第7話 デートですか、こんばんは。
由依があれこれ売り場の中で気になったものを手に取ってはこれおいしそうですよっ、と見せてくれるのを微笑んで見つめる。
思えば不思議なもので、あたしがこんなふうに後輩の女の子と親しくしているのは、数ヶ月前にはとても想像できなかった。
影井京介くんという男の子のことを思う。
彼があくまで人を寄せ付けがたいのだけれど、不思議と目を離せないような魅力を持っていたからこそ、あたしたちはいま彼を中心に、なにか引力のようなものにひかれて身を寄り合わせている。
由依の表情は明るく、これからへの期待に瞳が輝いている。
こんな景色を見ることができたのも、影井くんがいたからだ。
けれど、影井くんだけではあたしたちは決してこんな結末を迎えなかっただろう。
高峰景一がいなければ。
「……聞いてます? ひな先輩っ」
「え、ああ、ごめんね。なんだっけ」
「もお〜、なに鍋にしましょうかってことですよっ。いろいろ具材の案は出てきましたけど、結局なに味にするかで変わってくるじゃないですか?」
「そっか。とはいえこの暑いのに鍋となると具体的なイメージが湧かなくてなにがいいか思いつかないわよ……?」
ひな先輩、とあたしを呼ぶ由依。
初めて出会ったときは、図書委員の最初の集まりだったっけ。
朝永先輩と恐るおそる呼ばれていたような覚えがある。
いまではこんなに人懐っこい笑みを見せてひな先輩、とあだ名で呼んでくれることに、あたしはたまらなく愛おしく思う。
彼女はふんす、と勢いよく言う。
「暑いから鍋がいいんですっ! クーラーをガンガンに効かせた部屋で鍋して、汗だらだらになって、食べ終わったら涼しい〜ってなるのがいいんですよ! あっ、そう考えたらキムチ鍋とかいいかも。すっごくいいかも……」
そう言ったかと思えば、彼女はまだ見ぬキムチ鍋への妄想に深く沈んでいってしまい、周りが見えなくなっている。
由依にはそういう夢見がちというか、ひとつのものがいいと思ったらそのことばかりに夢中になっていられるようなところがある。
けれど、あたしも一人暮らし始めたての頃はそうだったからわかる。
この子は夏の冷房費を甘く見ている。
クーラーのリモコン権を自分一人のものにできる一人暮らしの甘い誘いに乗って、彼女は暑いときには惜しまずクーラーをつけているからこそ、不意にこんな真夏クーラー鍋のような自然の摂理に反した発想が出てくるのだろう。
……ま、ひと月過ごしてみて電話でお母さんにこっぴどく怒られてからようやく気付くのよね、こういうことって。
そろそろ、と思いふわふわ顔になってそこらを彷徨っている由依の首根っこをつかんで引き戻す。
「あーもうそんなとこでふらふらしないの! キムチ鍋ね、わかったから材料選んでいきましょ。いくらお泊まり会っていっても早めにご飯食べられたほうが、時間を有意義に使えていいでしょ?」
「……あっ、はいっ! そっか、ひな先輩、わたしと夜更かししてお話するの楽しみにしてくれてるんですね? うれしいなあ」
「そんなこと言ってないけど……ま、まあ、楽しみにはしてるわよっ?」
「えへへっ」
由依は本当にかわいい。
今日、土日のお休みぶりに会ったらバッグに新しくついていた水族館のチャーム。
なにやら足の長いカニをかたどったそのチャームは、おそらく高峰とのデートで買ったものだろう。
……もしかすると彼からのプレゼントかもしれない。
彼女はかわいいから、きっとそういうおねだりもあたしよりずっと上手くやるんだろうな。
少しだけむずむずする。
緑色の感情が立ち上がりそうになるのを、あたしは楽しいことを考えて打ち消した。
「よし、こんなもんでいいかしら」
「そうですねっ! うーっ、楽しみになってきましたっ」
きむちなべっ、きむちなべっという謎の歌を歌いながらスーパーを出る由依についていきながら、この子は本当に大丈夫なのかしらとちょっと呆れつつも、自分でも楽しみになって足取りは軽く。
両手に提げたビニール袋は食材でぱんぱんになっていて、特に飲み物のボトルなんかがかなりずっしりきている。
駅前の街並みは夕方から夜に移りかわろうという頃で、煌びやかな灯りはそれぞれの暮らしの営みを彩るように。
