第111話

 雄二は憤怒に戦慄いた。

 白鷺に近かった灯乃の姿が、今や黒紅に染まっている。

 それはつまり、黒に近づくと分かっていて斗真が灯乃に命令したことを指している。


 「あの野郎、やっぱり灯乃に……!」


 雄二は再び灯乃の腕を掴もうと手を伸ばした。

 これ以上斗真と一緒にいたら、きっと彼女は黒にされてしまう。


 ――あの男に灯乃は、絶対渡さない


 「灯乃、俺と来い。あいつと一緒に居ちゃ駄目だ」


 雄二はそう言って彼女の腕を引くと、その瞬間に灯乃の姿が三日鷺から元の姿へ戻り始めた。

 翡翠の瞳も紅髪も、黒装束もふっつりと消え、ただの少女に戻った彼女は思う。


 ――これで斗真は大丈夫


 春明から、この命令さえ解除しなければ本当の危険に晒されることはない、そう聞かされていたが仕方ない。

 自身の危険より斗真の安全の方が大事なのだからと、灯乃には後悔はなかった。

 しかし、これで彼女を護る者はもういない。

 どんなに危険な目にあったとしても、灯乃自身で何とかしなければならないのだ。


 「命令が解除された――今だ」


 すると、黒紅の影たちが一斉に彼女へ手を伸ばした。

 それに気づいて、灯乃は逃げようと雄二の手を振り払おうとするが、彼はそれを許さない。

 力強く握り締めて、彼女のその小さな身体を腕の中へと抱き込んだ。


 「雄二、離して!」

 「何でだよ! 何であんな奴のとこに居ようとすんだよ!」

 「斗真はっ、斗真はただ、私を心配してくれてるだけなのっ」

 「んな訳ねぇだろ。命令されてんだぞ、お前はっ」

 「違うっ、そうじゃない」

 「灯乃!」


 まるで駄々をこねる子供を叱りつけるように、雄二は彼女の名を呼んだ。

 その怒鳴り声に、灯乃はキリッと唇を噛み締める。

 何故分かってくれない?

 斗真はただ、優しいだけなのに。


 灯乃の中で、あの時の彼の声と温もりが蘇った。

 縋りつく灯乃を正面から受け止め、必死に繋ぎ止めようとしてくれた斗真。

 熱くて、ドキドキして、灯乃は密かに浮かれもした。

 

 ――私は、斗真を信じてる


 「……ごめん、雄二」

 

 灯乃は次の瞬間、携行していた手裏剣を雄二の顔に向かって振りあげた。


 「なっ!?」

 「灯乃様を捕えろ!」


 僅かに刃が雄二の頬を掠り、思わず彼が手を離すと、解放された灯乃を見た黒影の男たちが慌てて叫んだ。

 やっぱり雄二と一緒には行けない。

 改めてそう思うと、灯乃は捕まるまいと駆け出そうとしたが、既に囲まれた状態で逃げきれる筈もなく、すぐさま彼らの手が伸びた。

 がその時。


 「見つけた」


 流れるように囁かれたその一声が聞こえたかと思えば、大きな突風が吹き荒れ、灯乃をも巻き込んで男たちが雄二の周りから吹き飛ばされた。

 灯乃は悲鳴をあげて宙を舞うが、それを誰かに受け止められ、ホッとする。


 「ご無事ですか?」

 「えっ」


 目を開くと、そこには楓の姿が。

 ハッとして雄二の方を振り返ると、薙刀を振りかざす春明が彼を護るようにして立っていた。

 どうやら雄二の頬に傷をつけたことで、春明に三日鷺の力が現れたのだろう。

 命令に従い、男たち諸共灯乃をなぎ払った彼に、灯乃は苦笑した。


 「……まったく。あたしに内緒で、勝手にイチャつかないでくれる?」


 春明はそう言って後ろを振り返ると、警戒心をむき出しに睨みつけてくる雄二が映った。


 「あなたが居なくてとっても寂しかったのよ? 雄二君」

 「灯乃を渡せ」

 「そんな言い方、傷ついちゃうわ。目的はこの子だけってこと?」

 「渡さないなら、あんたと話す気はねぇよ」

 「斗真君も心配してるわよ?」

 「……」


 春明の一言に、雄二の目が更に鋭く光った。

 今、雄二にその名は禁句だろう。


 「あいつが心配、だと?」

 「あたしのこの命令を解除しなかったのだって、あなたの身を案じてのことよ」

 「……俺が持ってる三日鷺の欠片を見つける為だろ。あいつは三日鷺のことしか考えてねぇよ。だから平気で灯乃に命令できるんだ」

 「……え?」


 雄二の言葉に、春明は顔色を変えた。

 斗真が灯乃に命令した、だと?


 「仁内にかけた命令は、灯乃に解除させた。俺は絶対あいつの好きにはさせない」

 「何ですって……!」


 春明は怪訝な目を灯乃に向け、それを目の当たりにした彼女はつい視線を逸らす。

 どうやら雄二の言うことは本当らしい。

 解除するなと言っていたのに。


 「灯乃、お前を護るのはあいつじゃなく俺だ。――また迎えに来る」

 「雄二……」


 雄二は今は不可能と思ったのか、灯乃を連れ去ることを諦め、その場から去っていった。

 吹き飛ばされた仲間達も隙を見て、さっさと消えていく。

 そんな情景を見ながら安堵するのも束の間、怒りを露にする春明の顔に灯乃はゾッとした。


 「灯乃ちゃん――どういうことかしら?」

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