第10話 脱出

「………………」

 

サバ研の部室にいた大介は、ふいにしゃがみこんで床に手の平を当てた。

 

間違いない。細かい地響きのような振動が急速に近づきつつある。どうやら懸念は現実のものとなってしまったようだ。

 

大介が部室のドアから外の様子を窺ったちょうどその時、廊下の向こうから武井が爆走してくる様子が目に入った。

 

武井が大介の姿を認めて叫ぶ。


「しっげっやっまぁぁぁぁぁ!!」


「……」

 

やっぱり来たか。

 

大介はすみやかにドアを閉め、内側から施錠した。


そのまますぐに自分のロッカーから半長靴コンバットブーツを出してそれに履き替えた。壁にかけてあった下降器を自分のベルトに取り付け、ロープの束を肩に担いで窓に向かう。


「茂山ぁぁぁ!! 大事な話があるんだ! いるのは分かっているぞ! ここを開けてくれぇぇぇ!!」

 

ドアをガチャガチャやりながら武井がわめく。サバ研の部室のドアは特注品なので仮に武井がタックルしたとしても壊されることはない。


大介は窓を開け、下に人がいないことを確認してからロープの束を投げ落とした。

 

先端が無事に地面に届いたことを確認してから、両手に軍手を2重に嵌め、ベルトの下降器にロープを取り付け、窓枠に足をかける。


「ロープよし、下降器よし、降下地点確認よし。ラペリング開始!」

 

小声でつぶやき、両手で握ったロープを緩めながら窓枠を蹴って後ろ向きに飛び出す。


振り子の原理で戻ってきた時に三階と二階の間の壁を蹴ってさらに降下し、次は二階と一階の間の壁を蹴って最後に地面に降り立つ。


ハング・ラペリングと呼ばれるロープ降下テクニックだ。

 

たまたま近くで大介のラペリングを目撃した生徒たちがおおーと感嘆の声を上げて拍手する。

 

そんなギャラリーに片手を上げて応え、大介が下降器からロープを外していると、ちょうど玄関で靴を履き替えた一成が美鈴と結花を連れて駆け寄ってきた。


「さっすが隊長。陸自のレンジャー顔負けのあざやかなラペリングだったぜ」


「はうぅ。先輩かっこよすぎです!」

 

美鈴が目をきらきらさせている。


「でも、なんで先輩だけロープで降りてきたん?」

 

と怪訝な表情の結花に、大介は肩を竦めてみせた。


「緊急脱出だ」


「は?」


「部室が今、【大猪】の襲撃を受けててな。ドアから出られないから窓から逃げ出してきたんだ」


にやにやと訳知り顔でうなずく一成。


「くくっ、やっぱりそうなったか。で、今頃、奴は部室の中に大介がいないってことを知らずにドア越しに山と大自然の素晴らしさを熱く語ってるってわけか」


「そういうことだ。あまり長くは時間も稼げないだろうからほかの連中に警告しに行くぞ」


「はいよ」

 

大介が歩き出すと小走りに追いついて来た結花が尋ねてきた。


「えーと先輩、結局、大猪ってなんなん?」


「山岳部部長の武井真人のことだ。思い込んだら一直線のイノシシ野郎で人の話を全然聞こうとしない困った奴なんだ」


「まあ、なんつーかサバ研の天敵? 大介は奴のことが苦手なんだがよ、奴は大介のことが気に入ってて事あるごとに山岳部に来いって勧誘するわけだ。特に前の三年生が抜けた今の山岳部は人数が足りなくて同好会への格下げの危機だからな」


「先輩たちは山岳部が嫌いなんです?」

 

美鈴は大介と一成の言葉の端々に滲み出ている苦手意識を感じ取ったらしい。


「ネコちゃん、もうちょっと言葉をオブラートで包もうぜ? まあ、別に山岳部が嫌いってわけじゃねぇさ。時々は合同で活動したりもするしな。ただな、同じフィールドで活動していても、活動方針が根本的におれたちとは違うわけよ」


「?」


首をかしげる美鈴に大介は説明を補足した。


「俺たちサバ研は部員一人一人を一人前のサバイバーに育てることを主な目標にしている。ネコちゃんも経験した通り、どこかで自然災害や事故に巻き込まれたとしても、そこに一人でもサバイバルの知識と技術を持っている奴がいれば周りにいるたくさんの人間が助かるからな。それに対して、山岳部はあくまで山や自然を愛してそれに挑み続けることに喜びを見出す連中だ。それに、連中の主な目標はインターハイの山岳競技への出場だから俺たちとはそもそも価値観が違うんだ」


「まあそれでだ、こっちの活動に口出ししてこなきゃ問題ねぇんだが、武井先輩ってなぁ、とにかく自分が山が大好きなもんだからおれたちもそうに違いないって思い込んでてよ、いちいち相手をするのも疲れるからこういう場合は隠れてやり過ごすことにしてるんだ」


「なるほどー。君子危うきに近寄らず、ですね」

 

ぽんと手を打って的確な格言を口にする美鈴。かなり頭の回転は速いようだ。


「そういうことだな。……さあ、着いたぞ。ここが、俺たちが燻製を作る場所だ」

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