二章

第39話



「……無い」


 年末を意識し始めるこの時期に、自宅にて転職サイトを眺める三十半ばってどうよ?


 寝間着のまま、コタツにてノートパソコンを睨む。


 ズラズラっと並べられた検索条件は、妥協と諦めで削られ、残ったのは『自宅周辺』だけだというのに……。


 検索結果は0を記録。


 他にやることもなく「貯金が趣味です」と言い切れる中年としては、突然の解雇にも対応出来ると思っていた。


 ……時期もあった。


 計画としてはこうだ。


 貯金を切り崩しつつ、仕事を探す。


 終わり。


 お蔭様で転職や再就職の厳しさを把握。


 おじさんはもう少し簡単に考えていたよ。


 就職不況を謳う世の中だろうが、数多あまたある転職サイトやサクセスの成功談がおじさんの中の就職感を軽くした。


 言うて見つかるだろうよ、と。


 しかしいざ探してみるとなると、これが中々見つからない。


 というのも、普通に出されている求人には、邪悪な一文が添えられているゆえ。


 『年齢30歳まで』


 これだよ。


 おじさんとは、新しく始められない生き物なのか……。


「このままじゃ、魔法おじさんが無職のおじさんにジョブチェンジしてしまう……」


 ぐぐぐぐぐぐっ。


「んニャ? どうしたニャ?」


 あら、こんなところに牛肉が?


 ストレスの捌け口を求めていたらノコノコとやってきた黒猫。猫なのに。亀のフリしちゃって。


 なんの用があるのか、時たま屋外へと出掛けていく黒猫。恐らくは散歩だ。昼日中の暖かい時にしか行かないし。


 その伸び縮みする尻尾で窓のカギを開けて、猫の手で人よろしく窓から出ていく。四足歩行で。


 猫なのか人なのかハッキリして欲しいものだ。


 外に出たら尻尾を伸ばさない、人前で人語を話さない、この二つを条件に許可しているが、怪しいものだ。妖怪あやかしだけに。


 黒猫に四畳半二間キッチン風呂付きのアパートは狭いのだろうか。まあ、猫ってそういうものだし。


 ただ、しっかりとカギを掛けたにも拘わらず、気付けば部屋の中に居るのはなんでなん?


 穴か? 穴でもあるんか?


 いつの間にか室内にいるのはやめろ。追い出した気になっていたおじさんが可哀想だろう?


 今も、窓からじゃなくキッチンからのご登場だ。外に出ていた筈なのに……。なんでそっちからなのか?


 まあ、今はいい。


「黒猫くん、いいところに来たね?」


「なんニャ?! やめるニャ! やめてニャ?! ニャンコは何もしてないニャ?!」


 俺もまだ何もしてないだろうが。


 ただスマイルを向けただけだというのに、部屋の隅で毛を逆立て始める黒猫。笑顔は人間関係を丸くするためのヤスリだというのに……やれやれ。所詮は畜生か、人の気持ちの機微に疎い。


 尻尾でバリケードを張るのは止めなさい。猫に見えないでしょうが!


 全く。


 溜め息を吐き出しながら、そこじゃ寒いだろうと黒猫を回収するためにコタツを出る飼い主の鑑。


「くるニャ! くるニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!」


 錯乱する黒猫を見て、ふと思い付く。


「きっと狂ぅ」


「なにを言ってるのニャ?」


 素に戻る黒猫。錯乱はどうした?


 ……いいんだ。猫に人の文化は分かるまいて。


「しかし今ので罪を重ねたな……」


「ニャンコはなにもしてないニャ?!」


「罪人は皆そう言うんだ」


「フニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!」


 もはや猫なのか毛玉なのか分からなくなってしまった黒猫。尻尾というより縄で編んだボールのよう。


黒猫ボールは友達」


『なんかニュアンスがおかしいニャ?!』


 ブンブンとコーナーキックの練習よろしく足を振る。


 他意は無い。


 室内に籠もり切ってるから運動しようかと。


 あれだよ、健康。健康のために。


「健康のために…………犠牲は惜しまない方向で」


『不老薬を求めた帝と同じこと言ってるニャ?!』


 マジかよ帝さん。


 気が合う〜。


「後述のために聞いておこう。その帝さんの、所業とやらを」


『参考じゃないのニャ?』


 うん。


 だってもう、喋れなくなるだろ?


 シュルシュルと尻尾を巻きつけて厚さを増していくボールを、一先ず抱えてキッチンへ。包丁、まな板、調味料。寸胴、寸胴……あれ? 寸胴鍋どこだ? 寸胴……無いなぁ。


「なあ、土鍋でいいか?」


『なんの話してるニャ?!』


「なにって……お昼ご飯だよ」


 勿論。


 おじさんは思うんだ。


「天丼は、よくないよな? よくない……」


『絶対違うこと言ってるニャ! なんかおかしいニャ?!』


 何もおかしくはない。おかしいのはお前の存在だ。


 仕事でストレスを貯蓄するおじさんに、これ以上の心配事など不要なのだ。


「目の前のことを一つずつ片付ける。それが、解決への第一歩になる……と信じてる」


『なんの話ニャ?! ニャンコになにをする気にニャ?! 宿主おかしくなったのニャ?!』


「おう、お蔭様で。すっかりおかしくなっちゃって」


 俺の人生。


 終わっていた俺の人生が、この猫の登場でだいぶ傾いてしまった。


 斜め下に。


 休日は日がな一日を体を休めることだけに使う生きてるのか死んでるのかよく分からん仕事人間だったともああだったともさ「偶には映画でも見ようか」で映画館じゃなくレンタルビデオ屋でDVDを借りて見るものぐさ人間なうえに上映一時間を過ぎて「……これ見たことあるな」と呟くモノボケ人間でもあったともさ!


 確かに終わっていた。ああ、終わっていたとも。


「でも終わらせてくれとは言ってない! 言ってないだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?!」


「フニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!」


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