第101話

 「いつまでそうしているつもりだ? 用があるなら、声くらい掛けろ」


 気配で既に気づいていたのか、斗真はそう言う。

 そういえば斗真に対してこっそり行動するなど不可能だったことを思い出し、灯乃は苦虫を踏み潰したような顔をするが、まだ心の準備ができていないせいか、一歩が踏み出せない。

 もたもたしている彼女に、斗真はようやく怪訝に眉を歪ませた。


 「どうした?」

 「え……いや、何でもない、んだけど……」


 何処か落ち着きなく目を泳がす灯乃に、斗真は少し考えてハァと溜息をこぼす。

 そして何を思ったのか、彼は部屋から出てくると、窓から庭の景色を眺め始めた。


 「今夜は来客が多いな」

 「え?」

 「みつりと何かあったのか?」


 彼女と同室になったことを考えてなのか、斗真が訊ねてくる。

 けれど灯乃のポカンとした様子からそうでないことを悟った彼は、考え直して言い換える。


 「……雄二のことか?」

 「……」


 その無言を肯定と捉えたようで、斗真はそうかと呟いた。

 やっぱりすぐに見抜かれてしまう。

 けれどどう言っていいのか未だ考えあぐねて、灯乃が戸惑っていると、


 「明日、あいつが来なければいいのにな」

 「……え?」


 斗真の声が小さく聞こえた。

 独り言のように呟かれたそれは、灯乃をきょとんとさせ、彼自身にも苦笑を浮かべさせる。

 本来なら雄二には登校してきて貰いたいところの筈、それなのに。

 複雑な表情を見せる灯乃に、斗真は続ける。


 「できるだけ、お前を危険な目には遭わせたくないんだ。本当は俺に同行させたかったんだが、お前の気持ちは変わらないんだろ?」

 「斗真……」


 彼の優しい本音を聞いて、灯乃は思わず目を逸らした。

 そうだった、いつだって斗真は周りのことばかり心配している。

 

 ――それなのに、私は……


 雄二のことを隠して、斗真を探ろうとしていた。

 それは彼に対しての裏切りのよう。

 自分はこんなにも彼に甘えているのに。

 と、そんな時、


 「……え?」 


 罪悪感に灯乃が襲われそうになっていると、斗真がそっと彼女にあるものを差し出してきた。

 それは彼にとって、とても大切で大事な、三日鷺の刀。


 「斗真……?」

 「本当は、これをお前に持たせたいと思っている」

 「え……っ」

 「これを持っていれば、お前は戦える。万一、本家からの刺客が現れたとしてもな。そうするべきなのかもしれないが、だが……」


 やはりそう易々と手放せるものではないのか、刀を持つ彼の手には抵抗の力が篭っていた。

 けれどそれでも、その言葉だけでも言って貰えただけで、彼の思いは十分灯乃に伝わる。


 自分の勝手な我儘なのに、斗真がここまで考えてくれていたとは。

 それを思い知った途端、あの夢の言葉が灯乃の頭の中に思い出された。


 “お前が知る温もりは――俺だけでいい”


 灯乃はその瞬間に紅潮した。

 心臓がドクドクと響き渡ってくる。

 あれはただの夢で、今は心配してくれているだけ。

 目の前の彼は、あの夢のように甘い感情をもって接してはいない。

 あの言葉のように、縛ることなんて言わない。


 けれど――気持ちが変に期待し高ぶる。

 もし、恋愛感情をもっていてくれたなら?

 もし、我儘を聞き入れずに縛ってくれたなら? と。


 ――まったく、何を考えているんだろう、私


 「これは斗真が持っていて」

 「灯乃……」


 灯乃は刀の鍔に触れると、そっと斗真の方へ優しく押し返した。


 「これは斗真の大事なものだから、簡単に誰かに預けちゃ駄目だよ。私なら大丈夫だから」


 灯乃は顔を上げると、斗真をまっすぐ見つめた。

 本当なら彼の三日鷺である自分は、もっと縛られてもいい筈なのに、斗真はいつだって我儘を許してくれる、自由をくれる。

 そして――信じてくれる。


 「私は十分あなたに守られているから。力をたくさん貰ったから、だからもう大丈夫」


 迷うことなんてなかったことを灯乃は知る。


 ――斗真は私を信じてくれている。だから私も、斗真を信じてる。

 雄二のことは、自分で何とかしよう。

 だって、決めたじゃない。

 

 ――私が斗真を護るって


 灯乃は斗真に、満面の笑みを浮かべた。

 するとその瞬間、彼女の姿がじわじわと三日鷺へと変わる。

 刀に触れていたせいだろうか。

 しかしその姿に、斗真は思わず息を呑む。

 いつもなら灯乃の髪は炎のように紅く伸びていくのに、まるでメッシュを入れたように所々黒味が混じりながら伸びていき、装束も以前よりも更に黒いような気がする。

 白に近づきつつあった彼女の姿とはうって変わり、それはまさにからすに突き進んでしまったであろう姿に変貌していた。

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