将を射んと欲すれば

「おー、あそこだ。あそこだ。ようやく見つかった」


 親信との出会いから数日後、一羽との約束を果たすべく河原者達のいる河川敷へとやってきた。当たり前の話だが、こうした大きな河川の周辺は大雨で簡単に増水するので普通は住居を建てない。増水すると建物内に水が入ってくるからだ。そのため、この辺は行政上ある種の空白地帯となっている。


 そこに目を付けて、勝手に住みだしたのがその名の通りの河原者という事だ。例えて言うなら、公園に勝手に住み着くホームレスと同じようなもの。しかも商売もしていたりするので、大阪は天王寺公園にあった無許可のカラオケ屋台と状況は似ている。


 戦国時代も現代日本もホームレスというのはとかく厄介なものである。


 そんな所に積極的に首を突っ込もうとする俺。馬鹿以外の何者でもない。けれども、河原者との繋がりは今後の事を考えると絶対に放置できないという切実な事情があった。


「国虎も物好きだよな。その河原者、大した奴でもないんだろ? 酔っ払いを倒したとかなら分かるけどな……」


「そう言わないでよ、義兄上。俺がアイツの事、勝手に気に入っただけだからさ」


 本日のお供兼護衛兼荷物持ち、安芸 左京進あきさきょうしん。母上の年の離れた弟だ。今は同じ一族で安芸姓を名乗っている。こちらが本当の叔父に当たるが、普段から可愛がってもらっているので勝手に「義兄上」と呼んでいた。気の良い兄貴的な存在である。先日の元明おじさんに比べれば話の分かる人なのでありがたい。俺の理解者の一人でもある。この人がいなければ俺は今日、ここには来られなかっただろう。


 本人は「本家の爺さんからお前の事を頼むと言われたから」と言うが、実際には積極的に協力してくれているほどだ。こういうのを男のツンデレと言うのかもしれない。


「それにしてもこの辺はいつも臭いな」


「ははは……」


 仕方ないとしか言いようがないが、動物を扱う関係上この辺はいつも臭い。これが河原者の嫌われている理由の一つでもある。独特のこの臭いは慣れないと鼻が曲がりそうだ。かく言う俺も手ぬぐいを鼻に当てての移動となっていた。


「それにしてもアイツの家、どうしてこんなに遠い場所なんだろう?」


「その辺りは河原者にも縄張りみたいなものがあるらしいぞ」


 一つだけぽつんと集落 (?)から外れていたので見つけるのは難しくなかったが、到着するまで結構歩く羽目となる。道が綺麗なら気にするほどではないが、当然未整備の河川敷なのでかなり歩き辛い。


 歩きながら義兄上から教えてもらったが、河原者は縦社会らしい。当たり前と言えば当たり前だが、この業界にもルールがありそれを守れない者は容赦無く弾き出され野垂れ死にするしかないという末路である。基本は年功序列。新参者ほど過酷な場所に追いやられるそうだ。


 ……本当、現代のホームレスと変わらないな。


 到着した一羽の家は、簡素なテントのような作りであった。ブルーシートの代わりにむしろを使い雨風を凌ぐ。骨組みはボロボロの木材。台風一つで飛ばされそうだ。個人的にはこれを家とは呼びたくはない。


「邪魔するぞー。約束通り来たぞー」


 暖簾のように垂れ下がった筵を潜り抜けて中に入っても印象はまるで変わらなかった。予想通り地面に筵を敷いただけの雑さである。テントと何ら変わらない。夜寝る時身体を壊すんじゃないのか? そう言えば外には石を積み上げただけの簡易的なカマドがあったな。煮炊きは外で行なうのだろう。


「げっ、本当に来やがった」


「そう言うなよ。きちんと食い物持ってきたんだから歓迎しろ」


 明らかに招かれない客だと分かっているが、平気で腰を下ろす。……狭いな。二畳くらいか? 後、ケツが冷たいし臭い。よくこんな所でいられるな。


「国虎ぁー。俺は外で待機する」


「了解。義兄上」


「何だ? 連れがいるのか? 待たすのは良くないぞ」


「そう言わずに、まずはこれを食ってくれ」


 相変わらず不機嫌な一羽は「帰ってくれ」とは直接言わないものの、その態度から何が言いたいかは明らかだった。けれどもそんな事は気にせず、左京義兄上が置いてくれた風呂敷を引き寄せ……中から笹に包まれた握り飯を取り出す。


 ……とその前に、


 すぐには気付かなかったが、部屋の奥にはもう一人いた。横になっているがこの子が一羽の妹だろう。そしてこの雰囲気。母親がいるような形跡がない。やはりな。


「妹ちゃん、腹減ってないか? 握り飯、美味いぞ」


 俺の言葉に反応してガバっと飛び起き上がるが、手を伸ばしたり近付いてくるような事はない。そうだよな。兄である一羽がいる前でどこの馬の骨とも分からない奴から施しを受ける訳にはいかないだろう。健気じゃないか。しかし、表情自体は物欲しそうにこちらを見てくる。良かった。握り飯が嫌いという訳ではなさそうだ。


