第74話 ヴェスタの休日 その2

 ゴンドリエーレ船頭の歌う歌は、恋の唄だった。

 

 オリヴィエさんは、ずっと俺の胸に抱きついて、顔を胸に埋めている。


 「・・・オリヴィエさん・・・」


 「オリヴィエとお呼びくたさい。」


 胸から顔を離さずにそう答えた。


 「・・・分かった。オリヴィエ。」


 「はい、トーマ様。」


 俺は黙ってオリヴィエを抱きしめていた。


 ゴンドリエーレがフォロ・ヴィスターナに着いた事を告げた。

 俺はゴンドリエーレに礼を言って、大銅貨五枚を渡した。大体料金の倍の金額だ。歌の礼も含まれている。


 オリヴィエの手を取り、船着場に引き上げると、オリヴィエは駆け出して俺を呼んだ。


 「トーマ様!こっちよ!早く!」


 フォロ・ヴィスターナには、大浴場や劇場を始め、大衆向けの公共施設がたくさん存在していた。それら施設の外側は回廊となっており、その回廊の屋根の下に様々な小売商が出店して市場を形成していた。

 そのおかげで、雨でも営業出来るようになっている。


 オリヴィエが市場の人混みの中を進んで行くと。


 「あら、お嬢様!素敵な服ですこと!面白い商品を仕入れたので、また遊びに来て下さいな!」「お嬢様!新鮮なガージュが入りましたので、お屋敷に持って行きやす!」「お嬢様!これ味見して下さいな!新商品ですよ!」


 オリヴィエが市場を歩くと、沢山の店主達が声をかけてくる。


 「私、ここが大好き!一見無秩序だけど、活気があって、躍動的。

 どうかな、トーマ様。私がこの活気を守って来たんだと、自慢に思っても良いかな?」


 オリヴィエは、市場を見下ろす坂道の途中で、クルリと俺に振り返って尋ねた。

 

 「ああ、オリヴィエは立派にこの街の人々を守ってきたよ!見てご覧、みんなニコニコしてるじゃないか!」


 「うふふ、貴方にそう言って貰えると嬉しい!」


 俺とオリヴィエは、市場を一回りしてる間オリヴィエがもらった貰い物を、坂道の階段に座って分け合って食べた。


 「私、七年前に王位を継承したの。お父様が事故で急逝して、あれよと言う間に王冠を抱いていたわ。


 私、慣れぬ職務と王の重圧に耐えかねて、王宮を抜け出して、ここに逃げて来たの。泣きながらね。


 その時のこの街は、今の街を見たら想像も出来ない位に打ちひしがれていたわ。王を失って。

 それでも、この街は自分がどんなに打ちひしがれていても、小さな女の子には優しかったわ。

 今みたいに、たくさん励まされたの。」


 オリヴィエは、俺が飲んでいた貰い物の果実水を、横から取って一口飲んだ。


 「すっぱーい!」


 オリヴィエは口直しに果物を一口齧り、「う~ん、甘ーい」といってから、俺に自分の齧った果物を食べさせてくれた。


 「そしたら、ガウロが私を探して迎えに来たの。

 そして私に言ったわ。


 『今この街は、父たる王を失って悲しみに沈んでいる。それを救うには、新たな親が必要である。三日前から、この街の母親にオリヴィエがなったんだ。

 母親は早く泣いている子供を、助けなければならない』


 って言ったのよ。酷い理屈だと思わなくて?

 少なくとも、泣いている十一歳の女の子にかける言葉じゃないわ。何の慰めにもなってないもの!


 私は十一歳にして、百万都市の母親にされてしまったの。」


 オリヴィエは、またすっぱい果実水を一口飲んで、俺に返して来た。


 「それでね、ガウロはこう付け加えたの。


 『ヴィーが一人で重荷を背負う事はない』


 ヴィーって、子供の頃の私のあだ名ね。


 『ヴィーの重荷の半分くらいは俺が背負ってやる』


 半分って言い切らないところがガウロらしいでしょ?


