第2話 朝永とモールでデート(後)
心地よい疲れに身を任せてモールの外にあるテラスでゆったりと休憩していると、気がつけば空は茜色に暮れはじめる。
高峰は缶コーヒーをいつも二本買う癖があって、それはもしかすると同席する誰かとの会話にちゃんと耳を傾けるためにそうしているのかもしれないし、ただ一本飲み終えたあとにもう一度席を立つのが億劫なだけなのかもしれないが、いつもそうしていた。
そのもう一本のプルタブにちょうど指をかけていたところで、あたしは切り出した。
「高峰はさ、あたしと由依があの日、あんたにその……告白したとき、どう思った?」
言いづらくて少し口ごもりながらだったけれど、あたしらしい直接な聞きかただった。
ふわふわしていて、雰囲気や気分のようなあてにならないものが頼りにされることばかりの恋というものにとらわれていても、あたしはこの期に及んではっきりしていたかった。
だからこうして言葉を選んだ。
高峰は応える。
「んー、忌憚なく言えば、そりゃ嬉しかったよ。誰から見たってめちゃくちゃかわいい女の子二人に、急に同時に好きだなんて言われて、嬉しくないなんてやつがいたら俺がボコボコにしてやる」
「そんな知らない男のことなんてどうでもいいのよ。あたしは高峰の気持ちが知りたい」
「……嬉しいって」
「うそ。それならあんたは、こんなふうに答えを引き延ばしたりしないでしょ?」
「……」
高峰は迷っているようだった。
だからあたしは、彼が少しでも答えやすいように、言いにくいかもしれないことをあたしのほうから言ってやる。
「怖いの?」
「……そりゃ、怖いよ」
怖くないやつなんていないよね、とあたしも思う。
だって二人から求められた男の子は、二人に応えるわけにはいかない。
漫画やアニメなら、二人を同じだけ好きでいるとか、二人と同じだけの関係を築いていこうなんて甘い答えも許されるかもしれない。
でも現実はそうじゃない。
誰かが傷つくことになる。
あたしの考えでは、高峰はそういうことを良しとしない人だし、それが自分の選択で結果につながることなら尚更だろう、と思う。
でも。
「あんたが答えを出さなきゃ、あたしたちはずっと宙ぶらりんのままなのよ。それはもしかするといちばん幸福な時間かもしれないし、誰も不幸にならない唯一の時間なのかもしれない」
「でもずっとは続かない、だろ?」
高峰だってわかっている。
彼にわからないはずはない。誰よりも人が傷つくことを恐れて、いつもその飄々とした表情の裏に、臆病な目線を忍ばせている彼に。
「あたしはいいよ。あんたの答えを待つのはかまわない。だってこれは、この……好き、って気持ちは、あたしのわがままだし。この好きがなきゃ、あんたもあたしも……由依も、傷付かなくていい道だって、あったかもしれないし」
「やめてくれよ」
高峰はあたしの言葉を食うようにして言った。その響きは切実だった。
「俺は朝永に好きって言ってもらえて、何よりまずは嬉しかったんだ。勧夕ちゃんにだってそうだ。どっちの好きのほうが嬉しかったなんてことが言えりゃ、もっと話は早いし、そうできない俺の臆病さとみっともなさを責めるならそうしてくれ。でも、お前が勇気を出して俺に言ってくれたことが、もしなかったら、なんて言うのはやめてくれよ」
「……ごめん。でも、ありがとね」
高峰はあたしを心から心配してくれているのだった。
だからこそ、そこにどんな理由や気持ちがあるのかわからないけれど、彼はすぐにあたしたちの求めに応えられない。
それはわかった。
「俺のほうが、ごめん、だ……」
高峰は自嘲気味に笑って続ける。
「俺だけが嫌われて済むなら、二人ともの気持ちを断って、いままで通り四人で──影井と朝永、勧夕ちゃんと、それから俺で、変わらず仲良くできたら、なんて思っちまうよ。もしそんなとんでもない欲張りで、しかも人の気持ちを平気で踏み躙ったひどい願いが叶うなら、だけどな」
「ううん、あたしだってわかるよ。その気持ち」
あたしや由依の気持ちに迷惑してる、と誤解されてもおかしくないようなそんな言葉を、だけどあたしはそう思わないと信じてくれたからこその素直な言葉に、あたしも同じだけの素直さで答えなきゃ。
「でも、あたしは願わない。だってあたしには高峰と幸せになりたいって願いがあるから」
高峰は目を丸くした。
「あたしは、欲張りになることにしたの。もしかしたら漫画やアニメの、二人の女の子と仲良く付き合っちゃおうなんていうバカな主人公の男の子にも負けないくらいの欲張りに。だって、あたしは高峰を独り占めしたいと思ってる。そのために、もちろんあたしがどれだけ傷ついてもいい、それに……高峰を、由依ちゃんを、傷つけても仕方ないって思ってる」
