第10話:地下迷宮を行く

 王都地下迷宮――地下第一層〝旧き水の通り道〟、一階。


「うーん、臭いはともかくこの雰囲気は落ち着くわね!」


 暗い通路にケルトの元気な声が響く。彼女は先頭に立って、ウキウキしながら前へと進んでいく。


 通路の真ん中には水路が通っており、暗い水面はその中に何が潜んでいるかを分からなくしている。ここは、元々は古の遺跡の下水道だったそうだが、今は使われておらず魔物が潜む迷宮と化していた。 


「僕は全然落ち着かないけど……」


 その後ろで、鉤杖にランタンをぶら下げて、明かりを揺らしているのはセトだった。足下にはアグヌスがトコトコと付いてきている。どうやら口を開くとすぐにケルト達と喧嘩になるので、黙っていることにしたようだ。


 ときおり水路から跳ねる、小型の魔物である噛み付き魚バイトフィッシュを警戒しながら進む。


「……天井……安心」

「地獄には空がありませんからね。我々にとって、地上の空というものはどこか落ち着かなくさせるのです」


 一番後方にいるヴェロニカがそう言いながら後方をときおり確認する。水路から跳ね、こちらへと飛んでくる噛み付き魚バイトフィッシュを、複雑な機構が柄と一体化したダガーで一閃し、再び前を向いた。


「なるほど……僕からすると、ここは狭いし暗いし苦手だけどね」

「育った環境よね。しかし見事にさっきから出てくるのは魚ばっかりね~。ダンジョンリザードはどこにいるのかしら」


 ケルトの言葉にセトが頷いて、ランタンと同様に道具屋で購入したこの地下迷宮の地図を広げてみせた。


「地図を見るに、ダンジョンリザードの生息地はもう少し深いところのようだ。例の行方不明の聖女様も地下三階の北側にある祭壇を目指している最中だったみたいだし、まずはそこまで潜ろう」

「地下三階ならあっという間ね。でも、この迷宮ってどれぐらい深いの?」

「一説によると、全五層で二十から三十近くの階があるらしいよ。でも、最深まで潜って帰ってきた人はほとんどいないから、あくまで推測だけども」

「地上の迷宮してはまあまあの規模ね。タルタロスには負けるけども! なんせタルタロスは地下九千九百九十九階まであるから」


 なぜかケルトが胸を張って得意気に語るが、セトは数字が途方もなさすぎて乾いた笑いしか出て来ない。


「しかし……不思議なのはなぜ王都の真下にあるこの地下迷宮を封鎖しないのでしょうか。すぐ足下に魔物が蔓延る迷宮があることに恐怖を感じるのが普通だと思いますが」


 ヴェロニカの問いにセトが苦笑する。


「まあ、迷宮の出入り口はさっき通ってきたから分かると思うけど、厳重に管理されているからね。冒険者や騎士、地図士といった一部の例外以外は誰も入れないようになっているし、魔物が地上に出ないように常に護られている。それに、順序が逆なんだよ」

「……逆?」


 ロスカがその小さな顔を傾ける。


「そう。王都の下に迷宮が出来たのではなく、迷宮があったから王都が出来たんだよ。元々、かつてこの大陸を支配していた帝国にまつわる遺跡しかなかったここに、地下迷宮で手に入る素材や武具を求めて冒険者や商人が住み着いたんだ。そうして迷宮産の素材や武具が飛ぶように売れ、街は大きくなっていき、のちに当時としては最深だった地下第三層を突破したレオザード一世がここに王都と定めたんだよ。この国の歴史は常にこの迷宮と共にある」


 セトが嬉しそうにこの王都ゼラスの歴史を語る。


 幼い頃から、彼にとってこの迷宮都市は憧れの場所だった。未知の地下世界と冒険、そして英雄達。そういう物語をたくさん読んできたし、迷宮や冒険者に必須の知識は全て頭に叩き込んだ。


 ゴリアスとアワナの足手纏いにならないように、せめて知識面では負けないようにと。


「無駄では……なかったかな」


 地下へと繋がる階段に辿り付き、セトが頷くと全員がその階段を降りていく。


 ひんやりとした空気が、セト達を包んだ。


 

☆☆☆



 地下第一層三階――〝浄化祭壇〟


 その広大な空間には、まるで神殿のように柱が立ち並んでおり、その中央には小さな祭壇と白色の水晶が浮かんでいた。その水晶と祭壇はルミア教が設置したものであり、多数の死者を出るこの迷宮内で、アンデッド化した者が、地上に出てこれないようにこの地下第一層三階から上に〝浄化結界〟を張る為のものだ。


 ゆえに定期的に結界を張り直す為に、ルミア教から神官長もしくは聖女クラスの人物が派遣されるのだが――


「ああ……神よ……救いを」


 その祭壇の周囲には無数の死体が転がっており、血溜まりの中、唯一の生存者である一人の少女が神へと祈っていた。ルミア教の信徒の中でも特に神聖力に優れた女性がなれるという、聖女のみに着用が許されている服――聖衣を纏った彼女の顔には絶望が浮かんでいた。


「ああ……声が聞こえます……声が声が声が声が声が声が声こ――」


 うわごとのような言葉と共に――少女の瞳が血に染まり、そしてそのまま地面の血溜まりへと倒れてしまう。


 血溜まりから無数の赤い手が伸び、少女の身体を掴んでいく。そのまま彼女は、決して深くないはずの血溜まりへとズブズブと沈んでいった。


 まるでそれが贄とばかりに、の祭壇の上に浮かぶ水晶が赤く濁り――


 ドクンッ……とまるで心臓のように鼓動を開始する。


 水晶が床へと静かに落ちると、祭壇の周囲の死体を取り込んでいく。継ぎ接ぎの肉体を得た水晶が数メートルの高さはあるだろう巨人へと変貌した。


 鼓動する水晶が頭部となり、血溜まりに消えたはずの少女が胸に埋め込まれた、異様な姿の怪物が――雄叫びを上げた。


「アギャギャギャギャギャギャアアアアアアア!!!」


 が――世界を静かに変質させはじめたのだった。

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