第70話
「――学校への車が、もう出ただと……?」
登校時間が近付き斗真と春明は玄関を訪れるが、そこに車はなく、門番だった警備員から予定を変更して早朝に出て行ったことを知った。
登校をやめさせるつもりだったのに、知らない間に予定が変更されていたことで斗真は動揺する。
――あいつを護ると決めたのに。灯乃……
「どうして予定が変わったの? 許可をしたのは誰?」
春明が強い口調で門番達に問い詰める。
班長は朱飛だが、彼女なら変更したとしても必ず報告してくるし、早朝は出立の早い樹仁について予定の打ち合わせをしている筈。
朱飛ではない。ならば誰が――?
「亜樹様です」
斗真達の様子に門番達は戸惑い、罰が悪そうにそう答えた。
*
その頃、灯乃は専属メイドとして、亜樹の部屋で彼女の髪をとかしていた。
亜樹の髪は長く、美しいストレート。
和風ドレッサーの前に腰を下ろす彼女の後ろで、灯乃は羨ましそうに眺めながら櫛を通していた。
「綺麗ですね。私くせ毛だから、凄く憧れます」
「あら嬉しい。でもこれは縮毛矯正してるの。本当は私もくせ毛なのよ」
「そうなんですか」
「えぇ。――ああなたと同じ、ね」
亜樹は鏡に映る灯乃を見ながら、小さく微笑んだ。
一方で灯乃は、作業しつつも部屋の様子をチラチラと伺う。
特に不自然なところはない。
けれど、何故だろう――妙に心が穏やかで、とても安心している。
不自然といえば、それが不自然だった。
そんな時、亜樹がふと口を開く。
「ねぇ。灯乃ちゃんのご両親ってどんな方々なのかしら?」
「えっ私の、ですか?」
「えぇ、あなたと同じでくせ毛なの?」
亜樹は何気なく訊ねた。
すると灯乃は、少し複雑な気持ちを感じながらも思い起こして苦笑する。
「いえ。父も母も……姉も違いました。私だけみたいで」
「そう。周りに同じような人がいないと、悩みの相談なんてできないわね」
「えぇ、まぁ」
「私で良ければ相談に乗るわよ? 髪のことでも――他のことでも」
「え……?」
その時、亜樹の顔がくるりと後ろを振り返った。
その双眸は鋭く、灯乃の心の内を見透かしているようだ。
「さっきから周りの様子を気にしているようだけど、何を探っているのかしら?」
「! わっ私は何も……」
「ねぇ、灯乃ちゃん。あなた、昨日の者達のことをどう思う?」
「えっ、急に何ですか……?」
「あの者達のこと、敵だと思う?」
「亜樹、様……?」
灯乃の考えを察しているのか、亜樹は真意をつこうと彼女に揺さぶりを仕掛けてきた。
がその時。
――タッタッタッ
焦ったような少し荒い足音が近づいて来ると、亜樹は《隠れて》と一言囁き、突然襖を開いて灯乃を隣の部屋へと隠した。
するとその直後に、外から斗真の声が響く。
「叔母上、居られますか?」
亜樹が《どうぞ》と応えると、すぐにでも襖が開かれ斗真と春明が入ってきた。
「あら、斗真さん、春明ちゃん。どうしたの、こんな朝早くに」
「どうしたのではありません。何故予定を早めて灯乃達を登校させたのですか?」
斗真の声が聞こえてくると、灯乃はドキッとした。
彼の口ぶりからして、どうやら灯乃も登校していったと思い込んでいるようだ。
そのことに灯乃は少しホッとしながらも自身の姿を改めて見る。
――こんな姿、やっぱり斗真には見せられないな
見つかれば怒られるか、呆れられるか。
雄二や仁内のような反応を彼に期待してみるが、まず想像がつかない。
すぐにあり得ないと灯乃は断念し、冷ややかな目を向けてくるだろう斗真にゾッとした。
見せる勇気など持てない。
だからこそなのか、せめて何かしらの情報を手に入れなければ。
亜樹が二人に気を取られている間にと、灯乃はゆっくりと周囲を見渡した。
するとそれはすぐに発見される。
――白い、毛……? かたい――まさかあの犬の毛!?
畳の隙間に光るものを見つけ、灯乃がそれをつまみ上げ驚きの反応をすると、その瞬間、反動でチョーカーの鈴が震えた。
――シャリン……!
「誰かいるのか?」
しまった。
それは隣の部屋にも聞こえたのか、斗真が敏感に反応して襖を睨む。
そして亜樹を伺い、苦笑する彼女を見届けると、春明が警戒しながらも勢い良くそれを開いた。
すると。
「……誰もいない、か」
斗真が呟いたその先には無人の部屋が映り、取り越し苦労をくらう。
かと思いきや、外へ繋がる襖が開かれいてそこから鈴の音が再び聞こえた。
灯乃が咄嗟に飛び出したのだ。
だがそれはすぐに斗真に気づかれ、あとを追われる。
「待て!」
そんな彼の後を春明も追いかけようとしたが、垣間見えた亜樹の表情が何処か悪戯っ子のような、面白がっているような顔に見え、それだけで察したのか彼は呆れた目を向けた。
「叔母様、まさか……遊んでた?」
「ふふっ」
――シャリン、シャリン……!
「ううっ、外れないっ!」
一方で何とか外へと逃げ出せた灯乃だったが、鈴の音が体の動きに合わせてうるさく鳴り響く。
おかげで斗真に居場所を知られ、何とかチョーカーを外そうとするも走りながらではなかなか外せず、いつしかすぐ後ろまで迫られていた。
そしてついに、腕を斗真に掴まれる。
「待て! お前は誰……だ……っ!?」
正面を向かされると、視界いっぱいに彼の姿が映り、灯乃は真っ赤になりながら身体を強ばらせた。
しかしそれ以上に、斗真の方が驚きで言葉を詰まらせる。
「……灯、乃……?」
「~~~~っ」
ただでさえ灯乃は学校へ向かったと思っていたのに、まさかこんなところでこんな格好をしているとは夢にも思わず、斗真は困惑しながらも頰を染めた。
ドクドクと心臓の音が暴れ始める。
一番は灯乃が無事であったことに安堵するものの、やはりその唆られる服装に目が向いてしまうのか、斗真の心中は決して穏やかになれない。
――目が逸らせない
「あっあの……斗真……?」
その視線はあまりにまっすぐで熱を帯びていたのか、灯乃が戸惑った眼差しで斗真に口を開く。
その瞬間彼はハッとし、慌てて繋いでいた手を解き、顔を背けた。
――こんな唐突にこんな姿は反則だ
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