 『ヴィーは、自分の思うままに振る舞えばいい!大抵の事なら、俺がヴィーの尻拭いをしてやるから。赤ん坊の時、オムツを取ってあげたように』


 ねえ、これを聞いてやる気になる人間がいると思う?」


 オリヴィエは、近くにいた子供に焼き菓子を分けてあげた。ナッツがたくさん入った、香ばしいお菓子だった。


 「それで逆に心が座ったの。仕方ない、ガウロ兄さんに任せるより、私がやったほうがまだましかなって。」


 「えー!ガウロ兄さんだって?」


 「ええ、そう。ガウロは私の腹違いの兄なの。ガウロ、貴方に何も言ってなかった?」

 

 オリヴィエは石段から立ち上がりながら尋ねた。


 「いいや、何にも言ってなかったぞ。」


 俺も、ごみを全部収納して、オリヴィエの後を追った。

 オリヴィエと俺は、市場にほど近い港湾地区を目指した。


 「ふふ、ガウロらしいわね。あの人きっと一番効果的なタイミングを狙って、貴方に教えるつもりなのよ。」

 

 後ろ手に歩いている、オリヴィエの後姿が可憐で美しい。


 「ガウロは、お父様が街の娘に産ませた子なの。だから宮廷内で何の後ろ盾もなくて、孤立してるの。


 でも、お父様はガウロの才を一番愛してたわ。剣術も、知性も。ガウロは鳳凰。才能の塊。

 それに引き換え、私はガチョウの子。


 でも、本人には王冠を頂く意思が決定的に欠けていたの。

 だから、お父様はガウロに後を継がせず、私を後継に選んだの。


 本来だったら、ガウロが王位を継ぐべきなのよ。

 武威も知略も、歴代の最高の小王に成れる可能性を秘めているのにね。


 少なくてもガウロなら、退屈な役人や、意地悪な役人たちの口に、書類の束をねじ込むくらいの事やったわね。ふふ。」


 オリヴィエは楽しそうに笑って、港の波止場に続く長い石の階段を上り始めた。


 「さあ、着いたわ!この店よ、トーマ様を連れて来たかったのは!」


 港が見える倉庫街の一角にその店はあった。

 店のテラスには、大きなワイン樽が適当な間隔で立ててあり、そこで何人かの船員が立ったまま料理をつまんで、酒を飲んでいた。


 俺をテラスの空いている酒樽に連れて行き、オリヴィエは奥に向かって大きな声をかけた。


 「おやじさーん!いつもの二つ下さいな!」


 「・・・・」カウンターで料理を作っている熊のような体つきの老人が、不愛想にギョロリと睨みつけて頷いた。

 でも俺は髭だらけの口の端がニヤケるのを見逃さなかった。


 「このお店はね、船乗り達の為に、朝早くから夜遅くまでやっているの。夜は息子さんが切り盛りしてるんだけどね。

 私が王位を継いだばかりの頃、よくお城から逃げ出して下町の隅でうずくまって泣いていたら、ここのおじさんが私を見つけてこの店に連れてきたの。


 『腹が空いてるから、泣きたくなるんだ。うまいものを食わせてやるから、泣かずに食え!』


 そう言って、私にお腹いっぱい食べさせてくれたわ。

 ねえ、ガウロよりよっぽど説得力があると思わない?」


 オリヴィエは、酒樽に両手で頬杖をつきながら、俺を上目遣いに見て言った。

 御霊峰の谷間から目が離せませんよ、オリヴィエさん。


 「・・・ほらよ!」


 熊の爺さんが俺の視線を遮って、湯気を立てている料理と、飲み物の入ったコップを酒樽のテーブルに置いた。

 オリヴィエには優しく料理を配膳したのだが、俺にはドンと料理とコップを置いて睨みつけて行ったよ。

 視線に殺気が感じられたのは気のせいか?


 「ふふふ、さあ食べましょ!この店の名物なの。白身の魚と野菜のムニエル。このレノンの汁を全体にかけて、この小皿のソースに付けて食べるの。」


 白身の魚の身はとても甘くて美味しかった。塩と胡椒だけでも十分に行けるよ。

 そして付け合わせの野菜は、ポテトとそっくり、ほくほくの味で、フレンチフライに似てた。

 異世界版のフィッシュ・アンド・チップスって感じで、ソースも絶品の味だった。

 やるなぁ、あの熊爺さん!


