小説が紡いだ赤い糸
@heirumerry
小説が紡いだ赤い糸
(そういえばあの人たち、クラスで放課後カラオケ行くって話してたっけ。……羨ましい)
俺……吹田哀人は、高校からの帰路の途中で盛大なため息を吐く。
人見知りを拗らせた俺は、中学ではあまり友達との関わりも無く、特にこれといった思い出も無いまま卒業を迎えた。
そんな自分を変えたくて、俺は学校が始まるまでの春休みの期間、頭の中で会話のシミュレーションをしていた。
考えられるシチュエーションを頭の中に思い浮かべ、それに対してどう返答するかを四六時中考えていたのだ。
これなら、大丈夫。
家から近いN高校に入学してからというもの、俺は誰から話しかけられても大丈夫だという自信に満ち溢れていた。
そして、高校では華やかなデビューを飾り、今頃は友人や可愛い彼女に囲まれて高校生活をエンジョイしている……はずだった。
……しかし、お気づきだろう。
俺のような根っからの隠キャに、わざわざ話しかけてくる物好きなど、まずいないのである!
俺がそのことにようやく気づいたとき、既にクラス内では仲の良いグループが形成されつつあった。
時、既にお寿司。
蓋を開けてみれば、俺は中学となんら変わりのない一年を過ごしていた。
一つだけ変わったことといえば、俺に趣味と呼べるものが出来たということくらいか。
その趣味を勧めてきたのは、去年俺と同じクラスで、今は俺の隣で自転車を漕いでいるオタク系男子・涼風健志だ。
学校への登下校は、高校でできた俺の数少ない友人であるこいつと一緒に行くことにしている。
「……おい哀人、聞いてるのか?」
「ごめん、聞いてなかった。ちょっと考えごとをしていてさ」
「へぇ。どんなこと?」
「俺は一体どこで間違ったのかなって」
「……哀人って時々、難しいことを考えてるよな。俺の頭じゃ理解できないわ」
そうかな?
わかりやすく「高校デビューに失敗して物思いにふけっていた」と言っても良かったのだけれど、こいつにそれを言ったが最後、お調子者のこいつがどう反応するかは火を見るより明らかだ。
「で、さっきは何を言っていたの?」
「小説の話。お前の小説、こっからどう展開すんの?」
「……実はちょっと行き詰まっててさ。自分で作った設定に苦しめられてるっていうか」
「あぁ……あるあるだな」
俺はできた、新しい趣味。
それは、小説を投稿することだ。
元々小説を読むのが好きな活字星人だった俺は、中学の頃は図書館に入り浸っていた。
スマホを持ってからは毎日のようにweb小説を漁り、自分で執筆もするようになった。
最初は誰にも読ませるつもりはなかったのだが、それを知った健志が、一緒に『ヨミカキ』というサイトで投稿を始めないかと勧めてきたのだ。
健志は本気で書籍化を目指しているらしく、今は俺も健志の目標に便乗している。
俺が今書いているのは、ラブコメディ小説だ。
よくある学校モノの設定で、主人公の隠キャが、再会した美少女幼馴染に惚れられる、という、創作物ではまぁよくある典型的なパターン。
現実でもよくあってくれて良いんだけど、生憎俺に幼馴染と呼べる女子は存在しない。
……それはさておき。
「まぁ、お互い頑張ろう。健志は今回の公募に作品出したんだろ?」
「あぁ、今日発表だ。ここで書籍化して、俺は高校生天才作家の肩書を貰い受ける!」
「……どっから来るんだ、その自信は」
「自分で書いた物に自信を持てない方がおかしいだろ。自分の好みに書いた小説なら、少なくとも自分には100%ぶっ刺さる作品になるはずだろ?」
……と言って、ハーレム物のエロ小説を教室で堂々と書き進めている男が健志である。
こいつは良い意味でも悪い意味でも感覚が麻痺しているので、アテにしてはいけない。
(自信……か)
俺も最初は、自分の作品に自信があった。
作品は上手く軌道に乗って、サイト内のランキングで上位に滑り込んだこともある。
しかし、最近は何を書いても納得の行く内容にならず、執筆から離れる日々が続いている。
途中で急遽内容を変えたからかもしれない。
でも、そうしていなかったら、僕の作品はこんなに読者ウケしなかっただろう。
少しだけ、健志が羨ましいのは否定できない。
