンバーの中では当事者だけに説得力は大きい。


「そりゃ土地でしょう。だからこうして聞いてるんですが……」


「違います。一番大事なのは血です。正しくは家と言った方が良いかもしれませんね」


「家を維持するために土地が必要なんじゃないですか?」


「それが出来るなら問題無いのでしょうが、そういう訳にもいかない場合があるのです。そうなった場合、国虎様ならどうすれば良いとお考えですか?」


 言いたい事は、経営が左前になった時にどんな方法で経営を維持するか? という問い掛けである。こういった場合の一般的な答えは……


「これ以上借金ができないという仮定でしたら、誰かを雇い止めにするしかないでしょうね」


「そうですね。普通ならそうなります。けれども、それで今後が良くなるとは限っていないならどうでしょうか?」


 つまり、リストラしても経営が上向かないなら、それをする意味があるのか? と駄目出しされた形だ。そうなると破産は当然できないし、残る方法とすれば……


「言いたい意味が分かりました。それで俺にやってもらおうという話ですね」


「分かってもらえましたか。後、この狭い地域では雇い止めが簡単にできないという事情もあるのです。帰農 (農民に転職)するにしても、ここでは耕作に適した農地自体の確保が難しいですから。漁師をするにしても船が必要になりますしね」


「あっ……」


 ここで土佐の特殊性に気付く。土佐は山ばかりでそもそも平地が少ない。そうなると手付かずの土地を開墾するという一般的な方法が通用しないという事情があった。勿論、耕作地に向いていない土地を手間暇掛けて改良する方法もあるだろう。しかしそれは、大資本のみに許された方法だ。


 地域や家によって考え方は違うだろうが、俺の知る限り安芸家は一族や郎党を大事にする家であり、家臣にもその考えが浸透している。どうしようもない場合は話は別だが、より家が発展する可能性があるなら土地を手放してでもそちらを優先するという事らしい。


 つまり、経営が上向きになり社員を守れるなら買収にも応じるというのが親信の父親含めた三人の考え方であった。ここでいう買収は借金の肩代わりと権限の委譲となる。この時代でも合理的に判断するとそんな考えも生まれるのか、と物凄く納得してしまっていた。


 そしてここで新たな真実も教えてもらえる。こうまで経営が右肩下がりになったのは、丁度俺が生まれる前の大永六年(一五二六年)に香宗我部家との間に起きた「安芸城の戦い」が原因だと言う。激戦の末、香宗我部秀義を討ち取るという大きな成果こそ上げたが、その分戦費が借金となり重く圧し掛かったというのだ。安芸城周辺は復興と新たな産業で経済が回っているが、ここ奈半利にはその恩恵が訪れていないという皮肉な結果であった。


「……ちょっと待って下さい。ここ奈半利は材木の交易で潤っているんじゃないんですか?」


「運悪く野分で多くの船が駄目になりましてね……」


 悪い事は続くものだ。一発逆転として作った交易用の船が台風で軒並み被害を受けたらしい。こうした切羽詰った内情があったからこそ、今回のお爺様からの話に乗ったという事になる。ようやく話が見えてきた。


 本来であれば安芸城周辺とここ奈半利では、奈半利の方が材木の交易がプラスされる分 (どちらも京方面を中心に海産物の交易はしている)、経済的に発展していないといけない。けれども今ではそれが逆転し、更に落ち込みを続けていた。再発展させるためには思い切った舵取りが必要というのが総意となる。つまり、今回の俺の派遣は実は奈半利一帯を再生させる一大プロジェクトであった。


「ここまでは分かりました。そうすると次の疑問ですが、何故責任者が俺になるんですか? そこまで大事な話なら、それこそ元明殿や益信殿が責任者でも良いんじゃないですか?」


「それに付いては、私が元親様と話し合った内容を伝えましょう」


 これまでずっと沈黙を保っていた親信が我が意を得たとばかりに口を挟む。さっきもそうだが、外向けの言葉遣いがとても気持ち悪いので何とかして欲しい。

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