高峰は目を伏せる。あたしはそれでも続ける。
「サイテーな女の子かもしれないよ。もちろん後ろ暗いことはしない。だってそのために由依ちゃんと話し合って、高峰が受け入れてくれたほうを、そうじゃないほうが祝福するって決めたんだもの。でも、あたしは自分が真摯だと思うやりかたでなら、それであたしが高峰と由依ちゃんを傷つけて、それで嫌われちゃうなら、悲しいけどあたしは受け入れる。だってそれくらい、あんたが好きなの」
高峰はしばらく黙っていた。
あたしはどきどきしながら、次の言葉を待っていた。
心臓の拍動はどこまでも高まっていって、自分の全身が恋を駆動するための機械になってしまって、このままそれ以外の機能が次第に切り捨てられてしまうんじゃないか、そうしたらだんだん息もできなくなっていって、苦しさのあまりあたしは死んでしまうのじゃないかという恐怖すら感じていた。
高峰は顔を上げた。その顔は真っ直ぐだった。
「ありがとな。でも、ごめん。今はまだ、やっぱり答えは出せねえよ。それでやっぱり許せないってのなら、俺のことなんか捨てて、新しくいい奴を探してくれ。朝永がサイテーな女の子だって言うなら、俺のほうがずっと最悪のクズだ」
高峰はふだんほとんど見せない真面目な顔であたしを見ていたけれど、だからその視線がすごく真剣で、はっきりとあたしの心の中まで見つめていたことにもっと嬉しく思ってもよかったのだけれど、それよりもずっと、向こうがあたしの中身をきちんと見据えたからこそ、こちらに見えてきた彼の中身が涙のような水面で、それが溢れそうになっていたことが不思議で、悲しくて、そのことで頭と胸の中がいっぱいになってしまった。
「帰ろうぜ、朝永。今日は本当に楽しかったよ」
あたしはうん、と頷いていたが、頭の中ではずっと、彼の中にある水面のことを考えていた。
それから、彼と初めて会った時のことを思い出していた。
最初の印象。
高峰景一は見るからに軽薄で薄っぺらなやつで、少しも信用する気になれなかった。
新しい学年になってクラス替えがあり、ようやく馴染んだくらいのころ。
あたしは確かクラスメイトの女の子たちとだらだら話していたんだっけ。
放課後の教室で、なんとなくその日あった授業のこととか、そのころできたばかりだったケーキ屋さんのこととか、美味しかったコンビニ菓子のこととか、そういうあとになればなんでもない記憶にも残らないようなことを話していた。
みんな新しいクラスの中での自分の立ち位置をようやく掴みかけていて、その感触を見失わないために、少しでも確かなものにするために内心では一生懸命だったように思う。
あたしはそうしたことをあまり重要に思ってこなかったし、みんなのご機嫌取りみたいにして卑屈になったりすることが好きじゃなかったから、あまり真剣じゃなかったけれど、それでも新しい友達とのなんでもないやりとりを楽しんでいた。
だから急にクラスを訪ねてきた高峰景一という男の子の印象は、子供の頃の宝箱のなかに雑多に散らばっているそのときは夢中になっていた玩具たちに混ざって、いまでも大切な気持ちをあたしに思い出させてくれるような、そんな一欠片として残っている。
でもそれはあまり美しいわけじゃない。むしろあたしの反応は刺々しくて、思い返せば笑ってしまうほどあたしらしかった。
「すまんけど、朝永さんっている?」
高峰は教室のドアから顔だけ中に突っ込んで、中にいるあたしたちを見るなりそう言った。
「あたしだけど」
訪ねられる心当たりも、目の前の男の子の顔への覚えもなかったあたしは、そうやってつっけんどんに答えたように思う。
つんつんと短くはねた髪が日のあたりようによっては茶髪に見えそうなその男の子の髪型は、あたしにはちゃらちゃらして好かなかったし、そのくだけた話し方もどこか癪に触る感じ。
高峰はあたしがそうとわかると、へへ、と笑いながら話しかけてきた。
「急に押しかけてすまんね、影井京介ってわかるか?」
影井くん。
もちろんあたしは知っていた。
その頃、影井京介はたまたま委員会が同じになって、話していくうちになんとなく気になっていた男の子だった。
影井くんはいつもぼうっとしているように見えて、肝心なところでは鋭いことを言う子だった。
あたしなんかに興味がないように見えて、ふとしたときに調子が悪いのを知っていて、さりげなく心配してくれるような人だった。
でも、影井くんの名前を出してやってくるこの男の子は誰?
