第77話
「待って斗真、もう三日鷺で斬らないでほしいの」
「灯乃?」
「亜樹様が言ってたの、三日鷺で斬り続けたら、黒になって破滅するって。斬られた人達も同じ、その道連れになるって」
灯乃は朱飛に背を向けながら、斗真に懇願した。
破滅――その言葉に二人は絶句する。
継承者である斗真はその対象に入るのかは分からないが、二人共が三日鷺によって斬られた者、決して他人事ではない。
「亜樹様、仁ちゃんのことで少し焦っていた。もしかしたら、そう遠くないのかもしれない。だから……」
「……」
まさか、と灯乃に対して二人は思った。
確かに今まで三日鷺に斬られた者の数を考えれば多いのかもしれないが、しかしその後灯乃によってほとんどが解放されている。
そしてその彼らを解放した灯乃は、どんどん白く装束を変えていっているのだ。
黒からは遠ざかっていると、三日鷺の望みに近づいていると斗真は思っていた。
「考えすぎじゃない? あたし達だって三日鷺になってそんなに経ってないし」
春明はかろうじて口を開き、チラッと朱飛の方を見る。
彼女なら何かしら知っていると思い、様子を見ようとしたのだが、その朱飛は暗い表情を静かに俯かせ視線を合わせないようにしている。
さも春明の考えが外れていると言わんばかりのその様子に、彼は一瞬固まった。
「……嘘、でしょ……?」
「朱飛、お前はやはり何も言うつもりはないのか?」
「私が語るには、あまりに恐れ多きこと。その立場にございませんので」
斗真の問いかけに、何も答えない朱飛。
彼は迷った。
自身の知らない情報を握っているのは、この場ではまず朱飛と亜樹。
しかしそのどちらともが口を閉ざし、情報を引き出せない始末になっている。
ならば、残された情報源はただ一人だけ。
だがそれも――
「……くそっ」
斗真は眠らされた亜樹を恨めしそうに睨んだ。
――こんなことで時間稼ぎだと? ふざけた真似をしてくれる
「道薛が戻れば、どうにかできるものを」
決断に踏み切れない斗真は、悔しそうに呟く。
「道薛さん? そういえば昨日、情報収集に出て行ったっけ。戻ってないの?」
「えぇ。向かったのは灯乃ちゃんと雄二君の家だから、すぐに帰ってくると思ったんだけど」
「え?」
灯乃が昨日道薛と会ったことを思い出していると、春明がそっと答えた。
その一言に、瞠目したのは朱飛だった。
「彼はね、放火の原因を掴みに行ったの。あの二件の放火が同一犯によるものなのか」
「え、それって別々の犯人がやったかもしれないってこと?」
「その可能性もあるでしょ? そして、灯乃ちゃん家を放火させたのが――朱飛なのかどうかをね」
「え……」
「春明っ」
斗真が彼を止めようと名を呼ぶが、遅かった。
しっかりと灯乃の耳に彼女の名前が流れ込み、そちらを見る。
「……それじゃ、朱飛が私のお母さんを……?」
「灯乃。まだその可能性があるってだけだ、証拠はない」
「斗真君……?」
「そっそうだよね、朱飛がそんなことする訳……」
斗真の安心させようとする言葉に灯乃が作り笑いを浮かべると、ふいに朱飛と目が合い、何故かドクンと心臓がはねた。
朱飛の瞳の奥が闇のように暗くて、何も見えない――何故そんな瞳をするの?
その時。
「うっ」
「灯乃?」
「いった、ぃ……頭が……」
再び頭痛が起こったのか、灯乃が頭を抱え始め、斗真は駆け寄ろうと立ち上がった。
痛み――それが彼女の瞳をまた翡翠に染める。
思考の中に飛び込んでくる、紅蓮の三日鷺の記憶。
“――あの灯乃の母親…………邪魔とは思わぬか?”
――……え……!!!!
「えっ、あっ……!?」
「灯乃っ!?」
頭痛とは別の苦痛も感じ始めた彼女を、斗真は思わず腕の中へ抱き寄せると、その光景に春明は目を細めた。
朱飛が灯乃の苦痛と翡翠の瞳を見て、小さくぼやく。
「だいぶ同化が進行していますね。もしかしたら、三日鷺様の記憶を共有し始めたのかもしれません」
「灯乃を苦しめるような記憶だとでもいうのか?」
斗真は苦しみ歪む灯乃を心配そうに眺め、何もできずにいる自身を悔やんだ。
一方で、そんな様子を何処か冷めた目で見る春明。
――斗真君。今までのあなたは、こんな優柔不断じゃなかった筈。もっと迷わず突き進んでいけた人だった筈なのに。この子のせい? この子があなたをこんなに弱くしてしまったの?
「……斗真君。いいんじゃない、紅蓮の三日鷺を呼んでも。このままじゃ埒があかないし、どうせ斗真君の命令で縛ることができるんだから」
「春明、しかし……」
斗真は迷うように、亜樹の方を見た。
彼女に打ち込まれた麻酔針が気になる。
ただの時間稼ぎなのかは分からないが、それを無視して呼び出していいのだろうか。
どうしても判断を下せない彼を見てか、春明に苛々とする感情がじわじわと押し寄せてきた。
「いつまでも灯乃ちゃんを苦しめたままにしておくより、ずーっといいでしょ? そう思わない? ねぇ
?」
「春明?」
何処か刺のある強い口調に斗真は眉を顰めるが、確かに彼の言うことにも一理ある上、これ以上灯乃の苦しんでいる顔を見たくないと思うと、斗真は自然と腹を括る。
「……確かに、そうだな」
――やっぱり。灯乃ちゃんを引き合いに出したら、簡単に乗ってくるのね
自分から言い出したことではあるが、それでも斗真があっさり決めたことに春明は更に苛立ちを覚えた。
「灯乃、すまない。少し休んでいてくれ」
斗真は苦しみに頭を抱える灯乃に優しく囁くと、気持ちを切り替えるように力を込める。
「命令だ、灯乃――紅蓮の三日鷺を出せ」
「っ……御意」
斗真の言霊を聞き、すぐに灯乃の口が開かれた。
彼女の髪がみるみる紅く伸び、黒から少し明るくなった灰紅色の装束が彼女に着せられて現れる。
黒から離れていく姿。
苦痛が消えたのか、落ち着き払った表情から宝石のような双眸が開かれた。
すると次の瞬間、
「え……っ」
一瞬で春明の長刀を奪ったかと思えば、紅蓮の三日鷺は眠る亜樹に向かってその刃を投げ放った。
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