第15話 アシュールの事情

 「ところで町の鍛冶屋に行きたいのだがどれくらいかかるかな?」

「ああ、最悟君のところですね。」

「最後?」

「いえ、多分字が間違ってると思いますが、そうです。」

 立ち上がったユキに始乃は近づいていく、蛇のような感情のない目で狙いを定めながら。

「走れば10分ユキさんでも歩けばニ日はかかりますね。」

 おかしな勘定だがここで迷ってはいけない、そういうことなのだろう。始乃の突然の変貌に驚きながらもユキは一歩彼女に近づき罠を解呪する。

「やはり手慣れていらっしゃるのね。」

 "たらしの聴雪"とは再び言葉にして発することはなかったが無表情だった始乃の瞳が熱を帯びてユキを見つめる。

「まあ、なんと言うか呪解が得意なだけだな。」

「私のチャームは異界、、いえ何でもありません。」

 言いかけた言葉を始乃は飲み込み。

「鍛冶屋の砦への道は迷わず走り抜けてください。分かれ道で立ち止まってはいけません。あそこの女たちと一緒でたちが悪いものなので気を付けて下さいね。」

 そう言いながら始乃はユキに近づけるだけ近づき彼の襟を整え、スっと心臓の辺りを触れるか触れないかのタッチで上目遣いにユキの様子を伺う。

「まだ未熟なのですぐに接近を許してしまうんだ。気をつけてはいるんだが女性との距離がよくわからない、そのぶん誘惑をはねのけるのが得意になってしまって、、面目ない。」

 砦の質の悪い女の誘惑ごときにユキが乗ることはないと確認できたが自分の渾身の魅惑の術もいとも簡単にはねのけてしまう男に始乃は、苛立ちというよりも少しの寂しさを覚える。だがこれはアシュールが抱える深刻な問題であり、ユキの持つ特別な能力が起因するものなので今のところ解決方法はない。

 アシュールは基本男女一対で行動する。人間的な弱点や個人の能力を補うためだと言われているが、ただ何処にも明確な答えはない。野生動物のように広いテリトリーを別々に行動する生き方もあり、いつも一緒に行動する事を基本にする生き方もある。ユキは後者に当たりそのパートナーは現在不在だ。少し年齢が離れていた、という記録もあるが記憶を失ったユキにそれを確認する術はない。千年、日本の歴史で言えば平安時代中期を最後にユキはこの異世界戦争から姿を消していたことになる。 

 確率的には彼女がこの世界に転生しているのは間違いないのだが半ば諦め気味に失った記憶を探っているのが現状だった。師光刹から明言はされていないが、もしかしてこの三姉妹の一人が、と考えてみないわけではない。しかし、記憶のあるはずの彼女からアプローチはなく、棒で突かれ何が出てくるか探られている感はあるのだが期待薄だと、こんな美女や美少女達が自分のパートナーであるはずがないと考えていた。 

 始乃と寂しい別れになってしまったが、まあ、いつものことだとユキは思うことにした。恋愛経験がないわけでも恋人がいなかったわけでもない、ただ煮え切らない男に女は愛想を尽かし離れて行っただけだ。ユキの心の奥底に愛しい女が住んでいるのを知られてしまい傷つけてしまっただけだ。もちろん始乃が自分に恋心を抱いているなど自惚れてはいない、ただ早々に気づかれてしまったことがユキを憂鬱にする、ただの男の醜い本能、それだけだ。

 結界を超え霧の中に身を投じる。昨日あの少年が向かった方向へ寸分の違いなく滑り込んでいく。600秒無呼吸で走り切る覚悟で、質の悪い女のことを考えながら、なぜ師匠が始乃の前で異世界からの亡命者の話をしなかったのか、心の引っている何かをどちらかと言うと、いらんことを考えながらユキは走る。いらんこととは承知しているがそれを精査するのが彼の生命線でもある。

 あっ、きっちり600秒、霧の向こうに突然壁が現れた。先端を鋭く削られた三メートルほどの太い丸太が隙間なく地面に打ち込まれた壁にユキは、危うく激突しそうになるがなんとか踏みとどまった。門番らしき髭面の男がびっくりした顔をして壁の上からユキを見下ろしていた。

「だっ、誰だ!」

「昨日から寺で世話になっている原野聴雪と申す街の様子を見に来た開門願おう。」

 男の顔はさらに驚いた顔になったが、"暫く待たれよ。"と言うと顔を引っ込めた。それから、"大変だ〜"、"お館様はどこだ"、"女を隠せ"、"いや早く門をお開けしろ"、中は大騒ぎの様子でユキは自分が何か勘違いをしてたのかなと考え込む。

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