第61話

 「もぉ! 馬鹿、馬鹿、私っ!!」


 灯乃は全力で廊下を走り抜け、力尽きた頃にやっと足を止めてゼェゼェと息を吐いた。

 名誉挽回しようとしていたのに、反対にまた迷惑をかけるなんて、何をしているのだろう。

 心が折れそうな思いで灯乃は唇を噛み締めた。


 ――役に立ちたいのに、上手くいかない


 やっと居場所がつくれそうなのに、また見失ってしまいそうだ。

 灯乃はその場で崩れるように座り込むと、小さく蹲った。

 と、そんな時ふと辺りを見回す。

 逃げるのに必死で周りを見ていなかったが、ひと気がなくひっそりとしたうす暗い廊下に灯乃はたった一人でいる。


 「ここ、何処……?」


 いったい何処まで走ってきたのか、彼女の見知った景色のどれにも当てはまらず、途端に灯乃の顔は真っ青になった。


 「まさか迷子? 私、また迷惑かけちゃう」


 すると、そんな時。


 「誰だっ」


 灯乃に気づいた誰かが、暗い廊下の奥から声をあげた。

 まるでここに人がいるのは不自然と言わんばかりの厳しい一声で、灯乃は思わずドキッとして慌てて立ち上がる。

 どうやら彼女は、まずい所へ来てしまったようだ。

 既にすぐ近くまでやって来ている気配にもはや逃げることもできず、灯乃は恐る恐る待ち構えていると、その先から大柄の男性が現れた。

 あれは――


 「樹仁様……!?」

 「お前は紅蓮の三日鷺? 何故ここにいる?」


 ここの主人である彼に見つかり、灯乃の脳内で何かが終わりを告げた。

 樹仁が怪訝な顔をするということは、この先は誰も立ち入らせないようにしていたのだろう。

 そんな大変な所へ迷い込んでしまい、灯乃はとにかくこの場から離れなければと、彼とは反対の方へ身体を向けた。

 

 「すっすみません! ただ迷ってしまっただけなんです!」


 そしてそのまま灯乃が勢いよく逃げ出そうとした瞬間、樹仁はぐっと彼女の腕を掴み上げ顔を振り向かせた。


 「えっ、あっあの……」

 「……やはり似ているな、あの女に」

 「え……?」


 まじまじと近くで顔を見られ、灯乃は身構える。

 誰と重ねているのか、樹仁の瞳が一瞬優しくなるが、すぐにいつもの厳しい目つきに変わり灯乃を問い詰める。


 「この先に何の用だ? 探りを入れにでも来たか?」

 「いえ、ですから、えっと……」


 灯乃を何処かの刺客と考えているのか、樹仁は僅かな隙も見せまいとするように凝視してくるが、一方で彼女は在らぬ疑いをかけられ困り果てた。

 いったいどうすればいいのか。

 するとその時。


 「息子と同じ歳の子に手を出すのは犯罪ですよ、叔父様」


 灯乃の背後でしっかりとした声が聞こえ、二人はそちらを向くとそこに春明の姿があった。

 その口調には茶化すような軽さがあったが、その反面彼の纏う空気は樹仁を警戒する重苦しさで淀む。

 二人の間に親しみなど一切感じられなかった。


 「お前こそ、そのふざけた格好は何とかならんのか」

 「すみません。以後、気をつけてみます」


 彼らに会話する気があるのか、ないのか。

 二人の意識は互いに敵視するような険しい視線に集中していて、話の内容などどうでもいいように聞こえた。

 春明は素早く灯乃の腕を引き、樹仁に会釈すると、さっさと彼女を連れこの場を後にする。

 そんな二人を樹仁も追う気はなかったのか、静かに暗闇の中へと引き返していくと、春明と灯乃はその遠ざかっていく気配にホッと息を吐いた。


 「春明さん、助かったよぉ」

 「まったく。あの先は叔父様の書斎なんだから、そんな所に迷い込まないでくれる?」

 「え」

 「全力疾走していくあなたを見たの。あんなに取り乱して、何があったのよ?」


 春明は猛スピードで駆け抜けていく灯乃を追ってあの場に現れたようで、呆れと疲れが入り混じる表情で彼女を見た。

 一方で灯乃は、追って来てくれたのが春明だったことに安堵しながらも、言い難そうにこれまでの経緯を話すと、彼は次第に驚きで言葉を失っていった。

 斗真の言動の発端は、間違いなく何気なく放った自分の一言。

 まさかそれが斗真をかき乱していたとは思いもよらなかったが、春明は自身の胸に手を当てると妙にそれを納得する。


 ――なるほど。何だか落ち着かないと思っていたら、そういうこと


 「……あの斗真君がねぇ……」


 先程から春明もそわそわしている気持ちに気づいていたが、雄二のことで興奮が冷め止まないからだと思っていた。

 けれどどうやらそうではなさそうだ。


 ――こんな気持ち、斗真君は本気で灯乃ちゃんのことを?




 ――まさかこんな……小娘を?




 春明は何処か気に入らない思いを秘め、灯乃を見た。

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