家に帰ってからは、小説の構想を練り、明日の小テストの内容を軽く復習をしてから布団に入った。
……いつも通り、なんの変化も面白味もない、灰色だった一日が終わる。
俺の頭の辞書がこの先何度改訂されようと、「青春」という二字熟語が記載されることは無い。
そう言い切ってしまっても過言では無い気がしてくる。
だらだらと布団でweb小説を読んでいたら、気づいた頃には既に深夜1時を回っていた。
目が覚めたらまた、代わり映えのない退屈な一日が始まるんだろうな。
そんな下らないことを考えながら、俺は眠りについた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「吹田、お前の席そこじゃないだろ」
「……あぁ、席替えしたんだっけ。ごめん」
正直名前も覚えていない男子生徒に指摘され、俺は新しい自席へと足を運んだ。
(後ろから2列目。まぁまぁ当たりかな)
ちなみに、健志は俺の一つ隣のクラスなのだが、どうやら最前列のハズレクジを引いたらしい。
「哀人、席、なんならクラスごと替わってくれ……。公募は落ちるし、席替えはハズレだし、俺はもう生きていけねぇ……」
「大袈裟だな、まだチャンスはあるだろ。あと、席は死んでも変わらない。最前列じゃ寝れないじゃんか」
「うぅ……いや、ポジティブに考えよう。確かに寝れないのは辛いところだ。しかし、寝れるという一点を除いて、友達の少ない隠キャに座席の位置によるデメリットは少ないのだ」
「隠キャはメリットも少ないし、それはポジティブというか自虐じゃね?」
「言うなって。……おっと、そろそろ予鈴だな」
健志が隣のクラスに戻り、先程までは半分ほどが空席だった座席にも、続々とクラスメイト達が腰を下ろし始めた。
(騒がしくなったな……。先生はまだ来ていないし、書きかけだった小説を少しでも進めるか)
俺は陽キャ共の鬱陶しい騒ぎ声を脳内で遮断し、小説の執筆ページを呼び出す。
(えっと、昨日はどこまで書いたっけ……)
「あ、『ヨミカキ』のサイトだ。小説書いてるの?」
突然、前からそんな声が聞こえた。
正直かなり驚いたが、ここで慌ててはいけない。
相手に画面を見られないよう、少しだけスマホを自分の方に傾ける。
「……いや、俺は読み専。小説読むの、好きなんだよね」
そう答えている間にスマホの電源を切り、自然な動作でカバンに放り込む。
この間、わずか2秒。
俺が小説を書いていることは、なるべく健志以外の奴らには知られたくない。
「そうなんだ。実は私もサイト登録してるんだ」
「へぇ、それは奇遇だ……ね?」
そこで僕は初めて顔を上げ、今、ごく普通に会話をしていた相手が、今まで俺とは無縁だった、学年一の人気者だったことに驚愕した。
「緋夏さん……だったんデスネ……」
女子とは関わりの薄い僕でも知っている名前。
緋夏柚喜。
「学年一の美少女」の名を欲しいがままにしてきた、文字通り俺とは対極に位置する人。
名前も哀と喜だし……って、それは関係ないか。
「あはは、どうして急に敬語になるの? 哀人君は相変わらず変わった人だね」
「……いや、なんで俺の名前知ってんの?」
「クラスメイトの名前は全員ちゃんと覚えてるよ?」
……なるほど、モテるわけだ。
そりゃ、学年一の美少女に自分の名前を認知されていたら、誰だって舞い上がって喜ぶだろう。
中には、それだけで勘違いをしてしまう人まで出てきてもおかしくない。
だが、俺は騙されない。
俺が認知されていたということは、他の男子も対等、あるいは俺以上に認知されているというコト。
自惚れるな、吹田哀人。
お前は学年一の美少女様に特別視されるほどの存在か!?
否、違うだろう!
……よし、少し落ち着いた。
「申し訳ないけど、俺、緋夏さんの後ろの席みたい。よろしく」
「ん、なんで謝るの?」
「俺みたいな根暗な奴が後ろに居ると不快かと思いまして」
「あはは、全然そんなことないよ。……あ、そうだ、哀人君のオススメの小説教えてよ!」
この人、グイグイ来るなぁ。
そのうち本当に勘違いしてしまいそうなのでやめて欲しい。
……おすすめの小説、か。
ここで健志の小説を緋夏さんに宣伝すれば、健志の中で俺の株が上がるか?
