魔女にご注意

井ノ中蛙

第1話 異世界は甘くない



「お師匠様! 汲み終わりましたよ! 」


 私は大声で叫んだ。

 その声は浴室から離れた師匠のいる書斎にまで届いたはずだ。


「ん、 早かったわねぇ…… 」


 囁くような小声で弟子の頑張りをそう評したのは大賢者マテリエーヌ・ジュン・レデバン、その人である。

 表向きはそうなっているのだから、そうお呼びうするのが礼儀というものだ。

 私は礼儀正しい。

 清く正しく美しい弟子のメレメと申します。

 もう、いい加減、慣れました。

 この師匠にも、この境遇にも、この運命にも、この出自にも、この体にも、この世界の全てに。

 ええ、全て受け入れてますとも。

 でなきゃ、やってらんないじゃないですか!

 だってそうでしょう?

 なんでこんな師匠の元で、10歳のいたいけな女の子が重労働の水汲みなんか、やらされているのでしょう。

 ちなみに6歳から、やらされてますけど。

 150段の石段を降りて小川から木桶に汲んだ水を持って、今度は登ってくるのです。それも浴槽がいっぱいになるまで、一度数えた事がありましたが、その数なんと28回でした。

 それを毎日毎日、雨の日も雪の日も風の日も日照りの強い日も、欠かさず、漏らさず、忘れず、毎日やらされてます。

 あの女、大賢者なんて偉ぶってますけど、本当はただの魔女ですからね。

 できて当然の魔法をさも難しそうな顔してやって見せてるだけの詐欺師ですから。

 種族詐称の容疑で早く連行されないかと首を長くして待ってる、いたいけな少女が若干1名ここにいます! おまわりさ〜ん、早く来て下さい! ここです! 悪い女はここにいます!

 話が脱線してしまいましたが、 私は前世の記憶がありまして、素直に女の子になりきれません。

 魔女に軟禁されてる本物の賢者の卵の可愛そうな女の子です。

 魔女は、非情です。

 幼い子供だろうと容赦しません。

 家事全般の一切を私に丸投げして、自分は優雅にティータイムを楽しんでおられます。

 よくそんな気になれると感心するほどですよ。

 水汲みが終わったら、洗濯物を取り込んで、それから今度は夕食の用意です。

 料理のレパートリーもお蔭さまで増えました。

 まだ10歳の女の子なのに!

 洗濯の日と食材の買い出しの日を交互に組み合わせれば、なんとかこなせると分かったのは7歳の暑い夏の日の午後のことでした。

 しかし、師匠に文句は言えません。

 単に立場が弱いだけでなく、たまに本当に魔法を教えて貰っているからです。

 たまーにですけどね、たまーに。

 この辺では15歳で成人したとみなされるそうです。

 なので、それまでに一通りの魔法を教えて1人前にしてくれると、あの性悪魔女は言ってました。

 けど、根本的に魔女の使う魔法は魔力任せの滅茶苦茶強引で非効率な魔法なんで、人族の私には到底使えるものではありません。

 魔法を発動する際に現れる2重3重、場合によっては、5重の魔法陣を全てスケッチして、それを後から解析して、余分な回路を省いて効率良く組み直すのが専らの私の仕事となっています。

 今は無理でも15歳になる頃には使えるはずと、それを夢見て毎回ストックに励んでおります。

 

 この前、一度だけ待遇改善を掲げて、交渉のテーブルについた事があるのですが、 10歳のいたいけな女の子に対して、あの性悪魔女は何をしたと思いますか?

 "愛情が足りなかったみたいねぇ" とか言い出して、こともあろうに私をベッドに連れ込んで、あんなことや、こんなことをして、性の目覚めを……、いえ、とても常軌を逸している行為をここでひけらかすのは、躊躇われますので割愛させていただきます。

 それからはもう、体に教え込まれて完全に逆らえなくなってしまいました。

 性悪変態魔女を師匠に持つ、いたいけだった少女が私です。

 ああ、もう、なるようになれ、全くもう……。



◇◇◇◇◇



 辛く、苦しく、悲しく、ただ忙しいだけの月日は流れて、私が15になる年のはじめのことです。

 体も心も成長しました。

 やってる事は何ひとつ変わりませんけれど。

 お師匠様はこの頃、なんだかソワソワした様子で、珍しく部屋の片付けなんてしていたり、落ち着きが全くありません。

 近くの街まで1時間はかかる道のりを歩いて、食材の買い出しに行きますと、パン屋のおばさんが、声をかけてくれました。


「メレメちゃんは今年で15になるんだったわよねぇ? 」


 たまに甘い焼き菓子をくれたりするおばさんは、私を我が子の事のように、気にかけてくれます。


「はい、そうですよ、やっとです、やっと…… 」


 思えば長い長いとても長い下積み生活でした。

 どういう形であれ、それが実を結ぶ訳ですから、感慨深いものがあります。


「教会でやる成人の儀には来るのよね? その前におばさんのとこに寄ってちょうだい、お祝いに特製パン焼いてあげるからね 」


「おばさん、ありがとう、楽しみにしてますね 」


 私は精一杯の笑顔でおばさんに礼を言いました。

 教会で行われる成人の儀は、その子の授かった加護や生まれ持った能力スキルなどを教えてくれるそうです。

 私は生まれついての賢者だとお師匠様から言われてますから、それのお披露目みたいな感じになっちゃうかもしれませんけど、隠せる事でもないですし、仕方ないですね。

 それは来週末に行われると聞いてます。

 楽しみで仕方ありません。

 師匠もなぜかこのところ大人しいですし、指折り数えて毎日を過ごしておりましましたら、いざ、その日になりました。


「行って参ります…… 」


 食材の買い出しの日でしたので、買い物かごを携えて、私は珍しく師匠に見送られ、150段ある石の階段を降りて街へ向かいました。

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