いままで名前も顔も知らないような男の子にこうして近寄ってこられたことはないわけじゃなかった。
本当に自慢じゃないけれど、あたしはそれなりにモテるほうだ。
でも、知りもしない男の子に一方的に好意を寄せられてありがたがるほど、恋に恋してはいなかった。
「影井くんとは委員会で同じだけど、あんたはいったいなんなのよ」
自己紹介もしないで、急になんなの。
それぐらいの気持ちで言ったのだが、逸ってしまったのか、そんなあまりにもとりつくしまもない言葉が飛び出した自分の口がいまでもおかしい。
こんなふうに取り繕うこともなく人付き合いをして、離れていく人はもちろんあったが、それでも変わらず付き合ってくれる友達がいるあたしは幸せ者だ、とも思っている。
そういう人を大事にしてさえいれば、あたしは無理に自分を偽りたいとは思わない。
で、高峰はそのあたしの偽りないあたしの突き放すような言葉に、こう答えた。
「俺は影井の大親友なんだ。で、お前の友達にもなりたいと思ってるんだけどさ」
その言葉を聞いて、あたしは不信感を隠すことができなかった。
だって、影井くんにそんな親しい間柄の人がいるなんて信じられなかったから。
冷静に考えれば、こんなことこそ影井くんに対して失礼なことだけれど、でもあたしはだからこそ影井くんが気になっていたのだ。
影井くんは、誰も自分の内側に入れようとしていなかった。
それは徹底して、線を引いて内側に入ろうとするものに静かに視線を向けるだけのようなやりかただったけれど。
彼のその視線は絶対的で、一歩でも踏み入れれば、暗く美しい視線が侮蔑的に見つめてくる。
そうしたさまを想像するだけで足がすくんでしまう。
だから、あたしは彼と親しくなってみたいと思っていたのだ。
ところがどうだ。目の前のこの高峰という男は影井くんの大親友を名乗って、あまつさえあたしとも友達になりたいとのたまう。
強い不信感と猜疑心。
これがあたしの最初に持った、高峰への印象のすべてだった。
「……ふうん、そう。影井くんの大親友さん、ね。それで? あんたがあたしとも友達になりたいって言うのは勝手だけど、あたしがあんたと友達になりたいかどうかは考えないわけ?」
あたしはとびきりの感じの悪さで答えた。
すると高峰は笑う。
予測していなかったその笑いに、バカにされたような気持ちになって、腹が立って今にも罵倒してやろうかという気でいたときに、高峰は言った。
「そりゃそうだな! 急にやってきて友達になりたいなんて言うやつは、俺だって御免だね。そいつはだいたい騙そうとしてるか、なんか下心があるに決まってる。俺だってそう思う」
「……じゃあ、あんたは違うって言うの?」
拍子抜けして、ぼそっと言ったその言葉に高峰は答えた。
「そう言ったって信じてくれないだろうからさ、俺は態度で答えることにするよ。これから俺は、影井とお前と俺と、それからもしかするともう一人の女の子の四人で、どっか遊びに行く計画を立てるんだ」
「はあ?」
「行き先はどこでもいいが、みんなで楽しめるようなとこだな。朝永が俺を信じられないのは、まずは影井の大親友ってとこだろ? そしてお前も知ってのとおり、影井はあんなやつだ。女の子と休日にデートなんて、何をどう間違ったって断るだろうね。だが、そこは大親友の俺の腕の見せ所ってもんだ」
高峰のセリフはどこか芝居がかって、さっきからそばで見ているあたしの友達たちもくすくす笑っている。
「俺が影井を連れてくる。そうしたら、少しは朝永も俺のことを信じようって気になるだろ? あの影井が休日に、しかも女の子のいるデートの呼び出しに応じるような男なんだってな」
「……ふうん。でも、あたしのほうになんの得があるってのよ?」
高峰はまた笑った。
いけ好かない奴、と思ったが。
「そこまで言わなきゃ駄目か? あんたは影井くんとデートできるだろ」
「なっ……バカじゃないの!?」
図星だったし、初対面の男にそれを知られているのも腹立たしかったから、あたしは顔を真っ赤にして怒った。
「悪い、でもま、影井京介ときたら学年でも有名なイケメンだろ? あいつとデートできる権利なんてモンがありゃ、密かに狙ってる影井ファンクラブ会員が黙ってないと思うがね」
「そんなクラブ知らないし、あたしは入ってない!」
友達たちはぼんやりとあたしの赤くなっているのを見て察しているような感じを出していて、そのふわっとした居た堪れないような感じが本当に嫌なのを、あたしは目の前の男のせいにしていた。
でも、熱くなっている頭のもう片方では、影井くんのことを考えている。
確かに、すでにわりと話せるくらい仲良くなったと思っている影井くんに、あたしがなにげなく遊ぼうと誘いをかけてみても、いつもつれない返事しか返してくれない影井くんが来てくれるのなら、と冷静に考える自分もいる。
あたしは最後にふと、質問した。
「……じゃあ、あんたのほうにはなんの得があるのよ?」
高峰は今日一番くらいに笑って答えた。
「そりゃ、グループデートっつっても学年で一番かわいい朝永日向と出かけられるんだから俺にしちゃ役得だろ?」
「あんたね……!」
怒ろうとしたら、彼は続ける。
「ってのは冗談でよ、大親友なりにな、影井がちょっとでも人と仲良くしたりするきっかけになれたらって思うのよ。大迷惑かもしれないし、余計なお世話なのは間違いねえんだが、一度くらいは焼いてみようと思うんだよね」
そんな一言ぐらいで彼の印象は決して変わらない。
軽薄で、信用ならなくて、言っていることがほとんど嘘みたいに薄っぺらで。
でも、その時のあたしは不思議と、その言葉を聞いて、ま、一回ぐらいなら付き合ってやってもいいか、と思ったのだった。
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