……でも、あいつの小説は殆どがハーレム物でやたらと下ネタが多いし、とてもじゃないが女子に勧められる内容じゃないんだよなぁ。
ここは無難に、俺のお気に入りの作家の作品を勧めておこう。
「『合言葉』っていう小説。参考にならないだろうけど、俺が初めて没頭して読んだ作品かな」
……それも、幼馴染と再会して、恋仲に発展して行くという内容の。
俺が今書いている小説も、『合言葉』に触発されて書いたと言っても過言ではない。
数年前の作品なので、今となってはそこまで知名度は無いのだけれど。
「知らない作品。ありがとう、今度読んでみるね。ちなみに私のおすすめは……」
そう言って、緋夏さんはスマホを操作し、『ヨミカキ』の画面を僕に見せてくれた。
「FAさんの『幼馴染が別人になって帰ってきた件』っていう作品! 創作ならではの一目惚れも良いけど、二人の距離感が中々縮まらないのがリアルで凄くもどかしくて……って、ごめんね、なんか私、気持ち悪いね」
「いや、全然。というかそれ……」
「ん?」
「いや、何でもない。一応俺もそれ読んでるよ」
それ、僕が作者です!
……なんて、言えるわけがない。
FAというペンネームは、「ふきた あいと」の頭文字を安易な考えで繋げただけだ。
というか、緋夏さんのアカウント名。
hinahinaさんって、投稿を始めた頃からいつも感想欄で小説をベタ褒めしてくれてる人じゃん。
あれって、緋夏さんだったの……?
やばい、頭の整理が追いつかない。
……その時、教室のドアがガラリと音を立てて開かれた。
僕はそれを好機と見て、一旦緋夏さんと距離を取ることを図る。
こんな状態で、まともに話せる自信がない。
そもそも、学年一の美少女話しかけられたというだけでも、コミュ症の俺にとってはかなりの重圧が伴うのだ。
「先生来たし、続きは後でまた話そう」
「あ、うん、そうだね」
担任のハゲ教師……ゴホン。
ザビエルさんリスペクトのトンスラ頭から更に毛を削ったような髪型の先生が、今日も今日とて長い長いHRを始める。
俺はその話を右から左に聞き流しながら、半ば無意識に前にいる緋夏さんに視線を向けていた。
俺が初めて作品を投稿したとき、hinahinaさん……もとい、緋夏さんは、「リアリティがあって、読んでいて凄く共感する」っていう感想をくれていたっけ。
ん?
共感ってことは、緋夏さんにも既に思いの人がいたりするのか?
……余計な詮索をするのはやめよう。
俺ではないことは確かだ。
ザビエルさん(以下略)先生の長話が終わり、一限目の開始を告げるチャイムが、昨日夜更かしした俺を嘲笑うかのように高らかに鳴り響く。
クソ、めちゃくちゃ眠い、授業面倒臭い……
……いや、今こそ健志直伝のポジティブ思考を発揮する時だ。
一限目の現代文のおじいちゃんは、特に生徒を指名して答えさせるようなことはしないじゃないか!
つまり、寝れる。
やったぜ! 学校万歳!
……号令が済んだ後、俺はしっかりとおよそ50分間の爆睡をかましたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「起立!……礼!」
(はぁ……終わった……)
学校と、6限目の小テスト。
二つの意味で終わりを迎えた俺は、盛大なため息を吐く。
うぅ、昨日予習したはずなのになぁ。
もっとしっかりやるべきだったか。
「哀人君! 『幼馴染』の最新話、更新されてたね!」
……見たというか、僕が作者なんですけどね。
そういえば昨日、学校が終わるくらいの時間に投稿されるように予約しておいたんだっけ。
というか緋夏さん、まさかさっきのHRの間にもう読み終わったの?
流石に、早すぎない?
……まぁいいや、俺もそういうことにしておこう。
「うん。なんかイマイチだったよね」
……別に、今回の話は自分でもそこまで悪くはなかったと思う。
しかし、自分の作品を手放しに褒めることには、やっぱり少しだけ抵抗があった。
「え、そうかな?」
「主人公が少し回りくどかったかな。別にあそこまでドロドロした感じにしなくても、もう少しやりようはあったはずだよ」
「うーん、そういう考えもあるんだね。でも、そしたら『合言葉』もそうじゃない?」
「あれは中々関係が発展しないじれったさが良い味を出しているのであって……って、あれ? 緋夏さん、『合言葉』読んだことあるの?」
「……………………あっ」
緋夏さんは俺から目を逸らし、しばらく何もない空間を見つめた。
フェレンゲルシュターデン現象は、猫だけでなく美少女にも適応されるのだろうか?