「一羽……一言言ってやれよ。食べられないだろう」


 俺の行動に呆れているのか、何も言わない一羽に焦れて催促する。


「あっーもう、お前は何がしたいんだよ、一体。……分かったよ。オイ、食べて良いぞ」


 そこからは物凄い勢いだった。兄の許しが出た途端にあり得ない速さで握り飯を奪い去り口の中へと運ぶ。ハムスターを髣髴とさせる口の中一杯に頬張り咀嚼していく。焦って飲み込んで喉に詰まらせるのはお約束だった。


「急がなくても誰も取らないから。それと、この中に水が入っている」


 と竹筒水筒を傍らに置く。


 そうして無理矢理水を流し込んだ後は、食事の再開。懲りたのか今度はゆっくり味わって食べていた。


「可愛らしい妹じゃないか。大事にしろよ」


「うるさい」


 確かに五歳児が言う言葉ではない。


「なあ……母親も病気か何かか?」


「違う。お袋は男と一緒にここから出て行ったよ」


「……悪い」


「いいさ」


 そうこうする内に一羽の妹の食べるのが終わる。結局食べたのは二個だけ。半分だけしか食べなかった。多分、残りの二個は一羽の分とでも言いたいのだろう。本人が何か言う事はなかったが、したい事は伝わった。


「ああ、悪いな。まだあるから気にしなくて良いぞ」


 一羽の妹の食べっぷりが気持ち良かったので、つい見惚れてしまい追加分を出すのを忘れていた。遠慮させるのは可哀想なので、急いで風呂敷から残りの握り飯や干した小魚、漬け物等を取り出してくる。


「ほらっ、一羽も食っとけ。そうしないと妹が遠慮して食べないぞ」


「……わ、分かったよ」


 そこからはまた無言の食事が始まる。相当腹が減っていたのだろう。二人共がむしゃぶりつくように次から次に食べ物に手を付けていった。途中からは顔が綻び笑顔へと変わる。小魚を摘みながら、俺はその光景をのんびりと眺めていた。


「今日は……その、ありがとうな」


 空腹が紛れたのか、食べるのを止めた一羽が俺の方に顔を向けて礼をする。


「気にするな。……けど、今のままじゃもたないぞ。だから前の話、本気で考えろよ。今回だけは特別に妹と一緒でも良いからな」


 お宅訪問をして改めて確信したが、今の環境で生活を成り立たせるのは相当な困難だ。このままだと一羽の妹が客を取る未来が確定する。そこまでして意地を張って二人で生きる事を選択するのか、それをきちんと考えて欲しいと思った。


「何だよ、その『特別に』ってのは」


「えっ、何? 私の事? 一体どうしたの?」


 満腹になって警戒感が無くなったのだろう。俺達の会話に一羽の妹も会話に参加してくる。自分の事だと思っての事だろう。不思議な表情で俺達を見てくる。彼女の反応で一羽は妹にスカウトの件は話をしていないのが分かった。


「いや……妹ちゃんが可愛らしいから、良い物をあげようって話さ」


「何をもらえるの?」


「食べ物じゃないのが残念だけどな……ほらっ、これ。女の子なんだから、こういうの嫌いじゃないだろ?」


 流れを無視していい加減な事を言う俺を一羽は咎めるように見てくるが、当然無視をする。


 そうして懐から取り出すのは、本日の秘密兵器である漆塗りのくし。乳母にねだって一つ準備してきた。乳母からは「何に使うんですか?」と疑わしい眼で聞かれたが、正直に「友達の妹に渡して仲良くなる切っ掛けにする」と伝えた。そう、よく言う「将を射んと欲すれば」のアレだ。ずるい考え。


 俺からまだ何かもらえると思って喜んでいた彼女だが、取り出した櫛を見てがっくりしていた。食い物以外に反応しないのはちょっと悲しいがここまでは想定内。へこたれずに一羽と妹の両方に断りを入れて実際に彼女の髪を使って櫛の使い方を実演する。


 伸ばし放題の上に枝毛だらけの髪の毛。櫛を入れても何度も引っ掛かる。それでも力任せに通したりはしない。根気強く痛くないように何度も繰り返す。鏡がないのが残念だが、これは外に出て水面を使ってもらおう。


「よしできた。河でちょっと自分の姿を見てきな」


 最初の内は若干嫌がっていた彼女だが、気が付けば素直に俺に任せるようになっていた。とは言え、俺は男の上にまだ子供。仕上がりは結構いい加減なものだ。それでも、普段と違う自分に喜んでもらえたなら嬉しい。


