第38話 羽抜き
かまどで沸かされていた大鍋の湯はすでに地面に降ろされ、水が足されてちょっとぬるくなっている。すでにサバ研の他のメンバーが鶏を洗う? のに使った後なのでかなり汚れ、油や羽毛も浮いていた。
「葵ちゃん、お湯かなり汚いけど替えなくていいん?」
結花の発した問いに美鈴も同感だったが、それに対する葵の返事は予想とは違っていた。
「別に替える必要はないわ。羽を抜く前に鶏をお湯につけるのは洗ってるんじゃなくて、毛穴を開いて羽が抜けやすくなるようにするためだから」
そう言いながら、葵はジンバが仕留めた雌鳥の一羽の脚を掴んで大鍋のお湯の中に沈めた。
「七〇℃ぐらいのお湯にだいたい十秒ぐらい漬けこめばいいわ。それ以上やると今度は肉が熱くなりすぎて生煮えみたいになっちゃうから。……はい、これぐらい。じゃあ結花と美鈴ちゃんも同じようにやってみて」
葵が湯から鶏を引き上げてから、美鈴はビッグバードを、結花は大トサカをそれぞれ大鍋の湯に浸した。羽毛が水気を吸ってずっしりと重くなったビッグバードを苦労して引き上げて作業台代わりのプラスチックのビールケースに乗せる。
「片手で脚をつかんで、空いたもう一方の手で羽をむしって。そんなに力を入れなくても簡単に抜けるはずよ」
葵の言うとおり、羽をつかんで引っ張ってみると、するすると雑草を引き抜くよりずっと楽に抜けてしまった。
「うは、なにこれ。すっごく簡単に抜けちゃうじゃん」
「うん。なんかちょっと楽しいかもです」
羽がごっそり抜けたあとの皮はピンク色で、まさしく見慣れた鶏肉の色だった。
「細かい羽毛はあとで火で炙って処理するから無視していいわ。とにかく、目立つ羽だけ抜いてしまって」
無心にぷちぷちと羽をむしっていくうちに、鶏だったものが、だんだん肉売り場でクリスマスシーズンに見かける丸焼き用のホールチキンへと姿を変えていく。
「……なんかミネコ、すごく複雑な気分です」
思わずつぶやいた美鈴に結花がきょとんとして聞き返す。
「は? なにが?」
「だってさ、絞めるのは、すごく恐くてすごく嫌で、なんでこんな残酷なことをしなくちゃいけないんだろうって思ってたのに、この姿になると美味しそうに見えてくるですよ」
「ぶっ! うはははは! ネコ、あんた今、もっそい情けない顔してるじゃんね!」
「だってぇ」
爆笑する結花に、美鈴はぷうっと頬を膨らませた。
羽をむしる前までは鶏たちに対して申し訳ない、可哀想なことをしたという心の痛みを感じていたのに、羽をむしっておなじみの姿になった途端、ただの肉にしか見えなくなった自分は、自覚してないだけで本性はひどく残虐なんじゃないかと不安になってしまう。
そんな美鈴の葵が淡々と諭すように言う。
「美鈴ちゃんが感じているのは決して間違った感情じゃないわ。人間は色々な矛盾を抱えて生きている生き物なんだから」
「…………」
羽をむしる手を止めることなく、葵が言葉を続ける。
「普通に生活していたら、自分が食べている肉が元は生き物だったことや、こういう職業をしている人がいるってことも考える機会すらないでしょう。でも、人間が命から糧を得て生きているって事実をきちんと見据えることは大切なことだと思うわ。……そう、命の重さを学ぶことはね」
命の重さ。
その言葉は、不思議とすとんと胸の中に収まった気がした。
結花も同感だったようで素直にうなずく。
「うん。まあ言いたいことはわかるじゃんね。愉快なことじゃなかったけど、今にしてみればこの経験そのものはすごく大事なことだったって思えるし」
そう言いながら結花が大トサカの羽をむしられて剥きだしになった、首筋のぎざぎざの傷痕をそっと撫でる。
「野良鶏退治はやらなきゃいけないことだし、屠殺も決して悪いことじゃない。だけど、ただ憂さ晴らしや気まぐれのために生き物を痛めつけたり殺すのは絶対に許されない行為じゃんね。うちらは、なるべく苦しめないように一思いに屠殺してやることで自分が奪う命への精一杯の償いっていうか敬意を示せるってことかな? ……うはは。なんか頭がこんがらがっちゃった」
「うーん。ミネコもまだうまく感情の整理がつかないですけど、とにかく、感謝の気持ちで美味しく食べてあげればいいんじゃないかな?」
「なんつーか、ネコらしい答えじゃんね」
「でも、そうことじゃないですか?」
「まあ、それも一理あるかもね」
そんなやりとりをしながら、三人で四羽の鶏の羽をむしっていく。
他のメンバーは、と美鈴が顔を上げて見ると、向こうは完全に役割分担をして流れるように作業をしていた。
ジンバと哲平が羽をむしり、大介と一成が解体し、遼と清作が肉から骨を外し、忍が小分けされた肉をチャック袋に入れて、持参した氷入りのクーラーボックスに詰めていく。
あまりにも洗練された無駄のない動きは優美ささえ感じられ、思わず見入ってしまう。
「美鈴ちゃん、手がお留守になってるわよ」
笑いをかみ殺したような葵の声に美鈴ははっとして自分の作業を再開した。
「あ、はい。ごめんなさい」
すでに一羽目を終え、二羽目の羽をむしっている葵が美鈴の内心を見透かしたように訊いてくる。
「あいつらぐらいのレベルになると鶏の解体作業さえも優雅に見えてくるでしょう?」
「はい。思わず見入ってしまいました」
「不思議なものよね。同じ鶏の解体でも、下手な人間がやってるとすごく残酷なことをしているように見えるのに、上手い人間がやってるのはむしろ優雅に見えるんだから」
「そう……ですね」
「実際にする側の人間にとってもそう。下手なうちはすごく残酷なことをしてるようで抵抗があるんだけど、場数をこなして腕が上達すればするほど機械的にこなせるようになって絞めたりさばいたりすることに抵抗を感じなくなるの」
「葵先輩もそうだったんですか?」
「ん、まあね。あたしだって最初からやりたくてやったわけじゃないし。でも今は、そうね、スーパーで買ってきたアジを調理するのと同じ感覚かしらね」
「そういうものですか」
「そういうものよ。さ、だいたい羽むしりは終わったわね? じゃ、次はかまどの火で鶏の皮を炙って残った細かい羽毛を焼いてしまいましょう。それが終わったら台所に移動して実際にさばいて料理していくわよ」
そう言いながら葵が立ち上がり、鶏の首と脚を持ってかまどの火の上にかざして皮の表面を炙り始める。
ぱちぱちと羽毛が燃え、皮にちょっと焦げ目がついて香ばしい匂いがした。
「美味しそうな匂いです」
「やりすぎは禁物だけど、ちょっと皮に焦げ目がついた方が風味が良くなるのも確かね。じゃあ、美鈴ちゃんと結花もやってみて」
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