……いや、そもそも猫もデマだったか。
彼女の表情からは、少し焦りが伺える。
「仮に緋夏さんが『合言葉』のあらすじだけを読んでいたとしても、そこからドロドロした恋愛のイメージには繋がらないと思うんだけどなぁ……」
何気なく放った俺の一言を最後に、しばらく気まずい沈黙が流れる。
俺は今、不味いことを言ってしまったのか?
人付き合いに不慣れな俺は、必死に自分の落ち度を探してみる……が、特に心当たりはない。
緋夏さんは何かを決心したように俺に向き直ると、小さく、しかしはっきりと言葉を紡いだ。
「……ごめんね、変な嘘なんてついて。私、『合言葉』は既に読んだことあるんだ。中学生のとき、それで読書感想文も書いたの」
「え……? もしかして、緋夏さんってM中学出身だったりする?」
あれは確か、俺が中学生だった頃。
読書感想文のコンクールで、他校で『合言葉』を題材に大賞を取っていた女の子がいたはずだ。
当時の俺はそのことに本当に驚いて、同時に少し嬉しくも思っていた。
俺以外でも、古くて知名度も低いあの小説を手に取っていた人がいたんだ、って。
「……そうだよ。ふふ、まるで『合言葉』が合言葉だったみたいだね」
「それって、どういう……」
「まだ秘密かな。それじゃ、私部活あるから」
そう言うと、緋夏さんは教室を後にした。
後には、ふんわりと鼻腔を刺激するような、甘い空気だけが残されていた。
その匂いに俺は、どこか懐かしさを感じる。
まだスマホを持っていなかった時、俺は毎日のように図書館に通いつめていた。
それしか、本を読む手段がなかったからだ。
……この匂いは、あの時の図書館で漂ってきた匂いと同じだ。
あぁ、そうか。
俺は前にも、彼女と会っていた。
お互い言葉を交わすことはなかったけれど、多分、緋夏さんも俺を意識していた……と思う。
少なくとも、俺は意識していた。
あんなに可愛い女の子が目の前で本を読んでいて、意識するなという方が無理な話だ。
(おいおい、例の小説みたいな展開になってきたな……)
ありえないと思っていた状況に自分が直面し、俺はまるで、小説の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。
今日という日は、全て俺の妄想が描き出した、夢物語なのではないだろうか?
……どうやら、そうではないらしい。
後ろのドアから聞き慣れた声が響き、俺は現実に引き戻される。
「あ、居た! ……なんだよ、まだ教室にいたのか。LINEも応答無かったから、結構探したぜ」
「悪い。てっきり健志はもう帰っているものかと」
「俺ももう帰るつもりだったんだけど、すれ違った緋夏さんが哀人はまだ教室に居るって教えてくれてよ。学年一の美少女に声かけられたんだぜ? 俺、すごくね?」
「普段なら羨ましいと思うところだけど、ついさっきまでラブコメの世界に迷い込んでいた俺にはノーダメージかな」
「……なるほどな、確かにお前の妄想力が53万まで上昇している」
「フ○ーザかよ。早く帰ろうぜ」
健志といつも通りの他愛の無い会話をしながら、俺たちは帰路についた。
……帰ったら、また小説の構想を練り直そう。
「健志、やっぱり俺も次の公募を目指すよ」
「……唐突だな。哀人はランキング上位からの書籍化打診を狙うんじゃなかったの?」
「やめた。それはもういいや」
ランキング上位をキープするには、読者の需要を満たし続けなければならない。
読者の反応に過剰にアンテナを張り、常に精神をすり減らしながら書く小説。
そんなものは、俺が書きたい物語じゃない。
今まで積み上げてきた評価のせいで踏み切りがつかなかったけど、純粋に作品を楽しんでくれている緋夏さんの姿を見て、覚悟ができた。
やっぱり俺は、自分が書きたい物語をありのままに綴りたい。
「そうか。臨むところだ!……と言いたいところだが、ライバルが増えるからどうかやめてくださいお願いします」
「だが断る。……そういえば、いつの間にか晴れたんだね」
空を見れば、先程まで曇っていた空が晴れ上がり、緋色に染まった鮮やかな夕焼けが姿をのぞかせていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
Another view
小さい頃から小説が好きだった私は、文庫本だけには留まらず、時折ウェブで無料小説を読み漁っていた。
そこで何気なく目にした「FA」という作者さんの作品に心惹かれ、今に至るまでずっと愛読している。
……私が小説を好きになったのは、中学生だった時、読書感想文の本を探しに図書館へ行ったのがきっかけだった。
そこで、私と同い年くらいの男の子が、何やら難しそうな本を読んでいるのを見かけた。
(『合言葉』……面白そう……)
