第113話

 「――やっぱりあいつら化け物よ」


 逸早く灯乃のもとへ駆けつけた春明達とは違い、壁に手をつき、ぜぇぜぇと呼吸を荒くさせながら身体を休ませているみつり。

 三日鷺となった春明はもとより、日々身体を鍛えている楓にも追いつける訳もなく、ついには力尽きて彼女はその場に座り込んだ。


 「……なんで私がこんなに走り回らなきゃならないのよ」


 みつりは疲労と不満で、動く気力を失う。

 終いには動く必要性さえ疑い出して、春明達を追うのもやめた。


 ――いつもこうだ。理不尽に振り回されるのは、決まってあいつのせい


 唯朝灯乃。

 いつもみつりの心積もりを尽く狂わせてくる。

 今も、昔も。


 「いつも、いつも、あいつのせい……」


 みつりの脳裏にふと灯乃の姿が浮かび上がる。

 優しく笑う彼女、けれどみつりにはそれが憎々しいものに見えて。

 何故ならその笑みの先には、いつも――


 ――タッ


 そんな時、正面から足音が聞こえて来てみつりはハッと顔を上げると、俯き加減でやって来た人影と目が合った。


 「えっ、雄二……!」

 「……みつり」


 きっと灯乃達と一緒にいるだろうと思っていただけに、一人でいる雄二に驚いて、みつりは目を見開く。


 「なんで? あいつらと一緒じゃないの?」

 「お前には関係ねぇだろ」

 「ちょっと待ってよ!」


 そのまま通り過ぎようとする雄二にみつりは慌てて立ち上がると、引き止めるように彼のベストを後ろから掴んだ。


 「どうしてあいつに関わろうとするの? 雄二には大会があるんだよ?」

 「大会なんて、今はそんなこと考えてる場合じゃねぇんだよ」

 「そんなことって……ずっと頑張ってきたじゃない、あんな奴よりすごく大事なことでしょ!」


 これまでマネージャーとして彼を支えてきた苦労を思い返すと、今の雄二の台詞に腹が立ち、みつりはムキになって声を張る。

 すると雄二は、顔色を一気に変え、彼女が思わずゾッとするような鋭い目で言った。


 「大会は、灯乃の為に頑張ってたんだ。あいつがいないんじゃ意味ねぇんだよ」

 「え……?」




 「――俺にとって、あいつ以上に大事なものなんてねぇんだから」




 雄二は咎めるような視線を投げたまま、開き直った口調ではっきりとみつりに告げた。

 それはつまり、雄二は灯乃のことを――

 みつりはショックからか放心状態となり、掴んでいた指先はベストから剥がれ、だらんと重力に任せて落ちた。

 そんな彼女を雄二が気にかける筈もなく、平然と置き去りにし教室へ帰っていく。

 みつりはただ、その後ろ姿を黙って見送る他なかった。


 *


 午後の授業となってからは、特に何かが変わることはなかった。

 何事もなく時が過ぎ、部活でも互いに警戒まででとどまり、下校となる。

 灯乃達は車に乗り込むと、皆それぞれにドッと重みのある疲労感に襲われたが、それでも灯乃は屋敷へ戻るとすぐに使用人の着物に着替え、作業を手伝った。


 「あぁ、疲れた……」


 手伝いもひと段落つくと、灯乃はいつもの縁側に腰を下ろして息を吐く。

 ようやく休める。

 だがそう思うと、今度はいろんなことを考えてしまう。

 雄二のこと、結局何もできなかったばかりか、仁内への命令も解除させられる羽目になってしまった。

 良いことなんて何もない。その上――


 灯乃は外のオレンジ色の景色を眺めた。

 黄昏時、もうすぐ夕食の時間が訪れようとしている。

 それなのに。


 ――斗真がいない


 朝、仁内と出て行ったきり、まだ戻っていないのだった。

 やっぱり今日は帰れないのだろうか。

 灯乃は、そっと自身の携帯電話を取り出して、じっと見つめた。


 「今、かけたら迷惑かな? 忙しいかな? ……うーん、やめとこうかな?」

 「煩いんだけど」

 「うぐっ」


 その時、灯乃の背後から不機嫌な低い声が投げ込まれ、灯乃は慌てて口元を抑えた。

 彼女がそろりと視線を振り向かせると、そこは通路を挟んで灯乃とみつりの部屋が広がっていて、遮る筈の襖は全開にされたまま、課題を済ませている最中のみつりと視線がかち合った。


 「ごっごめんなさい」

 「騒ぐんだったら、どっか行ってくれない?」

 「でも、一緒にいるように言われてるし」

 「昼間、一人で抜け駆けしたの、誰だっけ?」

 「……私です」


 昼休みの出来事を根に持っているのか、みつりはしっかりと灯乃に刺々しい言葉を浴びせる。

 それが彼女らしさだと分かっていても、心に受けるダメージは減ることを知らない。

 その痛みに灯乃が涙を拭っていると、みつりが少し悩みながらもポツポツと口を開いた。


 「アンタってさ」

 「えっ」

 「雄二のこと、どう思ってんの?」

 「どうって……?」


 突然そんなことを訊かれ、灯乃に一瞬の間があいた。

 何故訊くのかとも思ったが、みつりも雄二を心配しているのは確かだし、もしかしたらそれ以上の感情が彼に対してあるのかもしれない。

 灯乃はそう思うと、言葉を選びながらゆっくり答える。


 「どう、なんだろ。考えたことなかったな。雄二は同じ歳なのにお兄ちゃんみたいで、昔から私を護ってくれてて。そのせいでいっぱい傷つくこともあったから、だからもう私のせいで危ない目にあって欲しくないって思うし」

 「男としては見てないってこと?」

 「……それは……」


 決定的な答えを求められる言い方に灯乃が戸惑っていると、みつりは更に言葉を加える。


 「じゃ、斗真と比べたら?」

 「えっ!? 何で斗真?」


 唐突に飛び出した名前に灯乃がドキっとして訊き返すと、みつりは当然のことのように彼女の手元を指差した。

 そこにはしっかりと握られた携帯電話。

 ついさっきまで斗真にかけようか迷っていたのを思い出し、灯乃はボンッと顔から蒸気を発するほど真っ赤になった。

 斗真の名を口に出していないのに、何故仁内ではないと分かったのだろう?

 余計に恥ずかしくなって灯乃が黙り込んでしまうと、そこへ一つの気配が舞い降りた。


 「なあに、恋バナ? あたしも聞きたいわねぇ」

 「げっ春明さん!?」

 「げって、何よ」


 思わず灯乃から本音が漏れて、春明はむくれた顔を見せるがすぐに二ヤッとして彼女に詰め寄る。


 「さぁ答えなさい、灯乃ちゃん。斗真君と雄二君、どっちが好きなの?」

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