亡き母の友人
原ぺこん
亡き母の友人
元気だった母が体調を崩し急死した。
部屋で1人死んでるところを近所の仲の良かった友人「中田さん」が見つけてくれたらしい。
死因は脳梗塞。
今日は遺品を整理するため15年ぶりに姉と実家へ訪れた。
まず部屋に入ってすぐ絶句せざるを得なかった。
部屋がひどく荒れている。
母は綺麗好きだったはずだ。
毎日毎日床やら棚やらたくさんの掃除道具を駆使して掃除していた。
実家に帰らないこの15年で母はこんなにも変わってしまったのかと、強いショックを受けた。
ただ、ほのかに香る芳香剤の香りが自分たちの知る母親を彷彿とさせる。
「…とっとと終わらせよう。」
姉が怪訝な顔をして言い放った。
僕はアルバムやら母のお気に入りのシャツやら、葬儀に必要そうなものと自分が取って置きたいものを箱に詰めた。
ふと姉の方を見るとない、ない、と独り言を言いながら箪笥や引き出しを漁っていた。
何を探しているのか聞くと、金品よ。お金。と冷たく僕を睨んだ。
2階まで一通り目を通し帰ろうかと姉に声をかけると、何やら深刻そうな顔をして額には汗もかいていた。
「おかしい。お金や通帳はおろか、アクセサリーもバッグもないのよ。」
姉は椅子に座り少し考えるから待って。と言い黙ってしまった。
確かに、母はおしゃれが好きでへそくりを貯めては質の良いアクセサリーやカバンを買っていた。
近年の年賀状にも綺麗に着飾った母の写真があったため確かな記憶だ。
しかし姉の言う通り一通り家を探したがそれらしきものは一つも見つからなかった。
姉の思考がまとまるのを待つ間、散らかった部屋が気になった僕は近くにあった毛布を拾い上げた。
「うっわ…」
思わず声を出してしまった視線の先には血の海。
時間が経ち液体っぽさは無く床に染み込んでいるが確かにドラマやなんかで見る血の海だ。
散らかった部屋。床に広がる血の海。玄人でもこれを見れば殺害現場だと思うだろう。
姉もしばらく見つめた後
「これ他殺じゃないの?」
と言った。
それは僕も一瞬そう思った。
しかし警察もそんなことは言っていなかったと聞いているし、病院でも脳梗塞だと言われたと聞いた。
「だっておかしいじゃない。あの綺麗好きな母さんがこんなに部屋を荒らして、脳梗塞なのに血まで垂れ流して、金品やアクセサリーまで全部無くなってる。どう考えたって他殺よ。」
「でも警察も病院も嘘つくわけないじゃ無いか。」
「それならこの状況はなんだっていうのよ!」
僕はしばらく言葉が出てこなかった。一般人の僕達にこんな状況が訪れるなんて思いもしなかったので頭が真っ白になった。
部屋に入ってすぐこの血を見つけていれば…そもそも他殺なら僕達が遺品を探すためとは言え部屋の中を触りまくってしまったのはアウトなのでは?
段々と思考が働き始め冷や汗を描き始めた僕に、同じことを思っているであろう姉がキレた。
「なんとか言いなさいよ!これ…どうすんのよ!」
「うるせぇなあ!姉ちゃんだって部屋荒らしただろ!」
少し言い合いになった後血の海の近くに少し形になっている線を見つけた。
「な…か…?」
こんなの誰が見たってわかる。描きかけの文字。血で書かれた文字。
ダイイングメッセージだ。
なか。確かにそう書かれた文字はカピカピに固まっている。
「第一発見者…近所に住む人そんな名前だったわよね。」
顔を真っ青にした姉が言う。
「第一発見者って…殺人って決まったわけでも無いのにそんな言い方…。インターホン鳴らしても出て来なかった母さんを心配して警察まで呼んでくれた人だぞ。」
「でもそれしか無いじゃない!そういえば霊安室で会った時派手なブレスレットしてたわ…」
「いい加減にしろよ!人が亡くなってんだから数珠ぐらいするだろ!」
しばらく重い空気が流れた。
でも確かに不審な点が多すぎる。
確かめようにも姉も自分も15年ぶりに母親と顔を合わせ、それも死んだあとだった。近所付き合いも恨まれるようなことをしたのかも、今の僕たちには知りようがない。
そして警察に再度調査を依頼しようにももう部屋を触りまくってしまったし、そもそも警察や病院までグルだとは考えづらい。
「姉さん、やっぱり事件性なんてないんだよ。だっt」
「あのねえ、日本の国家なんて腐りきってるんだから信用ならないのよ!」
