第14話 至福のコーヒータイム
まだ食堂にいるかな。始乃に出かけることを伝えようとそちらに向かう。街の事も少し知りたいと思ったのでコーヒーでも入れてもらおうと部屋に戻り、取って置きのジャマイカコーヒーを引っ張りだした。コーヒー好きには夢の一品だ、衣服を捨てて詰め込めるだけ詰め込んできた。しまった、着替えがほとんどない、街に行けば衣料品も買えたらいいなとユキは思い出す。
バックパックに大量のコーヒーと鉱物と乾燥した植物やその種子サンプルそして怪しげな咒術具等。機内に持ち込もうとしたら手荷物検査場で間違いなく止められると予想できたので預けることにした。が、それ一つで重量オーバーになり衣類を廃棄したのだった。上のクラスの席であれば問題ないのだが必要にない贅沢はしないのがモットーだった。
アシュールは最高位の戦士だ。彼らに上位の存在は居ない、全て自己判断と責任で行われる。この国で彼らを支援するのは宗派の垣根を超えた宗教組織でその存在は深く隠匿されている。予算の上限も設定されてなければ義務も発生しない。ユキが行なっている海外での活動もあくまで任意の依頼であって宗教界の文化交流の一貫として扱われている。師匠光刹との関係もあくまで個人的なものだ。扱いはご本尊様並みの待遇なのだが人間としてのしがらみがないわけではない。
「始乃さん、すまないちょっといいかな。」
やはり食堂の厨房で下準備をしていた始乃に声をかける。しかし、彼女の表情は明らかに不機嫌なものだった。ガムを2あるいは3枚まとめてクッチャクッチャと噛みながら小鼻を膨らませ返事はない。ニ女に奪われたガムが既に彼女の手に渡っているようだ。
「コーヒーは好きかな?ほらこれを。」
ユキがドサリと麻袋に入ったコーヒー豆をテーブルに置くと始乃は瞳を輝かせ、いそいそと厨房から出てきた。
「なぜ私がコーヒー好きだとお気づきになったのです?」
「先ほど片付けを手伝った時、豆挽き機やフレンチプレスのサーバーが目に付いた。師匠はコーヒーを飲まないからな。」
「いいんですか?お高いんでしょう。このお豆。」
さすがコーヒー好き、袋に押された刻印を見てその豆の価値に気付いたようだ。
「趣味を共有できる喜びは何ものにも勝る、それに現地調達品だ、裏のルートに通じた友人に分けて貰ったので適正価格だ。」
「朝お出しすればよろしいですか?」
「あなたの飲みたいタイミングで結構だ。」
始乃は考える間もなく立ち上がりお湯を沸かしに行く、その時テーブルの上の小皿に噛みかけのガムを置いていった。ユキはそのガムを凝視する。一体これは何だ、美女の噛みかけのガムが、どれほどの喜びを生み出すものか想像もつかない。彼は変態ではない、ただ物に付随する価値を洞察するのが好きなだけだ。
ユキは麻袋の口を開き始乃が用意したキャニスターや茶筒にコーヒーを小分けしていく。豆挽き機も出されていたが、それ以上の手伝いはお願いされてからのことだ、彼女の喜びを奪ってしまうかもしれない。案の定彼女はガリガリと自らの手で豆を挽き始めた。このコーヒーの与えてくれる最高の時間だ。香りが部屋を満たしていく、挽いた豆をサーバーに移し少し冷ましたお湯を加えると香りがさらに深みを増す。そして始乃は瞳をとじてゆっくりとプレスする、きっと彼女がたどり着いた最上のタイミングで。
至福の時間が過ぎて行き正気を取り戻したユキは外出の予定を告げようとするが、先に始乃が言葉を発して来た。
「"たらしの聴雪"って本当だったのですね。」
「やめてください、俺は"狂ったアシュール"ですよ誰もまともに相手してくれるわけがない。」
「それはユキさんの勘違いだと思いますがそれはそれで良いです。私にとっては都合が良いので、、、。」
「え、なんです?」
始乃はふふっと笑ったまま答えない。ユキは外人顔の和風美人の微笑みにとろけそうになるが踏みとどまる。ユキさんと呼んでくれるようになったのも嬉しかったが自分の掟の中で生きている以上流せることは出来ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます