第20話 抗えないレイニー



 ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。

 今日の予報は曇りだった筈だが、どうやら降水確率は大五郎に微笑まなかったらしい。

 冷たい雨粒が、彼も咲夜の全身を少しずつ染めていく。


「…………」


「…………」


 お互いの息がかかる距離、もう昼休みは終わったというのに我慢比べのよう。

 でもそうじゃない、動けない、このまま何もなかったかの様に教室へと戻れない。


(冗談っていえば、友達に戻れるわ。まだ戻れる、放課後を屋上でダラダラと過ごす関係に、でも)


(誤魔化しちゃいけないよね、僕が望んだのかもしれないんだから)


 迷う、何を言えばいいのか。

 大五郎の目の前に、黒曜の輝きを持つ瞳がある。


(あっちゃん、なんで君は今さ……僕の隣に居ないんだろうね)


 目の前の彼女から、怒りが、そして心配する感情の揺らぎが伝わってくる。

 ――視界の中で揺れる、運命の赤い糸から目が離せない。


(君がいないから……僕は水仙さんに。そうだ、踏み込んで欲しいとすら思ってる、――認めよう、いい加減に。僕は……何かを水仙さんに求めるんだ)


 けれどそれを認めることは、藍の不在を、今、隣に居ない理由を受け入れる事になる。


(まだ……受け入れたくない、受け入れたくないんだよあっちゃん…………僕は、僕はさ……)


(神明、くん――――)


 苦悩する大五郎を、咲夜は燃えるような目つきでじっと見つめていた。

 賽は投げられた、戻るつもりはない、でも。


(こんな顔をされてッ!! こんな顔をさせてッ!! 私は何を言えばいいのよ!!)


 彼の、神明大五郎という存在の為に何かしたい。

 陰の潜んだ笑みではなく、屈託のない心からの笑顔がみたい。

 その気持ちを、認める事はつまり。


(私は……神明くんに惹かれているのね)


(そうさ、僕は……水仙さんを求めている)


 恋、とは断言できない。

 でも友達以上の何かを求めている、だってこんなにも。


(触れて、抱きしめて、……いいのかしら)


(抱きしめてもらいたい、なんて甘えかな?)


 隣あったパズルのピースが、ぴったりとはまる様に。

 湯を沸かすのに、火が必要である如く当たり前で。

 普段、呼吸をするのに空気を意識しているだろうか。

 ――共に在るのが、こんなにも自然だと感じている、今もそうだ。


 見つめ合ったまま、時間が止まる感覚。

 雨はやがて土砂降りになって、二人の体を冷やしていく。

 このままでは風邪を引く、なんてきっと言い訳にすらならない。


「ぁ」


「逃げないで、逃げるな、逃げるなんてしないで神明くん……」


「…………うん、僕は逃げないよ」


 咲夜に抱きしめられて、大五郎は安堵したように顔を首筋に埋めた。

 彼女もまたそれを嫌がらず、労るように彼を柔らかく抱きしめる。


「ずっと、ずっとね、貴方と屋上で過ごす前から気になっていたの」


「何を?」


「どうして、あんなに寂しそうに笑うんだろうって。誰と居ても、誰と話していても、誰と一緒に喜んでいても、……神明くんは、とても寂しそうに笑ってた。私にはそう見えたの」


「そんなに笑い方が下手だったかな」


「下手よ、下手くそよ神明くん。きっと、貴方に近しい人はみんな理解してた筈よ」


 ははっ、と自嘲した声が咲夜の耳に届いた。

 嗚呼、と掠れた声、彼の体は震えて。

 咲夜は彼を暖めるように、抱きしめる力を強くした。


「私もね、嘘だったの。恋を教えてなんて嘘、――いいえ、理解してなかったの、……神明くんを、抱きしめたい気持ちを」


「でも、恋じゃない?」


「そう、恋じゃないの、神明くんは?」


「…………最初は君に同情したからだと思った、でも目を反らしていただけなんだ。家に帰っても寂しいだけだから、君が藍とは正反対の女の子だったから、運命の赤い糸が見えても好きにならないって。でも……少し違った、僕は水仙さんに何かを求めていたんだ」


 大五郎を抱きしめたかった咲夜。

 咲夜に何かを求めていた大五郎。

 お互いに、その理由をはっきり自覚していなくて。


(もっと、もっと触れれば何かが分かるかしら、変わるかしら)


(心地良いんだ、泣きたくなるぐらいにさ、水仙さんの体温が心地良いんだ)


 寂しさの穴を埋めるように、大五郎は震える腕を咲夜の背中に回す。

 ――彼女はそれを静かに受け入れて。

 ざぁざぁ、ざぁざぁ、雨が二人の体温を奪っていく。

 それを補うように、固く、強く、二人は抱き合って。


「…………狡い言い方をしても良いかい?」


「今更ね、嘘つきさん?」


「僕に……全てを話す勇気をくれないかな。きっとこの感情は恋じゃない、性欲でもないんだ、でも……君の温もりが欲しい」


「断ったら、ここで終わり?」


「だから狡い言い方って言ったんだ」


 選択肢を与えている、逃げ道を用意している、そんなフリだけの言葉。

 咲夜が断らないと知っていて、試すように投げかける卑怯な提案。


「私、初めてなのよ? それを女の子を何だと思っているのかしら」


「湯たんぽ?」


「せめて都合の良い女って言ってくれない?」


「都合の良い女になる気はあると」


「まさか、カレシ面するんだったら殴るだけよ。……でも」


「でも?」


「私は美しいから、それもまた美しさなのかもしれないって。それじゃあ不満? 本音をご所望かしら?」


「それこそ美しくないね、じゃあお言葉に甘えて、今日は僕の家って誰もいないんだ」


「悪い男の子ね神明くんって、ええ、行きましょう」


 情欲などなく、愛もなく、繋がったという事実の為だけに。

 踏み込み、踏み込まれる建前を生み出すためだけに。

 彼らは歩く、歩いて、家につく。

 シャワーを浴びて、そして淡々と通過儀礼を行う。


(――――この行為に、ほっとするのは何故かしらね)


(底なし沼に埋まっていく気分だ、でも安心してしまう。この温もりが、泣きたくなるんだ。……いや、泣いているんだな僕は)


 声無き悲鳴があげたのは、果たしてどちらか。

 温もりを貪るだけの交わり。

 明かりもつけないで、空が白み始めるまで。


「それで、勇気は出た?」


「ああ、全部話すよ。聞いてくれるかい?」


「今更ね」


「愚問だった、忘れてよ」


「ダメ、全部覚えておくわ。神明くんの事は、――だから、全部聞かせて」

 

「…………そうだね、何処から話そうかな」


 ピロートークとしては、重苦しい話が始まった。


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