二 女主人

 それは長い長い永遠にも思える時間だったようにも感じましたし、ほんのわずかな間の出来事だったようにも思えます。


 やがてその廊下の最奥へとたどり着くと、そこには戸ではなく御簾みすがかけられていました。あの細い竹をいくつも束ねて作られたような、言わば和風ブラインドのようなものです。


 僕は、なぜだか無性にその御簾を上げて、その向こう側を覗きたい気持ちに捉われました。


 気持ちというより、衝動に駆られたといった方がいいのでしょうか? 気づくと僕は御簾の下端に手をかけ、ゆっくりとそれをたくし上げています。


 その向こうを覗きみると、そこは畳敷きの暗い大広間のようになっていたのですが……。


「……!」


 その大広間の一番奥まった場所に、白い着物を纏った美しい女性が一人、ちょこんと座っていたのです。


 そこは、他の床よりも一段高くなっていて、背後には床の間があり、イメージ的にいうのならば、やっぱり時代劇でお殿様が座っている所みたいな感じです。


 その一段高い場所には左右一対の燭台が置かれ、ぼんやりとした仄かな蝋燭の灯りが白い着物の女性を薄闇に映し出しています。


 彼女の着る白い着物はよく見る振袖ふりそで留袖とめそでのようなものではなく、例えるならば平安貴族のお姫様が着ているカラフルな十二単じゅうにひとえを、脱色して白一色にしてしまったかのような、そんな感じです。


 また、高齢というわけではないのですが、その髪は見事な銀の色をしていて、やや長く感じるくらいのおかっぱ頭です。


 その下に覗く顔も綺麗な真っ白い肌をしており、目は切れ長、鼻筋も通り、紅を差した唇だけがなんとも妖艶な、控えめに言っても大変な美人のたぐいです。


 彼女を見た瞬間、僕は驚きや恐怖というような感情ではなく、いわば畏敬の念とでも呼べるような、そんなおそれに近い感覚を抱きました。


「………………」


 そして、隠れるでも逃げるでもなく、僕は御簾を上げた姿でその場に固まったまま、しばしその白い服の女性に魅入ってしまっていました。


「……?」


 そうして呆然と突っ立っていると、女性は衣擦きぬずれの音もなく静かに右腕を上げ、やはり真っ白いその手のひらで僕をゆっくりと手招きします。


 ……入れってことかな?


 そう思って御簾を潜り、恐る恐る僕は広間の中央辺りまで進みました。


 すると、今度はその女性、手招きしていた手をくるりと返し、手のひらを上に前へ突き出すようにして僕に見せます。


 どうやら、そこへ座れと言っているような様子です。


「し、失礼します……」


 彼女に操られている感もなくはないのですが、どうにも断る気にもなれず、僕は言われるがままに、そこへちょこんと正座して座りました。


 座ってから、ふと視線を上げて女性の顔を見ると、彼女はその切れ長の目をさらに細め、白い口元になんとも穏やかな微笑みを湛えてじっとこちらを眺めています。


「………………」


 その笑顔にも思わず黙って見惚れていると、特に根拠があるわけでもないのですが、不思議と僕には「雨宿りをしていきなさい」と、そう彼女が言っているように感じられました。


 まだ挨拶もしていないし、勝手に家へ上がり込んで来たまったくの赤の他人の僕に、なぜそう親切にしてくれるのかわかりませんでしたが、特に怒ってるようでも、悪意を持っているようでもなく、むしろ彼女は歓迎してくれている様子です。


「………………」


「………………」


 ですが、向こうから話しかけてくるようなことはなく、逆にこちらからも何を話していいのかわからなかったので、そうして僕はずっと黙ったまま、少々居心地の悪さを感じつつも女性としばらく向き合っていました。


 この状況はなんとも居た堪れない……何か……何か話さなくちゃ……。


「あ、あのう……こ、ここにずっとお住まいなんで…」


 長い沈黙に耐えられず、どうにかこうにか話題を捻り出し、僕の方から話しかけたその時です。


「…え?」


 見つめていた女性の顔の下……顔同様に真っ白い首が、なんだかにゅっと伸びたような気がしたのです。


 きっと何かの見間違いだろうと、僕は目をパチパチ何度か瞬きしてみました。


「……!?」


 ですが、やはり気のせいではありませんでした。いや、気のせいどころか首は伸びるのをやめず、なおもぐんぐんと伸びていっているんです!


 それはもう、僕が見上げなければならないくらいにまで伸び上がり、いまや彼女の頭は広間の高い天井に届きそうになっています。


 その姿に、某ゲゲゲ・・・のアニメや図書館にある児童向けの妖怪辞典なんかで見た、お馴染みの妖怪〝ろくろ首〟が僕の脳裏に浮かびました。


「うわっ…!」


 恐怖というより唖然として僕が見上げている内にも、その真っ白いつるつるとした長い首は天井近くで角度を変え、今度は真っ直ぐ僕の方へと向かってきます。


「……っ!」


 そして、対照的に短い僕の首の周りにぐるっと巻き付くと、彼女の真っ白い顔が僕の頬のすぐ間近に迫ったのです。


「………………」


 息がかかるくらいの近距離のはずなのに、なぜか息遣いも何も感じられません。


 それに、人肌の温かさというのも伝わってくるはずの近さなのに、むしろひんやりと、まるで爬虫類の皮膚のような冷たさをなぜか感じます。


「………………」


 今にもくっつきそうな位置にある、ろくろ首の女性の顔……。


 息をすることもできず、小刻みに瞳を震わせながら、まるで蛇に睨まれた蛙のように僕が固まっていると。


「ひっ…!」


 紅を引いた口から伸びた紅よりも赤く長い舌が、ペロンと僕の頬を舐めて、その瞬間、僕は意識を失いました――。

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