私は、『合言葉』という本を借りてみることにした。
本の表紙が素敵だったし、何よりあの男の子が真剣な顔つきで読んでいる本がどんな内容なのか、少し気になった。
……成長して互いのことをすっかり忘れてしまっていた主人公とヒロインの二人が、幼い頃に何気なく話していた会話をきっかけに幼少期を思い出し、再び互いを意識していくようになる話。
私はそれにひどく感動して、読書感想文の題材として『合言葉』を取り上げた。
……まさか、それで入賞してしまうなんて夢にも思わなかったけれど。
私の感想文は、もしかしたらあの男の子の目に触れているのかな?……なんて考えていたけど、流石にそれは無いだろうな、と、思っていた。
そこから、私は小説の魅力に取り憑かれ、徐々に小説の世界に没頭して行った。
夏休みの間、私はもう何度か図書館に足を運んだ。
その男の子は、相変わらずというか、窓際の席で黙々と本を読んでいた。
……夏休みが終わってから、その男の子はパタリと図書館に来なくなった。
あの男の子は私のことなんて眼中に無かっただろうし、多分、もう二度と会うことはないと思う。
その男の子と一度も話せずに終わったことが、少し残念だった。
思い切って、私から声をかけてみるべきだったかのかもしれない。
小説を読むのは、本当に面白い。
心の底から本気でそう思っているし、その考えに自分に対する偽りは無い。
……しかし、男の子が図書館に来なくなった頃から、私は少しだけ孤立感を感じていた。
周りの皆は漫画やゲームばかりで、小説にはなかなか目を向けてくれない。
本の感想を語り合える人に、巡り合いたい。
あの時『合言葉』を読んでいた男の子は、どこの中学校に通っているんだろう?
私はしばらく、その男の子のことがずっと頭から離れなかった。
……しかし、人の記憶は風化するもので、高校に上がる頃には、私はその男の子の顔を上手く思い出せなくなっていた。
◆ ◇ ◆
N高校に入って最初に哀人君を見かけた時、初対面のはずなのに、どこか懐かしさを感じた。
この人、どこかで見たことがあるような……って。
それが確信に変わったのは、偶然彼のスマホの画面が目に入ってきた時だ。
(え……?)
画面に映し出されていたのは、私が絶賛愛読しているweb小説の作者ページ。
FAさんの正体は、哀人君だったんだ。
驚いたけど、どこかで納得している自分もいた。
……なんとなくだけど、文体やストーリーの構図が、『合言葉』に似ていたから。
前々からそうじゃないかとは思っていたけど、今日思い切って話しかけてみて、あの日図書館で出会い、密かに思いを馳せていた男の子が、哀人君だと確信できた。
まるで運命みたいで、少し目頭が熱くなった。
ずっと、君の作品が好きだった。
ずっと、君のことを想い描いていた。
ずっと、君のことが……
ううん、これはまだ違うかな。
「柚喜、歩くの遅いよ! 早く部活行かないと、また顧問のババアに怒られるよ!」
(ババアはちょっと言いすぎじゃないかなぁ……)
私は友達に連れられ、所属しているバドミントン部の部室へと向かう。
途中で涼風君とすれ違ったので、哀人君のことを伝えておいた。
……哀人君を引き止めちゃったのは私だから。
涼川君には少し悪いことをしちゃったなぁ。
……哀人君。
君さえよければ、これからもっと沢山お話ししてみたいな。
クラスメイトとして、小説好きとして、作品の一ファンとして、そして……一人の女の子として。
あーあ、明日の学校が待ち遠しいなぁ。
今日帰ったら、久々に『合言葉』を読み返してみよう。
また、新しい発見があるかもしれないし。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
epilogue
数年前から互いを意識しながらも、今まで交わることはなかった二人。
彼と彼女がこの先どんな関係を築くのか、それはまだ誰にも分からない。
きっかけとなった『合言葉』のストーリーを踏襲した物語を描き出すのか、はたまた、全く違う物語を紡ぎ出すのか……
恐らく、後者だろう。
もし、人の人生の全てを小説として書き表すのならば、75億冊の全く違った小説が生み出されるはずだ。
同様に、彼らには彼らだけの「物語」がある。
これは、ある一冊の小説に引き合わされた二人の、世にも珍しい出会いと再会を描いた物語。
……この物語の結末は、読んだ読者の想像に委ねることとしよう。
さて。
今、この小説を読んでいる貴方は、これからどんな「物語」を紡ぎ出すのだろうか。
ーーTHE ENDーー
小説が紡いだ赤い糸 @heirumerry
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