第11話

 昼と夜にネコの通り道でもあるのだろうか。レンガの壁の向こう側で見失った筈のアカネコが私の目の前にいる。アカネコを中心に周囲を見たら、草むらが発生して、アカネコはそれに隠れて私をじっと見ている。

「ここまで来るってことは、撫でさせたいと言うことだよね」

 私は歩むスピードを衰えさせずに、アカネコの近くに寄ってゆく。

 案の定、アカネコは私と一定の距離を保ってジリジリと遠ざかる。

 たっと走り出す瞬間に、アカネコの背中の空色のブチの中に、真っ赤なハートがあるのが見えた。

 また、ハート。

 前には気付かなかったってことは、別のアカネコなのかも。

 アカネコの進路と月が導く道は同じ。足元の草むらを掻き分けて進む。

 正面の空間がひずむ。

 右から左に、深夜の青の色をしたマネキンが、立ち姿で何体も何体もゆっくりと流れている。右の果てを見てもずっとマネキンがあるし、左の果てを見ても同じ。そのラインが一列ではなく奥に幾つも幾つもあって、全てのラインでマネキンは左側に流れて行っている。

 ベルトコンベアーの要領なのに、音が全くしない。まるで沈黙を課せられたマネキンが、そのために色を青くしたかのよう。

 マネキンの川の流れに沿って、左側へ歩く。もの言わないマネキンを何体も追い抜く。

 遠くに建物が見える。

 その前に人がいる、二人で何かを喋っている。

 二人とも男性で、片方は髪を後ろで縛っていて、もう片方は作業着のような服を着ている。

 私に気付かない、徐々に声が聞こえて来た。

「そうか、ずっと夜だからか」

「はい。だから深い青のマネキンなんです」

「綺麗な青だよな。でも、どこか切ない」

「人間に類似した形であって人間ではない。それと青が調和しているのかも知れません」

「マネキンは夜だからマネキンなのかもな」

「ずっと夜ですよ」

 そう言ったところで作業服の男が私に気付いて、手を振る。長髪の男性もこっちを見る。

「珍しいですね、同時に二人の方が来るなんて」

「俺もずいぶん旅をしてるけど途中で人が来たのは初めてだ。お嬢ちゃん、名前はあるのかい?」

 長髪が笑う。大人の男性なのに底の抜けたような無邪気さ。

「私はアカネ。あなたは?」

「俺はスカンク」

「ユキの親友の、スカンク?」

 驚いた私の言ったことに彼も驚いた顔をする。

「ユキを知ってるのか? 元気でやってたか?」

「道中で会ったよ。ミドリキャベツを作ってた。元気だったよ」

「そうか。……よかった」

 表情がころころ変わるし、心情がシンプルに顔に出る。

「ユキが、スカンクと言う名前が道標になってきっと会うって言ってた」

「その通りだ。名前を知れば会う。そして俺の残して来た印も見付けられる」

「ハートのマーク」

「そう。誰にでも見える訳じゃない。こっちの世界を旅して来たなら納得出来るよな。逆に、マークを追ったなら、俺のところまでは、すぐだ」

 スカンクが両拳をガツンと合わせる。それを合図に作業服の男性が、あの、と入って来る。

「私は作業に戻るので、何かあったら呼んで下さい」

 彼が部屋のようなところに入って行くのを見送ってスカンクが口を開く。

「俺は旅人だ。ここにも留まるつもりはない。どうだ、しばらく一緒に旅しないか?」

「どこに向かうの?」

「どこでも君の好きなところへ。旅人は旅の最中でだけ生きられる。目的地なんてない。どこだって中継地だよ」

「じゃあ、いいよ。行こう、スカンク」

「もうここを出るのか?」

 確かに、何もまだここでしていない。さっきの男性を呼ぶとすぐに来てくれた。

「ここは何をするところなんですか?」

「見ての通り、マネキンの輸送です」

「どこに送るの?」

「世界中でマネキンを必要としているところに送ります。どこだって送ります」

 壮観だけど、それだけのところ。

「スカンク、私は十分だよ」

「俺たちはさっき、夜だからこの色のマネキンと言う話をしていたんだ」

「そうです。この世界の色に合わせた色と言うのは必要なのです。この色は選ばれた色です」