あたしは由依のあとをついて、そんなことを考えながら歩いていると、ふと由依の足が止まったのか、背中にぶつかった。
「あれ、どうしたの? 由依」
「あ、あ、あ……」
由依の顔を見ると蒼白になっていて、少し先を指先で指してあんぐり口を開けている。
あたしは訝しんでその先を見ても、人がまばらに歩いているだけで。
「な、なによ……? 大丈夫?」
「ひっ、ひな先輩……あれ、あれ見てくださいっ」
そう言われてもう一度よく見てみると、そこには見知った顔があった。
高峰だ。
それだけならまだよかったのだが、というかむしろ嬉しく思えたのだが。
「え……」
高峰の隣を歩いていたのは、黒髪の肩まで垂らした綺麗な女の子だった。
「あれって……高峰よね?」
「そ、そうですよね……わたしの見間違いじゃないですよねっ!?」
数メートルは離れているからよく見えないけれど、確かに女の子だ。
夏らしい露出度高めのトップスを着ていて遠目にもそのシルエットはすらりとして、女のあたしから見ても綺麗だ。
全身の華奢な印象に対してバランスを取るようなフレアスカート。
そして目を逸らそうとしても見えてしまうのが、その彼女はどうやら高峰と腕を組んでいるらしいのだ。
「ひ、ひな先輩……」
「由依……」
あたしたちはそこで立ち尽くしてしまう。
由依はまだ呆然としているらしかったが、あたしのほうはすぐに燃え上がるような感情を感じた。
今度は赤い。怒りである。
「あたしというものが、あたしたちというものがありながら……っ、高峰ぇえ!」
「ひな先輩!? ちょ、落ち着いてっ」
「これが落ち着いてなんていられるもんですか! 高峰のやつ、告白の返事を渋ってると思ったらあんな彼女がいたなんて……!」
「か、彼女ってきまったわけじゃ……」
「じゃあ、あの腕組んでるのはなんなのよっ!? あたしたち、高峰のやつに遊ばれてたのよ!? もー許せない、あたし行って問いただしてくる!」
あたしが勢い勇んで飛び出そうとしたところを、今度は由依が首根っこをつかまえて引き戻してくる。
「ま、待ってくださいひな先輩っ!」
その表情は切実だ。
「き、急に行ったら迷惑かもですよ……? よく考えたら、わたしたちが高峰先輩にその、無理やり迫ってる泥棒猫ってことも……」
「……た、たしかに」
その由依の言葉でふと我に返る。
あたしたちは勝手に高峰を好きになったんだ。
高峰が誰を好きになるか、結局のところそれは高峰が決めることであって、あたしたちに口出しする権利は全然ないのだ。
でも、でも。
「だからって、高峰はべつに好きな子がいるんだったらもっと早くに振ってくれたってよかったじゃない!? あいつがっ、そりゃ、女の子に黙って何人もと何股もかけるような男には、見えないけどっ!」
「そ、そうですよ!? わたしたちが思うような、彼女さん、とかではないかもしれませんから!」
それでも、あたしの怒りはまだまだ消えていなかった。
「……とにかく、由依もついてきなさい」
「ひえっ!?」
怯えたような声で答える由依を引っ張ってあたしはぐんぐん進んだ。
「話を聞いて事態をはっきりさせないことには、あたしはもう止まれない」
「ひ、ひな先輩〜っ!?」
ずんずんと歩みを進めると周囲の人がざわついて離れていく。
夜の街の光が流れて、爪痕のように網膜に焼き付いて、ぐらぐらと焼き付くようなあたしのなかの怒りに刻まれていく。
あわわ、と嘆く由依を引きずって高峰の前までやってくると、あたしは隣の女にも聞こえるように毅然と言い放った。
「──デートですか、こんばんは!」
「は、えっ……朝永ぁ!? それに、勧夕まで……」
目の前に急に現れたあたしたちを見て、高峰は目に見えて狼狽える。
やっぱりそうなんだ。
後ろ暗いものがあるのね、高峰。
白状させてやる。
「高峰くん、ずいぶん楽しそうに歩いてるじゃない? デートなのね、そうなのね! そっちの彼女も紹介してほしいわ!?」
「ひ、ひな先輩っ、さすがにやりすぎ……」
「由依っ、止めないで!」
「ひぃいぃ!」
あたしはもう全身が燃え上がる蒸気機関のようになっていた。
目の前にしてみると、やっぱり止められなかった。
「ちょ、ちょっと待て……なんか、勘違いしてないか?」
高峰が言い訳がましく弁解しようとするが。
