第15話

 まだ歌の余韻が私の芯に残っている。

 コダマに憧れて初めてマイクを握った日とは違う歌への感動がその余韻の中にはある。スカンクのように自分が何であるのかに気付くのかな。それとも、何者かになろうとするのかな。

「スカンクは自分が旅人って知ってから、旅人にもっとなろうとはしなかったの?」

「俺が旅人であることはほんのひと欠片だけだ。あとは、なってる」

「なってったんだ」

「なってってるんだ」

「今も」

「だから欠片の割合はどんどん小さくなる」

「でも消えないんだ」

「きっとな」

 月を追いかけているけど、全然辿り着かない。到達することが目的じゃない。だけど、ずっと月を追っている。

「あの月は満ち欠けするの?」

「するよ」

「痩せても腫れても、あっちに行こうと思うんだ」

「ああ」

 傷付いても転んでも。そこまで思えるかな。分からない。私に種はもうあるのかな。

 また月を見る。

 スカンクも見ている。下にぼたっとした半月。

 月の下に陽炎が揺れる。視線を落とせば空間の歪み。

 簡素な小屋。

 光が漏れている。

 近付くとその明かりで月も星も見えなくなる。

 開け放たれた引き戸から中を覗くと、白衣の年嵩のあるお姉さんが机に就いている。もじゃもじゃの髪を一つに束ねて。

「いらっしゃい」

「ここは何をするところですか?」

「保健室よ」

 特に体に悪いところはない。こころも多分。

「スカンクは元気?」

「元気だ」

 二人で困ったぞと顔を見合わせる。お姉さんは、あはは、と笑う。

「別に手当てが必要じゃなくても来ていいところよ」

「お客さんは来るの?」

「そりゃあ、ぼちぼちね。もっと来て欲しいわ」

 お姉さんの瞳がギラリと光る。

「みんなが困ってくれないと、私はやることがないわ」

「でも手当てが必要じゃなくてもいいって」

「そうね。居場所でもあるから。でも居場所がないってのも、困ってるってことでしょ?」

「じゃあ私はここじゃない。退館票を貰えますか?」

「気が早いのね」

 お姉さんはスラスラと退館票を作る。それを私に手渡す。

「必要じゃないのはよかったわ。もし何かあったら来てね」

「そのときはお願いします」

 スカンクを連れて保健室を後にする。

 小屋が消えたことを確認して、立ち止まる。

「スカンク」

 私の声が毛羽立ってる。

「何だ。ご機嫌斜めだな」

「私は誰かの不幸の上に成り立つような仕事はしたくない」

「でも困ったときに保健室がないと、本当に困るぜ?」

「それはそうなんだけど、必要な仕事なんだけど、何か嫌なんだ」

 私は歩き出す。スカンクがちょっと遅れて付いて来て、すぐに私の横に追い付く。

「何かって、分かるか? 自分で」

「自分がやりたいことをするために、人の苦しみがないといけないこと!」

「ヒーローの全部がそうだな」

「みんなが笑って暮らしていたら、暇になっちゃうって、何か、悲しいよ」

「ちょっと止まれ」

「何」

 私を止めたスカンクはこれまで見たことがないような真剣な眼差しで私を刺す。

「お前がそう言う仕事をしたくないなら、しなけりゃいい。嫌悪しても別にいい。でもお前が彼女らがやっている仕事の虚しさを想像して悲しくなるのは違うだろ。お前がすべきことは、じゃあ、何をして生きるのか、自分なら何がいいのかを考えることじゃないのか?」

 その通りだ。

 あまりにその通りだ。

 私は何に混乱していた。

 私はどうしてこんなに嫌がっている。

 コダマ。

 あの日ラジオから流れて来たzarameの歌。

 私の頬は打たれ、こころの芯まで震えて、私は髪を染めて、歌を歌い始めた。

 私は退屈だった訳でも、困っていた訳でもない。苦しいとか悲しいとかの中にうずまっていた訳でもない。

 なのに私の人生は大きく屈曲して、そしていずれ今に繋がった。

「私の憧れと真逆だった」

「そうか」

「コダマがしたことと、真逆だった。だから、嫌だった」

「こっちが正体だな」

「私はコダマが私にしたことを、人にする人間になりたい」

 こころが言葉になったら、押し殺されていた感情が破裂する、全身を駆け巡ったら涙が溢れる。

「ああ。なれ」

 なる。

 絶対になる。

 まだ全然何も出来ないけど、なってやる。

 泣いてる私の前でスカンクは堂々と待っている。無視しろと言っているのだ。だから私はビービー泣いて、でも思考はコダマのしたことをする人になる、でもコダマと同じにはならない、まだ全然未熟だ、の三つがループするだけで、何度も何度も思うせいで段々その考えが最初の煌めきを失って普通になる。全部が普通になり切ったのと涙が止まったのがほぼ同時だった。

「スカンク」

「おう」

「私は、なる」

「ああ」

「コダマのしたことを、でもコダマと同じじゃない、それが出来る様に、なる」

「いい眼だ」

 スカンクは穏やかに微笑んで、握り拳を右手で作って、それを自らの胸に当てる。ドンドン、と胸を叩く。

「ハートが輝いているなら、迷わずに進め」

 私も全く同じ動作をして、ドンと胸に拳を当てる。

「進む。きっと、届かせる」

 スカンクが頷く。私も頷く。

 私は月をもう一度見上げる。さっきよりも月の面積が大きくなっているような気がする。

 涙の残りを手で拭って、グッとお腹に力を入れる。

「スカンク、行こう」

「おう」

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