姉は完全に錯乱状態になっている。
母は倹約家だったから金銭面に期待でもしていたのだろうか。
銀行に入っているお金や家は相続に手続がいるが家にあったものなら猫糞してもバレることはないと考えているのだろう。
しかしお金はおろか高く売れそうなアクセサリーやバッグまでないのだから発狂寸前だ。
生前どこかに売ったのかもしれない。
なんせ1年前ほどから体調は崩していたし、子供たちは帰ってこない。
僕は財産分与などするつもりはないだろうと以前考えていたからダメージはないが姉は期待していたようだ。
自分で処分していたというのも十分に考えられる。
しかしもう姉の耳には何も届いていない。
「もう悩んだってしょうがないし、姉ちゃんとこの子お迎えに行かないと。」
今にも走り出しそうなほど冷静さをかいた姉を宥めながら車に乗せ一旦自宅まで戻った。
自宅に着いてからがらにも無くコーヒーを淹れた。
落ち着きたかった。
でもやっぱり漫画じゃあるまいし、病死したと聞いていた母親が実は殺されていて病院や警察までグルでした、なんて考えられない。
明日は葬儀屋の方に行き色々と準備をしなくてはならない。
久しぶりの帰省に母の死、初めての喪主に頭がパンクしそうになる。
今日はもう、考えるのをやめた。
「おはようございます。昨日は休めましたか?」
心配そうに皺だらけの顔を顰めながら昨日会ったばかりの中田さんが近づいてきた。
一瞬、血のダイイングメッセージがちらつく。しかし心配してくれているこの方に失礼だと頭から消した。
「お母様が大事にされていたものなどは見つかりましたか?」
「いえ…それがあまり見つからなくて。」
「まぁ…でも私はもう5年ほどの付き合いになりますけれど、あまり贅沢をされない方だったから…あ、でも息子さんたちには会いたがってらっしゃったから、物なんてなくても喜ばれているわよ…。」
そう言う中田さんの目は潤んでいた。
贅沢をしていなかったと言うことはやはり高かったアクセサリーやバッグなどは中田さんに出会うより先に処分していたのだろう。
そう思ったらすこしだけ頭の中がすっきりした。
自分達よりもここ最近の母に詳しい中田さんは葬儀の打ち合わせにも付き合ってくれ、ショックで話にならない姉に変わりとてもテキパキと動いてくれた。
正直、母の好きな色や花すらわからない僕には心強かった。
とても、とても華やかで豪華な葬儀になった。
葬儀の日には姉も落ち着きを取り戻し、と言うより考えないことにしたらしく、15年ぶりに会ってもやはりまともに会話もしないまま葬儀は終了した。
遺骨を受け取った後、目の周りを赤くした中田さんが僕たちを呼び止めた。
「お二人とも、本当にお疲れ様でした。実は私もショックで気が動転してて伝え忘れていたのだけれど…亡くなる直前にね、あなたたちの連絡先と一緒に言伝も頼まれていたの。‘仲良くね‘って…一言。とっても苦しそうだったわ。だから、今からでも遅くないわ。世界に2人しかいない兄弟だもの。仲良くしているところを天国のお母さんに見せてあげて。」
そう言うとにっこり笑った。
姉は隣で泣き崩れていた。僕も今まで麻痺していた後悔という感情が押し寄せてきて涙がこぼれた。
思えばこの人から発見した時のこと、病名、警察から言われたことなどもすべて教えてもらい、息子なのに、何も知らなかった。
今になって、凄まじい恥ずかしさと自己嫌悪に襲われた。
血で書かれたなか、の字も仲良くしてと、苦しくて意識が薄れる中僕たちのことを考えながら書いたと思うと、目に浮かんでいた涙を後押しするように溢れ出してきた。
「弁護士さんからは、財産分与は絶対に兄弟で揉めるから無くす、全額寄付という形にしたと聞いたわ。あんまり気を落とさないで、まだ若いんだから、2人で力を合わせて頑張ってね。」
中田さんは最後まで僕たちに優しくしてくれた。
こんなに優しい友人がいて母さんも幸せだっただろう。
車を発車させても中田さんはずっと手を振ってくれていた。
歯茎が見えるほど笑う彼女の目は、全く笑っていなかった。
亡き母の友人 原ぺこん @harapeco8pekon
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