こどもの目

小谷聡明

第1話 太陽と天井

 「ジリジリジーリ?」

 太陽さんは大きく手を広げて、公園一帯を包み込みます。

 気温は三十度を超える真夏の日差しで、私のベビーカーではもっと高く感じますが、お母さんがタオルで汗を拭ってくれたり、ストロー付きの水筒で麦茶を飲ませてくれるので、もしかすると太陽さんとは友だちになれないんじゃないかと思ったりもします。

 「太陽さん。暑いと言われて悔しくないの?」

 「ジリジリ」

 「そうなんだ。ところでお友だちはいる?」

 「ジーリリリ」

 「好きな子とかいないの?」

 「ジリジリじりじじじ」

 「私はね……」

 屋根の下に入ると、太陽さんと会話がまともにできなくなりました。良いところだったのに、と駄々をこねてもお母さんは気が付きません。大人といっても暑さには強くないようです。私はと言えば、友だちとはしゃいで回る男の子たちを見て、早くあの滑り台の上からの景色を眺めてみたいと思いました。ベビーカーに縛りつける何かに勝つことができません。

 普段はお昼寝のあと、おやつを食べる前にここにお散歩だと言って連れてこられるのですが、今日はなぜか眠れなくて、お昼寝を済ませていないままなので、おやつを待ち望んでいる私と、睡魔に襲われる私とが、その座席で戦っています。

 私の重たいまぶたを覗いたからか、お母さんがお家に帰る気になったので、お家までの道のりをお昼寝の時間にすることにしました。

 「ジリジ」

 太陽さんは私が眠たいことなど関係がないので、容赦なくアスファルトから反射する光と熱気で攻撃してきます。

 「ジリジリリ」

 「暑いよ?眠たいよ?」

 何を言っても、人間の言葉を理解できない彼には届きません。そうやって言葉を重ねて、時間が経てば、私と太陽さんにも通じるところが生まれると思うのです。

 今日は眠らせてくれそうにありません。太陽さんがその気なら、私は寝ないでいてやろうと熱くなりました。眠たい私を寝させない太陽さんがいるなら、私に寝る気がなければ、太陽さんの負けだと思ったからです。

 お家の玄関をくぐる頃にはすっかり眠気も飛んで、太陽さんはオレンジ色をしていました。公園での勢いはなくなって、口も開かなくなった太陽さんと、ここまで連れてきてくれたお母さんの汗は、相対する景色なのに同じ色をしていて、とても綺麗でした。

 きっと、お父さんはこの綺麗なお母さんに惚れたのだと、立派なお母さんになりたい私は思いました。今日の勝負は私の勝ちだとも思いました。

 朝、目を覚ますと、隣にお母さんはいませんでした。日曜日と言われる1日が始まって、お父さんがお家にいることが楽しみで仕方なかったのでしょう。早起きをしてしまったのだと思います。

 私は賢いので、起きたからといってそんなに簡単に泣き叫んだりしません。ごろんと寝返りをうって、畳の線を見つめます。襖の隙間から朝日が漏れて、二人が生活をしている音が聞こえてきます。お母さんの勘は鋭いと言いますが、私の目覚めに気が付いたのか、こちらに近づいてくる様子が影が教えてくれました。

 「おはよう…」

 微かに漏れる声は、寝ぼけている私を傷付けないように配慮してくれたのだと思います。私が挨拶を返す間もなく、後ろからお父さんも顔を出しました。

 「お父さん、おはよお!」

 言葉にできていないみたいで、返事の一つもありませんが、その代わりに私の顔を見るたびにふふふと笑顔になっています。そんなことをされると私にも移ってしまうので、これを戦いとするのなら、お父さんの勝ちです。

 まだ朝ごはんの用意ができていないのか、私をいつもの席に連れて行ってくれないので、私は二人には見えない景色を楽しむことにしました。

 「もしもし、天井さん。そんなに高いところにいて怖くない?」

 「ズズズ…ズモ」

 「私は高いところが苦手だから、きっと大きくなってもそんなところにはいけないわ」

 「ズモズズ」

 「でもね、お父さんに抱っこしてもらうのは好き。高いけど、怖くないの」

 「モモズズードン」

 このお家で唯一、私の話し相手になってくれる天井さんに、お気に入りの席を教えてあげました。彼らはたぶん私よりも長くお父さんたちと一緒にいると思いますが、一度も抱っこをしてもらったことがないようです。

 優越感に浸ることができた私は、彼ら一人ひとりに目配せをしてあげました。彼らにとってはウィンクと言って、いつも上から見ている心を落とされた感覚になるおまじないのようです。

 ちょうど端っこの天井さんにウィンクを飛ばしたところで、フライパンで油が跳ねる音が止んで、お母さんがエプロンを外しながら、私を連れに来ました。その間にお父さんが食卓にご飯を運ぶというのが、二人の共同作業になっています。

 天井さんとお別れをして、白いシャツを着ていないお父さんのところに運んでもらいます。

 私を固定するように木で囲まれた椅子に座ると、ぴったり全部のお皿を運び終えたお父さんも座りました。時間を計っているほどに正確なお父さんはすごいです。


 朝ごはんを食べます。変わり映えのない野菜ジュースに、区切られたプレートに少しずつ乗ったおかずとご飯が並びます。同じものを口にしているといっても、日によって気分が違うので、味も変わっているように感じます。今日は、お父さんとお母さんが楽しそうなので、ちょっとだけ美味しく感じました。

 いつもと変わらないことと言えば、野菜ジュースがそんなに私の口に合わないということくらいです。

 お父さんたちはお茶碗という別のお皿に盛られたご飯を食べています。量も桁違いで、いつか私もあれくらいたくさんご飯が食べられるのかと思うと、大きくなるということが楽しみで仕方ありません。ご飯好きにはたまらない、夢のようなサイズです。

 「何年ぶりだね」、「改装があったみたいだよ」と二人の会話にはついていけません。

 「ねえ、どこか行くの?」

 もちろん聞くこともできません。お母さんはうふふと笑って、私にご飯を食べさせてくれるだけです。

 最後の一滴まで残さずジュースを飲みました。お母さんが褒めてくれるからです。私はそれだけで幸せです。

 すると、お父さんが普段のシャツとは違う綺麗な洋服を着て、私の元にやってきました。お母さんの代わりに私を見ておくからと、前の席に座りました。その間に、お母さんはおめかしをするようです。

 「どこに行くでしょう?」

 お父さんがクイズを出してきました。公園に散歩に行ったことしかない私にとっては、行くところというのは公園しかないので、実質一択のクイズです。でもそんな訳はないので、とっても難しいクイズです。

 「楽しいとこ!」

 「ふはは!まあ、楽しいところだよ。きっと」

 お父さんの言葉も理解していなければ、お父さんも私の言葉が理解できていないはずですが、どこか話のつじつまがあったような気がしました。

 たまにはこうして二人で時間を過ごすのも良いなと思いました。

 クローゼットから戻ってきたお母さんは、お散歩の時とは全くの別人で、とっても綺麗でした。そのくらい気合いの入れ方が違うということは、何か思い入れのあるところにでも行けるのかもしれないと思いました。

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