「勘違いねえ、ま、あたしは確かに勘違いしてたかもね? 高峰がっ……もしかしたら高峰もっ、あたしのこと好きになってくれるかもって……勝手に期待して、勘違いしてっ……!」
あれ、おかしい。
頭が熱くなったと思ったら、急に全身が冷えてきて。
どうしようもなく力が抜けて。
「朝永っ!?」
がさ、と大きな音がしたのだけが耳の奥に響いて聞こえた。
いっぱいのビニール袋が落ちた音。
倒れ込んだ、と後から気がついたのだけど、感じるはずだった地面の冷たさや硬さ、痛みは感じなかった。
その代わりに、がっしりして、けれどやわらかくてあたたかい感触。
覗き込んでくる顔はどこまでも優しくて。
「たか、みね……?」
「おいっ、大丈夫かよ……? お前、急に倒れるから……」
高峰は、あたしを抱き留めてくれていた。
「だ、大丈夫……もう、立てるから」
あたしは手を借りながら、なんとか自分の力で立ち上がった。
すぐに傍にいた由依が駆け寄ってくれて、あたしに寄り添ってくれる。
「だっ、大丈夫でしたか……? ひな先輩っ」
「ごめんね、由依……ちょっと熱くなっちゃったみたい」
あたしは改めて高峰と隣の驚いた顔をしている女の子に向き合う。
高峰は、渋い顔で口を開いた。
「朝永、勧夕……本当にすまん。誤解されてるようだから説明させてほしいんだが、こいつは俺の妹なんだ」
そう言って高峰が促して、前に出てきた女の子は、おずおずと言う。
上気した頬は桜色に染まっていて、彼女の健康的な魅力がはっきりとわかる表情で。
「なんか、私のせいで大変なことになっちゃって……ごめんなさい! えと、私はご紹介にあずかりましたとおり、兄さんの妹で……高峰遥っていいます。よろしくお願いします!」
「へ……妹?」
「い、妹、ですか?」
あたしと由依は、そこでまたしても呆然と立ち尽くしてしまうのだった。
あたしたちの誤解が解けるまでしばらくの説明の時間を要して。
誤解が解けてからは、まだぎこちなくはあるものの、遥さんの快活な性格もあって、あたしたちは打ち解けていた。
「そっか、二人は兄さんと仲良しグループの人で、私が兄さんの彼女だと思い込んで思わず突撃してきたってわけなんですね?」
「そ、そうなの……ごめんね? 遥さんが妹だったなんて、というか高峰に妹がいたなんて知らなかったから」
「わたしも知りませんでしたよ、高峰先輩」
高峰は頭をかきながらも答える。
「いや、今年からこっちに越してきてな。俺が料理できないのもあって、家賃は俺が多めに出して、家事担当みたいな形で一緒に住んでんだ。言ってなくて悪かったな」
「私も兄さんの友達とは一度会ってみたかったので、もっと早くに紹介してもらえていれば、こんなことにはならなかったかもですね?」
「おい、遥……お前ぐらい俺のフォローしてくれてもいいだろうが」
「やーですよ、兄さん。だってこんなかわいらしい女の子二人に慌てて詰め寄られるような羨ましい兄さんを、妹はちょっとからかいたくなるものでしょう?」
「ぐっ……」
高峰はまた狼狽えている。
そこに追い打ちをかけるように遥さん。
「……で、兄さんの彼女さんはどっちなんです?」
「えっ……!」
「ええー!?」
あたしと由依はそれぞれに慌てだす。
高峰は罰の悪そうな顔をしながら、遥さんの頭をぽかりと叩いた。
「あんま兄貴のプライベートを詮索するな」
「ふふっ。ごめんなさい、兄さん」
あんなに慌てた事件の後も、平日の夜の駅前は素知らぬ顔でいつもと同じ顔をしていて。
そのあとは、由依が誘って高峰兄妹を連れて四人で鍋パーティーをした。
案の定というか、クーラーをつけて鍋をするという由依の発想は、一人暮らし経験者の高峰と家事担当でしっかりしている遥さんにダメ出しを食らっていて。
由依はそんな〜これがいいと思ったのにぃ、と悲しげに俯いていた。
あたしが慰めてあげると、由依はまたずるいかわいすぎる顔で、それも涙目で何かをねだるような言い方で、でもキムチ鍋おいしかったですよね、と聞いてきて。
あたしは思わず、ほんと、すっごく美味しかったわよ、と答えてしまうのだった。
……ちょっと甘やかしすぎかも?
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