 なお、この作業の間一羽は俺が何をしているか分からず、怪訝な顔でずっとその動きを見ていた。


「凄い、凄い! 兄ちゃん見て!」


 喜び勇んでテントへと一羽の妹が戻ってくる。やはり女の子だ。変化した自分にとても喜んでいた。


 ここで一羽も一言で良いから褒めてやれば良いものを、「おおぅ」とかでしか反応できない悲しさよ。仕方ないと言えば仕方ないだろうが、それでは女の子にモテないぞ。


 もうここまで来れば、後はそう難しくはない。鉄は熱いうちに打て。トドメはこの雰囲気に乗じて誘いの言葉を掛けるだけであった。


「うん、綺麗になった。櫛、気に入ってくれたか? 御飯は美味しかったか? これからもこんな生活がしたいだろ? どうだ、俺の所に来ないか?」


「行くぅー!」


 完・全・勝・利。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 七日後、俺達四人は近くの寺に来ていた。我が安芸家の菩提寺である浄貞寺じょうていじである。お爺様である安芸 元親が建てた寺だ。相変わらずお爺様の影響力は強い。お陰で何をするにしてもある程度の融通が利く。今回もあっさりと了解が出た。


 何故ここに俺達が来る必要があったかと言うと……平たく言えば経歴のロンダリングである。


 俺としては一羽達兄妹はそのまま来てくれても良かったのだが、やはりと言うか現実にはそう上手く事は運ばない。


 まず、二人の住む場所を全く考えていなかった。


 二人の家があそこまでのボロかったという事を俺が想定していなかったというのもあるが、正直な所あの家では洪水や冬場の凍死を覚悟しなければいけない。筵を一枚隔てているとは言え、土の上で眠るのは体温を奪われる。


 それと外聞的な問題。左京進義兄上が言うには、河原者をそのまま雇うのは様々な理由で無理があるようだ。


 一番大きなのが「けがれ」の概念である。こんなのは迷信でしかないが、安芸領でも気にする人は意外といるらしい。そんな穢れを持った人間が俺の近くにいるのが問題なのだとか。因みに義兄上はそういうのは気にしないと笑っていた。


 そう言えば河原者は被差別部落の原点だったと思い出す。神仏や妖怪変化が当たり前のように信じられるこの時代で、オカルトを否定するのは至難の技……というか説得するのが面倒なので抜け道を使う事にした。具体的な方法としては、一度この寺に二人を預ける形となる。


 現代でも北朝鮮製のしじみを一度日本の海にばら撒いて再収穫し、「日本製」と偽るやり方と同じだ。つまり、一度二人を寺に預けてから雇う。こうする事で二人は河原者という過去が消えるという寸法である。当然、以前はどうだったかと聞かれた場合はいけしゃあしゃあと「捨て子」と言うように口裏を合わせる事も忘れない。完璧な策と言える。


 後は俺の部下になるには、最低限の知識や礼儀作法等の教育をする時間も必要だという切実な理由もあった。


 寺での生活は二人にとっては居心地が悪いとは思うが、それでもあのテント生活に比べれば何百倍もマシだとは思うので頑張って欲しい。それに僧として入る訳ではないから、まだ楽な方だろう。


 予定としては、俺が奈半利に行くまでの期間である。その時二人は連れて行く。


「折角櫛を渡したのに髪の毛を全部剃らないといけないのは残念だな、和葉かずは。また伸びてくるからそれまでお預けだな」


「……」


 結局一羽の妹も名前がなかったので俺が付ける事となる。「和葉」と名付けた。兄妹なので語呂を良くした感じだ。本人は結構喜んでくれたので良かった。


 あの日以来俺達二人は仲良くなる。どちらかと言うと食べ物で餌付けしているようなものだが、和葉は俺の顔を見ると嬉しそうに寄ってくるようになった。兄の一羽はそれを見て白旗を上げるしかなく (この時代の降参は笠を振るなので厳密には違う)、観念して俺の話を受けてくれた。あの時の「そこまでするか」という呆れ顔は、きっと忘れられないだろう。凄く変な顔だった。


 そうそう。僧になる訳でもないのに髪の毛を一度全部剃るのは理由がある。経歴的に別人となるなら、外見としても別人になった方が都合が良いという判断だ。これで近くの河原者が見てもすぐには誰か分からなくなるだろう。当然、衣服も変える。後は、髪の毛が不衛生過ぎるので何とかしたかったというのもあった。


「それじゃあ住職様、宜しくお願い致します」


「賜りました」


「一羽、和葉、ちょくちょく遊びに来るからな! 二人共頑張れよ!」


「絶対だよ」


 悲しそうな顔で俺を見送る和葉に後ろ髪を引かれる思いがあるが、二人の未来を考えればこそ。俺も二人に負けないよう頑張らないといけない。


「国虎、その年で女を泣かしやがって……」


 帰り道、何故か俺は義兄上からひたすらからかわれ続けた。

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