「もし、朝が来たらどうする?」

「朝なんて来ません」

 スカンクがニヤリと笑う。

「そう、朝が来ないから、俺たちは旅をするんだ」

「よく分かりません」

「いや、それでいい。ありがとう、俺たちは出発する」

 行こうとするスカンクを呼び止める。

「ちょっと待って。退館票を下さい」

 作業服の男性は慣れた手付きで退館票を発行する。

「ありがとう。じゃあ、私たちは行きます」

 スカンクが男性に手を振って、じゃあな、と言うと、男性も手を振る。

 男性は少しの間見送ってくれて、振り返ったときにはもう中に入っていて、もう一回振り返ったらマネキンの行列も消えていた。

「私は朝陽を求めて旅している訳じゃないよ」

「うん。そうだろうな。俺も別に朝陽が目的じゃない。でも、ずっと夜だと太陽が恋しくはある」

「ずっと? いつからこっちにいるの?」

「こっちの世界に来たのは十三年前。三年目にユキと別れて、七年前くらいから夜に来た」

「そんなに」

「アカネはいつからだ?」

「今朝」

「今朝?」

「多分今朝。一回も寝てないから」

 スカンクが大仰に両手を開いて天を仰ぐ。

「そう言うことじゃないって分かってても、十三年分を追い付かれるってのは、来るね」

「追い付いたのは名前を追っただけでしょ」

「印を残したのも俺だけどね」

「なかなかおしゃれなところに印を打ったよね」

「まーね」

 クスッと二人で笑う。スカンクが私の前に立って畏まる。

「これからしばらく、旅を一緒に、よろしくお願いします」

「こちらこそ。ねえ、スカンク。どうしてスカンクって言うの? ユキが本名じゃないって言ってた」

 スカンクは私の横に並んで、歩調を合わせる。

「それは秘密だな」

「どうして?」

「ダサいからだよ。だからそうだな、別れるときに教えるよ」

「えー。今がいい」

「ダメ。他のことなら答えるよ」

「あとは別にいいや」

 しばらく黙って進む。私には認識出来ない周囲だけど、彼にはどう見えているのかな。もしかして全部見えているとか。行ったことのある場所は見えるとか、いやそれはないか。

「スカンクには周りはどう見えるの?」

「こっちの世界に来た日と変わらず、至近距離かずっと遠くのビル以外は見えないよ」

「おんなじなんだ」

 またしばらく黙る。

「スカンクはどうしてこっちの世界に来たの?」

「旅人だからだ。向こうの世界でも旅を半永久的に続けることは出来たけど、つまらなくなったんだ」

「それって、旅人だからじゃなくて、冒険をしたくなったんじゃないの?」

「そうかも知れない。アカネはどうしてこっちに来たんだ?」

「つまらない終わりが嫌で」

「そっか」

「あっちの世界で世界の中心を目指すことも、本当はつまらなくもないのかも知れないけど、私にはつまらなく感じたんだ」

 スカンクが微笑んでいるのが横目に映る。

「そう感じたこともすごいけど、それで行動したのがもっとすごい」

「zarameが力をくれた」

「こっちの世界でもコダマは有名人だ。どうしてだと思う?」

「歌が最強だから」

「うん。それも一つの理由。でも、もう一つは」

 スカンクは言葉を切って、どうしようかな、呟く。

「迷うなら言わなくていい」

「そっか。じゃあそうする」

「スカンク、お腹空かない? 向こうの世界の食べ物がまだ残ってるから、十三年ぶりに食べてみない?」

「食べる」

 路傍にズックを置いて、中から缶詰とパンを出す。スカンクは、まじで、すげえ、とか言いながらペロリと彼の分を平らげる。私も食べて、お腹が満ちて、さっきよりも穏やかな気持ちになる。ドリンクは回し飲みはしたくなかったからそれぞれだったけど、久し振りの向こうの食事がスカンクは嬉しかったよう。

「旅人になったとしても故郷は故郷だからな」

「きっといつか故郷にも寄るよ」

「どうして?」

「私も旅をしてみたら分かった」

 スカンクは遠い夜空を見詰めて、そうかもな、と呟いた。

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