第15話 少年と少女が出逢った日①

 藻香は境内で顔と身体の火照りを冷ましていた。身体が熱く感じるのは湯船から出た直後だけではない。

 燈火とのやり取りで発覚した自分の無防備さを思い出し、再び顔が熱を帯びる。そんな自身の頬に両手を添えて藻香は悶々としていた。


「これじゃ、私の方がエッチじゃない。もっとガードをしっかりしないと。――でも式守燈火君、か。初めて会った時のあの懐かしい感じ。やっぱり私は彼と何処かで会っているの? もしかしたら、今じゃなくてあの頃? ――まさかね」


「こんな夜分に女性一人で散歩ですか? それでは例え誘拐されたとしても文句は言えませんよ?」


 独りごちていた藻香の耳に聞きなれない男の声が聞こえてくる。


「誰っ!?」


 驚いた藻香が声の聞こえた方を睨むと、明かりの届かない闇の中から般若の面を着け、全身を覆う黒いマントに身を包んだ者が姿を現した。


「今晩は、玉白藻香さん」


「あなた、随分と怪しい格好をしているわね。そんな姿で夜道を歩いていたら即通報されるわよ!」


「ご心配には及びません。夜の闇に溶け込むのは慣れていますから。一般人には私の姿を認知する事は不可能です。万が一この姿を捉えることが出来たとしても、その事実を消す事など造作もありませんし、ね」


 般若面の男は物騒な内容を至極当然と言った声色で話す。人の命を顧みないその姿勢を前に藻香は全身に鳥肌が立つのを感じた。


「あなた、正気じゃないわね」


「正気ですよ。ただ、私という存在があなたの常識の範疇はんちゅうから逸脱しているだけです。――もっとも、あなたの存在にしても世間一般の常識から随分と逸脱しているのですよ? 自覚、あります?」


「――くっ!」


 藻香は唇を噛む。相手の言葉に悔しさを滲ませるも言い返すことが出来ない。今しがた敵が言い放った事は、藻香が物心ついた頃から自問し続けてきた事だから。


「そう言うって事は私が何者なのか知っているってことよね。ハッキリ言って今の私には、あなたたちにとって何の存在価値もないわよ!」


「そうですね。確かに今のあなた単体ではそうなのでしょう。――でも、条件が揃えば話は別です。百鬼夜行、いえ荒魂あらみたまより生まれし者たちにとってあなたの存在はとても重要なものになる。少なくとも、この国の人間社会を破壊するのは造作もない。違いますか?」


「そう言うことか。――でも大人しく捕まってあげるほど私は素直じゃないわよ!!」


 藻香は胸元から護符を取り出し敵に向かって構える。

 だが、般若面の男はいたって冷静だ。素顔は確認出来ないが余裕に満ちた笑い声が仮面の奥から聞こえてくる。


「抵抗するのは構いませんけどいいんですか? 今のあなたの力でどれだけの事が出来るのか。半端な力で暴れまわれば身近にいる大切な人が巻き添えを食いますよ?」


 藻香はハッとして自分の家の方を見た。


(――お婆ちゃん!)


「大切な家族なのでしょう? 以前のあなたが切望し、やっと手に入れた血の繋がりなのでしょう? いいのですか、こんなところで失ってしまって。後悔しませんか?」


 般若面の男の問いかけに、藻香は護符を構えていた手をゆっくりと下ろしていく。


「いい判断です。大人しく私と来ていただければ、ご家族に危害は一切加えません」


「その約束――必ず守りなさいよ」


(ええ、守りますとも。少なくとも私は、ね。それ以外の者がどういう行動を取るかは私の管轄外ですが)


 俯く藻香の周囲を厚い雲から姿を見せた満月が淡い光で照らし出すと、彼女の金色の髪は月光を反射し輝いていた。

 藻香は先程まで闇に包まれていた場所に般若面とは別の存在がいることに気が付いた。

 それを目の当たりにして彼女は声を失う。

 

『オオオオオオオオオオオオオオッ!』


 それは高さ五メートルほどのあやかしだった。堅牢な体躯を持った黒色の人型で、大きく発達した両腕の先には鋭い爪があり怪しく光っている。

 何より藻香が息を呑んだのは、その頭部だった。体幹のサイズと比較してやや大きめのそこには、無数の人の顔が貼り付いていた。

 眼球こそ存在しなかったが、その顔の一つ一つは何かを訴えるかのように苦悶の表情を浮かべている。

 藻香はそれを一目見て、胸が締め付けられるような思いに駆られるのであった。


(――酷い。こんなの酷過ぎる!)

 

 藻香の目から涙がこぼれ落ちる。その様子を見て般若面の男は満足そうに笑い、藻香の前に立つ妖に彼女を捕らえるよう指示を出した。


「では一緒に来てもらいましょう。――彼女を傷つけないように優しく掴むのですよ」


『オオオオオオオ』


 妖が無抵抗の藻香にゆっくりと手を伸ばす。だが、その手が彼女に触れることは無かった。

 その直前に何かが彼女をさらっていったのである。その一部始終を見ていた般若面の男がその元凶を睨み付けると、視線の先には黒い袴姿の少年がいた。

 彼は両腕で藻香を抱きかかえ、背中を般若面たちに向けている。その少年の顔を藻香は茫然とした表情で見つめていた。


「え……どうして……あなたが……」


「遅くなってごめん。でも、もう大丈夫だから安心しろ」


 般若面は若干苛立ちを含んだ声で、自分の仕事を妨害した少年に問いかける。


「お前は何者だ?」


 その質問に対し、黒い袴を纏った少年――式守燈火は般若面の男に振り向き、鋭い眼光を叩きつけながら答えるのであった。


「俺か? 俺はただの通りすがりの――退魔師だ!」

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