 俺は、ワインを水で割った飲み物とこの世界のフィッシュ・アンド・チップスで、オリヴィエとの食事を楽しんだ。


 熊爺さんの店が、港の労働者で混みだす前に、俺達は港湾地区を離れて港の北に位置するユピトーリーヌの丘を目指した。


 ユピトーリーヌの丘の頂には、港湾を守る為の大きな城砦があって、アントナレオ小王国の軍事施設が、丘の頂から西側の斜面一帯に広がっており、ユピトーリーヌの丘の裾にはアントナレオ小王国海軍の軍港が作られていた。


 一方ユピトーリーヌの丘の東側斜面には、たくさんの高級店が立ち並んでいる。


 俺は、そんな高級店を回りながら、オリヴィエに似合う服やアクセサリーをプレゼントしてあげた。

 

 何件かの店で、オリヴィエと楽しいショッピングを済ませて、ユピトーリーヌの丘の大通りを歩いていると、雑多な匂いに紛れて血の匂いを感じた!


 『危ない!』女の子の念話が頭に響いた!


 俺はとっさにオリヴィエを突き飛ばして、俺も反対側に飛んだ!

 すると、俺の体の直ぐ脇を短剣が、光の線となって飛んで行った!間一髪だった。


 「きゃー!」躱した短剣が、誰かに命中してしまったようだ。


 俺はその悲鳴に構わず、短剣が飛んできた方向を振り向くと、上半身に包帯を巻いたスカーが、幽鬼の様にユピトーリーヌの大通りに立っていた。

 スカーの包帯には血が滲んでおり、その血の匂いに気づくことが出来たんだ。


 「スカー!」


 「ナナセ!・・・ここで決着を付けようぜ!」


 そう言ってスカーは懐から黒い筒状の物を取り出して、それを俺に向けて構えた。


 「これだけ人出が多ければ、お前の強力な武具は使えまい!お前に他人を巻き添えにする事は、できないだろう?」


 スカーが構えたモノは、先端に丸い穴の開いた筒の、後方下部にグリップが付いており、その形は俺の元の世界の拳銃に酷似していた。


 「スカー!それは?」


 「この武具は、お前だけが持っているって訳じゃないって事さ!死ね!」


 膨れ上がるスカーの殺気に合わせて、スカーの手に持った武具に刻まれた文様が光りだした。


 「シィ!」


 俺は姿勢を出来る限り低くして、スカーに突進した。

 負傷しているせいなのか、スカーの動きが緩慢だ!


 拳銃で、自分より下の目標を狙うのは難しいものなのだよ、スカー!ましてやこちらは高速で移動している!


 「パン!」


 スカーが引き金を引くより一瞬早く、スカーを俺の間合いに捕らえた!

 スカーの魔導拳銃を持った右腕を、俺の左腕で大きく上に持ち上げて銃口を逸らた。

 スカーの魔導拳銃の弾丸は、空に向かって発砲された!

 俺はそのまま体勢の崩れたスカーを、大外刈りで石畳の上に叩きつけた。


 そして、すかさずホルスターからSFP9を抜き取り、スカーの心臓に銃口を突きつけて、トリガーを引こうとした!


 『だめ――!』また、女の子の悲鳴が頭に木霊した!


 俺は、スカーから身を離して、照準を心臓から奴の頭に切り替えて、引き金を引いた。


 「みんな、伏せろ――!」

 「ダン!」


 俺は、引き金を引く一瞬前、大声で路上の通行人に警告した。  

 少しでも被害が軽くなってくれ!

 俺は引き金を引くと同時に、オリヴィエに飛びついてスカーから庇った。


 「KABOOOOM!」


 スカーの体が爆発した!

 俺は倒れ込みながらオリヴィエの頭を抱きかかえて、爆発の衝撃から彼女を守った。


 午後の高級商店街の大通り。

 ここにはたくさんの買い物客や通行人で人があふれていた。

 スカーの体を吹き飛ばした爆発の炎と衝撃が、それら多くの街の人々を襲った!

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