第6話 少女の瞳にうつったもの ー祈りー

□□□サーシャ


 私はレッドオーガから逃げるため、母さまを起こそうと肩に手を回した。

 でも驚いた事に、母さまは私の胸を思いっきり両手で突き飛ばしたのだ。


 「キャっ!」


 私は母さまから数歩先に倒れ込み、それでもすぐに母さまに振り向くと。


 「ジねー!」


 レッドオーガがその太くて大きな腕を母さまに振り下ろした。


 「母さま――!」


 私は喉が破れるほど声を振り絞って叫んだ!


 ダダダダダダン


 乾いた破裂音が連続して響き、それとともにレッドオーガの体から血煙が舞った。


 「信じられない!レッドオーガを傷付けるなんて。」


 いずれにせよ、誰かが何らかの方法であのレッドオーガを傷付けて、そのおかげで私はこうしていられる。

 木々の向こうで、その誰かが走り回ってる気配を感じる。


 「ゴグアァァァァ―――!!」


 「きゃっ!」


 周りの全てを震わせるような叫び声をあげて、レッドオーガは薮の中に突進して行った。


 私は森の中での戦闘も忘れ、打ち倒された母さまに駆け寄り、母さまを起こそうとした。


 「母さま、起きて!今のうちに逃げましょ!」


 母さまの手を引き体を起こそうとしても母さまの手はダラリと垂れ下がり、私はバランスを崩して母さまの上に倒れ込んだ。


 うそっ!


 私は母さまの体を触ったが、母さまの反応がない!

 首元に触っても脈が感じられない!

 口に触っても、母さまの息が感じられない!

 母さまの瞼が、瞳が・・・


 「ヤー!母さま、死なないでー!私を一人にしないで――!ああぁぁっ」


 抱きついた母さまの体が、冷たくなっていくのが感じられ、私は悲しくて、つらくて、苦しくて、母さまの冷たくなってゆく胸に顔を埋めて、ただただ声を上げて泣くことしか出来なかった。

 大好きだった母さまの香りが、だんだんなくなっていく・・・


 −タタタ、ドーン、タタタタ−


 戦闘の音は、最早私の心には届かない。

 

 どんなに声を上げても苦しみが止まらない

 どんなに涙を流しても悲しみが止まらない

 ただ私の心が氷のように冷たくなってゆく


 「%#£€**%>?」


 やわらかな男の人の声が、氷った私の心に響いた。

 声のした方へ振り向くと、黒髪の優しそうな眼差しが私を心配そうに見ていた。

 でも、視界のすみにとらえたものが気になり、そちらに視線をそらすと、大量の血を流しながらレッドオーガがこちらに突進してきた。

 とたんに生臭い血の匂いが私の鼻を襲った。


 「キャー!」


 男の人は素早く左に体を捻りながら腰だめに黒く短い棒を振った。

 しかし、何も起こらず男の人は何かさけんだ。

 

 「&@%*=%#、&$^#}^+==*^#!」


 男の人は手に持っていた短い棒を手放すと、右の太腿に手を伸ばした。

 でも、血だらけのレッドオーガの方が、間一髪早く男の人を殴りそう。

 男の人がクルっと小さくなってレッドオーガの胸元に潜り込んだかと思うと、一瞬でレッドオーガが地面に叩きつけられていた。

 そして男の人は太腿から何かを取り出して、レッドオーガの頭にそれを付けて、ダンダンダンと轟音を響かせた。


 ・・・レッドオーガからは命の気配が消えていた。


 ・・・男の人が、母さまの仇を討ってくれた。

 でも、母さまのことを思った途端、私の心はまた氷ついた。


―――――


 どらくらい時間がたったのか分からないくらい泣き続けた。

 この世界の中にたった一人残されてしまった。


 あれほど強かった父さまはもういない。

 ・・・母さまと私を逃がすために戦って死んでいった。


 大好きだった母さまももういない。

 ・・・レッドオーガから私を守る為に死んでしまった。


 私の大切だった人たちはもう誰もいなくなったんだ・・・。

 

 気づけば男の人が側に戻ってきたようだ。

 何か独り言を言っていいるようだが、もう私に構わないで。

 このまま母さまと二人きりにして・・・。


 その時、突然圧倒的に神聖な魔力が降臨してきた。

 顔を上げると、横たわった母さまの頭の上にキラキラ輝く黄金の光が天上より差してくるのが見えた。


 「はっ!」


 私は突然の奇跡に息をのんだ。光の中に地母神アフロディーテ様が顕現していたのだ!


 「初めまして我が愛し子よ。妾はアフロディーテ。汝の悲しみを癒すために此処に参りました。

 まずは、汝の母をおくってあげましょう。」


 圧倒的な神威をまとった女神様が、母さまを穴の中に横たえてくれた。


 「ゆっくりとお休みなさい我が子よ。汝の眠りを何人も妨げぬ様、これを授けます。」


 女神様が両手を胸の前に上げて膨大な魔力を集めると、穴の上に銀色の光が集まり、大人の拳ほどの宝珠を形取った。

 銀の宝珠はゆっくりと穴の中に沈み、胸の上で組んだ母親の手にチョコンと乗った。


 「さあ、愛し子よ。汝の母に最後のお別れをなさい。」


 「はい。」


 わたしは母さまとこれでお別れなのだと思うと、また涙が止まらなくなった。でも、穴の淵まで進み、そこにひざまづいて母さまに最後の別れの祈りを捧げた。


 さようなら母さま。

 今まで大事に育ててくれてありがとう。

 だいだい大好きでした。

 愛してます、これからもずっと・・・。


 そして私は右手をそっと唇に触れて、お別れのキスを母さまに贈った。


 「それではこの子を土に返しましょう。」


 母さまがゆっくりと土に覆われてゆく。

 それを見ていたら、胸が張り裂けそうになり、これまで母さまに感じてきた愛しさが零れてきて言葉となった・・・。


 「母さま・・・」


 やがて穴は綺麗に埋まり、お墓となった。

 

 男の人が何か女神様に語り掛けている。


 「そうですね、ではこれを贈りましょう。」


 女神様は手のひらにフーっと息を吹きかけた。

 すると母さまのお墓の上にまたも膨大な魔力が集まり、やがて銀色の可愛らしい花の形となった。

 その奇跡の銀色の花からは、とても清らかな香りが漂ってきた。


 「この花の名はサーシャ。この子の名から取りました。世界中でたった一種、ここだけにしか咲きません。やがてこの地はこの花で満たされる事でしょう。

 この娘の祈りの花と宝珠の力により、この花園は永遠に邪を退けます。

 

 ・・今ここに一つ、奇跡が成就しました・・」


 女神様ありがとうございます。これで母さまが寂しくなることはありません。だって私の心がここにこうして、ずっと母さまに寄り添っているのだから。

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