第48話


 聳え立つ壁と見紛うばかりの肉体だった。


「……もしかして、喫茶店経営とかされてますか?」


「……ここは民宿だ」


 なるほど。


「元外人部隊所属の傭兵さん、ですね?」


「地元の工業高校出身の日本人ヤボンスキだ」


 然り。


「お名前に鳥系統の文字が入ってますよね?」


「どちらかと言えば無機物だ」


 ま?


「失礼しました。何泊かお願いしたいんですけど、空いてませんよね? 伊集院さん」


「オレの名字は店名通りだ。運が良かったな、ニィちゃん。一月先まで予約が無い」


 然もありなん、だな。


 二メートルを越える長身に浅黒いマッチョな肉体。冬だというのに半袖で、しかし寒さを感じさせない盛り上がりを見せる筋肉は、きっと九ミリぐらいの弾丸なんて屁の突っ張りにもならないのだろう。色落ちした藍色のエプロンには真っ二つに折れた木のマークに、ローマ字で『katagi』とプリントされている。折れてんのかよ堅くねえのかよ、というツッコミ待ちに違いないから触れないでおこう。


 スキンヘッドにサングラス。あんたもう狙ってるだろ? という風体。


 手にした象さん型のジョウロは、直前までプランターに水をやっていた名残だそうだ。知らんがな。


 そういえば、あれの渾名も海に現れるという妖怪の名前だったなぁ。


 などと呆然。


 なんで来ちゃったかなぁ、海……。


 隣の黒い畜生より化け物ちっくなマスターが、歯ぐきを見せるような嗤い方で、


「民宿カタギへようこそ、お客人。歓迎するぜぇ」


 そう、告げてきた。


 確認するように足下を見ると、必死に前肢を舐めて毛繕いしていた黒猫が、合図に気付いて声を返す。


「ニャ〜〜」


 なんで猫のフリをしているのか、おじさんにはよく分からないよ……。


 これには猫のフリで、普通っぽい女の子には話し掛けるというのだから……。


 妖怪って不思議。


「うちはペットも可だ。猫用のトイレも置いてある。ただし別料金だ」


「あ、そうですか。ありがとうございます、よろしくおねがいします」


 おじさんの視線を勘違いしたマスターが、しかしおじさんの最後の望みを断ってきた。


 もはや頷く以外の術を持たない小市民。


 ここまで来て「やっぱり止めます」とか言えないよな。


 おじさんは初めて入った居酒屋で、好きなメニューが無いからと立ち上がれる強者ではないのだ。


 誘導されるままに車で庭へと突入。


 中々の広さを持つ庭兼駐車場には、駐車線なんてものは無く、「適当に駐めろ」との言葉を頂いた。なのでなるべく邪魔にならなさそうなところに車を駐車。


 降りるべきか否か……これは躊躇。


 しかし考える時間は与えられず。


 近づいてきた影と目が合えば、顎で付いてくるように促されたので、されるがまま。荷物を持ってドナドナだ。


 やってきたのは六畳間。


 但し侵略者が不在。


 テキパキと猫用のトイレを設置する働き者から離れて、お泊りセット荷物を部屋の隅へ。


「風呂は夜の十時までだ。夕食は俺が寝る前ならいつでも構わん。持ち込みもしていい。布団はそこにある。一泊四千で三食付くが、クレームは受け付けん。アレルギーがあるなら言え。質問は?」


 注意事項を何故か正座で聞き受けるおじさん。


「あ、はい。あ、いや、無いです。ありがとうございます」


「料金は纏めて後で徴収する。そんじゃ、ごゆっくり……」


 何それ怖い。


 ドスドスと巨体を揺らして消えていくマスターを見送る。


 宿泊施設で後払い、しかも破格の安さという設定に驚きよりも恐怖を覚えた。


 良心的なのにボッタクられる気がしてならないのは何故なんだろう?


 対価が命的な物ではないことを祈ろう。


「とりあえずそこら辺の柱や床で爪研いだら殺す」


「……宿主はニャンコをなんだと思ってるニャ?」


「黒いシミ」


「明後日の解答過ぎて怖さが湧かないニャ」


 前肢を突っ張って背筋を伸ばす猫に注意する。おい、やめろ。それは猫のポーズじゃないか。女性以外がするのは冒涜だぞ?


「……窓から庭に出入りできるようになってるのか」


 西日が差す窓からは庭が見える。


 マスターが水をやっていたという花々も、絶妙な配置で視界を彩る。車が置いてあるのは道路沿いの庭なので、裏手に周る形になるこちらの庭からは見えない。


 角度を変えて立ち上がってみれば、ピンクや白い花々が飾られている塀の向こうに微かに海も見えるという。


「……なんだろう? 全然そんなことないと思うんだけど、やたらあの花の下が気になって仕方ない……」


 所謂、桜の木の下的な?


「宿主、ビビリ過ぎニャ」


「お前は知らないから……」


 なんにも知らないから。


 ……まあ、とりあえず、宿は見つかったんだから。良し。


 これで寝床の憂い無く仕事に望めるぞ!


 久方ぶりのお仕事に、社畜魂がうずうず。


 ええ、もうだいぶダメですが何か?


 沸き立つ心のままに歩き出すと、黒猫が訪ねてくる。


「どこ行くニャ? ご飯たべないのニャ?」


「いや、まずは確認が必要だ」


 黒猫を余所に、おじさんは押し入れなんかの見分を始めた。


 もし対戦車ライフルとか地対空ミサイルとかあったらダッシュで逃げよう――――なんて考えながら。


 だってヤボンスキって……普通言わないよね。


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