動物園にお姉さんがいなくなる頃

鈴木天秋

第1話

今、僕はお姉さんの隣に座っています。出会った頃は僕より7つ年上の、今年21歳を迎える歳のお姉さんでした。まだ少し暑さが残り、街で見かける木々がなんとなく赤い色に変わっていくような、そんな季節の頃。



パシャ、パシャ。シャッターを切る音が右上の方から聞こえてきます。少し見上げてみると、かなり本格的なカメラを構えて僕の大好きなニホンカナヘビをものすごく真剣に撮っている様子のお姉さんが目に写りました。



今日は水曜日でお客さんがあまりいない時間帯なのにこうも大人が1人でいるもんなのかと疑問に思い、しばらくお姉さんとカナヘビを交互に観察していました。すると僕の目線に気づいてしまったのか、お姉さんはこちらにチラッと目を向けて一言


「そのスケッチ、綺麗ね。」


僕は小心者でこのカナヘビ観察ノートは誰にも見せたことがなかった故、少し動揺してしまい咄嗟に

「いえ、お姉さんの方が綺麗です」

とつい本音が出てしまい、何か付け加えようとします。

「あ、撮り方って意味でです!」

と僕は若い嘘をつきました。


初対面の目上女性に対して大変失礼なことをしてしまったと後悔していたところ、お姉さんは一瞬僕に顔を向けた後スッとカナヘビを見つめ、クスッと笑い声を漏らしながら


「ありがと」


と返してくれました。


早くなってしまった鼓動を抑えようと数センチ左を向きながら気付かぬうちに発動された手癖によりページいっぱいにお姉さんの模写を描き、心臓の鼓動が落ち着いてゆくのを感じながらすぐに次のページをめくり深く息を吸います。

「お姉さん、あの、どうしてあの、1人でここに来たのですか?今日は、えっと、水曜日ですし、大人はあんまり来ないものだと思っていたので。」

お姉さんはカメラを構えたままこう答えてくれました。


「なんでって、あたし好きなんだ、誰もいない動物園っていうのかな?ここ全然人気無いし小さいし、少年もそうでしょ?」


最後の数秒だけこちらを向いて聞くものですから思わず三度頷くと、お姉さんはまた少し笑みを浮かべこう続けました


「でも私、カナヘビ好きの少年に会えて嬉しいよ、今までおじさんしか見かけなかったものだから」


先ほどよりも大きめな笑みで僕に喋りかけるお姉さんの姿を目の前にすると、こんなにも胸のところに何か刺さる感覚がするのだとは思っていませんでした。

「僕もです!いや、あの、カナヘビを好きだと言う友達が周りにいないので、その、、、あ!隠れちゃいましたね。」

するとお姉さんはカメラを構えるのをやめ


「あちゃ〜こりゃ今日はもう出てこないね、この子、基本ケースの近くにいてくれるんだけど一旦隠れちゃうとねー。」


と言うので、続けて僕は

「はい、そうなんですよね、彼なりの生活リズムがあるのでしょうか。それともただ見られるのに飽きたとか、でも今は盛夏なわけでもないですし昼行性で光が好きなはずなのであまり隠れることに意味は無い気がするんですがどうなんでしょうか。」


あ、しまった。また僕の悪い癖。


こういう時だけ喋ってしまうからダメなんだ。とへんでいますと、最初は戸惑った様子だったお姉さんが小さく笑い声を上げながら


「さすがカナヘビ少年、よく知ってるじゃん、私も分からないんだよね〜。まぁ、今日は帰るしかないんじゃない?」


と言ってくれたので僕は少し反省しながらも嬉しくなり

「そうですね」

と顔を赤くしたままつい苦い笑顔で返事をしました。


数秒の沈黙の間、周りの爬虫類たちが僕の出方をみているような気がしました。静かに下を向いてスケッチブックを閉じ、爬虫類コーナーを出ようと足早に出口に向かっているとコンクリートに反響する乾いた靴の音が後からついてきました。


「こら少年、バイバイぐらい言わせてよ。あ、やっぱまたねの方がいいな〜」

「少年、また会おう!」


と少し低めの声でしかめっ面をしながら僕を追い抜き、手を振り返す間も無く暗いカーテンの向こう側にある自動ドアが閉まります。


僕はリュックサックから赤い付箋を取り出し、スケッチブックの23ページ目を不器用に開きながら先ほどのスケッチに備考欄を加えます。

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動物園にお姉さんがいなくなる頃 鈴木天秋 @szk_tkak

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