第18話 残業①
そして迎える残業時間。
「あ、あの……大丈夫ですか? 乃々花さん。なんか手が震えてるような」
「そ、そんなことないよ」
「……」
否定の言葉を聞くも、練習に付き合う修斗は目にしていた。震える手にハサミを持った乃々花が、練習用のマネキン相手と向かい合っているところを。
まだカットに慣れていない場合、こうなるのは多々ある。
しかし、彼女は髪スマの一つ星を受賞しているほどの実力者であり、たくさんの顧客を抱える美容師である。
練習でこうなるのは『不慣れ以外のなにか』であるのは間違いないこと。
「えっと、自分が居るのが迷惑でしたら言ってくださいね。邪魔をするつもりはありませんから」
「大丈夫。うん、大丈夫だから」
「そ、それならいいんですけど……」
練習に意識を取られているからか、普段の素っ気ない態度はかなり薄れている。しかし、妙に危なっかしさを覚える今。
「……」
「……」
無言が数秒続けば、彼女は
手の震えは未だ健在だが、チョキチョキと一定のリズムで髪を切っている。鏡台の上にタブレットを置き、画面に映し出されるウルフヘアの髪型を見ながら。
ここ最近流行り始めた髪型を練習する辺り、さすがのリサーチ力だろう。
折り畳み椅子に座る修斗は、そんなことをまで考えながらカット練習を見続ける。
そうして何十分の時間が経っただろうか。
まばたきの回数が減り、手の震えも止まり、カットの速度を上げていく乃々花を。
完全にスイッチが入ったことがわかる。
本来、この状態で話しかけるのは
少し距離を縮められるような気がした。
「乃々花さんに一つ質問をいいですか?」
「なに?」
チラッと視線をこちらに送ってくる彼女。声のトーンは少し低く、表情も変わらない。冷然な態度と言えるが、これは集中しているが
その証拠に無視をするわけでも、断るわけでもなく、疑問符を浮かべて話を繋げてくれているのだから。
「あの、乃々花さんはどうして美容師になろうと思ったんですか? そのキッカケが知りたいなと思いまして」
「キッカケ?」
「はい」
唐突な質問には違いないが、会話をしなければ仲良くもなれない。
喋りかけるのは邪魔な行動かもしれないが、美容師はカットやカラーを施しながら客と会話をしながら取り組むことも多い。
これも練習の一つになる。
「キッカケは中学生の時かな。初めて美容室に行って、美容師さんの仕事を見てかっこいいなって思ったのが最初だよ」
「そうなんですね……」
カットの手を止めることなく、質問に答えてくれる。
「お洒落な空間で丁寧にお仕事をして、お客さんをもっと可愛く、かっこよくコーディネートして、最後は優しく送り届けてくれて。……大人への憧れも強い年頃だったから、そんな美容師さんが輝いて見えて、わたしもなりたいって思ったの」
チョキチョキとハサミを動かす音が響く。
「だから今はとっても充実してるよ。大変なことも多いけど、あの時の美容師さんに釣り合えているかはわからないけど、同じ道を辿ることができているから」
「それはとても素敵ですね」
「うん」
鏡に映る彼女は曇りのない瞳を真っ直ぐに向けていた。
信じて疑わない純粋な眼差しだった。
「わたしも聞いていい? し、修斗くんがどうして美容師になったのか」
「自分ですか……?」
「そう、あなた。わたしだけ答えるのはズルいと思うから」
表情を崩さないまま、鏡越しに視線を合わせてくる。
まさかの聞き返しにビックリしてしまうが、すぐに取り繕って答える。
「あ、あはは……。自分も乃々花さんと似たようなキッカケですよ。小さい頃に美容師のお仕事を見て、いつの間にか憧れてて、気づけば美容師になるための階段を登っていて……みたいな感じです」
「その憧れた美容師さんは
「えっ!?」
ここで修斗の瞳が大きく揺れる。なぜそれを知っているのかと。
「あ、あの……。な、なんで自分の父が美容師だと知っているんですか? こちらで働かれている方には誰にも言っていないですが……」
「だって修斗くんのお父さまとは何回かお話したことがあるから」
「そ、そうなんですかっ!?」
「うん。最初の紹介の時からなんとなく感じていたけど、オーナーの息子さんだってことは隠す方向性でいたんだね」
「は、はい……。その方が都合がよかったので……」
素直に答えながら心の中でツッコミを入れる。
『乃々花さん……度胸ありすぎじゃない?』と。
オーナーの息子だとわかっているのにも拘らず、一人だけ差別をしたような態度に素っ気なさ。
なにか理由がなければ絶対にできない所業だと言える。
『今はとっても充実してるよ。大変なことも多いけど、あの時の美容師さんに釣り合えているかはわからないけど、同じ道を辿ることができているから』
なんて力強い言葉で伝えてきたほどなのだから。
「多分だけど、ここのスタッフは全員知ってると思うよ。修斗くんがオーナーの息子さんだってこと」
「ど、どうしてですか?」
「元々、話には聞いてたから。本店で働いている最年少の男の子……って言い方は少し失礼だね。最年少の男性のこと。その男性はオーナーの息子さんだって。そして、支店で最年少のわたしよりも年下となれば、修斗くんしかいないから」
「な、なるほど……」
これはオーナーや店長から伝えられた話ではなく、風の噂として流れてきたのだろう。元々、話が伝わっていたのなら隠す意味もなかったとここで理解する。
「支店と本店の実力を比べるわけじゃないけど、本拠地でもある本店をその歳で任されるのは本当に凄いよね」
カット中だからか、目を合わせることなく、真顔で褒めてくる乃々花。
「いえ、正直なところ父の贔屓目は入っていると思いますよ。力不足は常日頃から感じていますし、周りについていくだけで精一杯ですから」
今年の髪スマでは二つ星を受賞することができた修斗だが、髪スマ自体、受賞したのは初めてのこと。マグレだと言っても差し支えはない。
中学から本格的に指導されていたとは言え、ベテランの美容師と肩並べをすれば体力的な面でも負けている。
……そう説明した修斗だが、これを否定する人物がいた。
「わたしはそう思わないよ」
「えっ?」
力のこもった声を上げたのは乃々花で、カットの手を止めると……鏡越しにチラッと視線を合わせてきたのだ。
「だってわたし、本店で修斗くんを指名したことがあるから」
「へ……」
もう話についていけない。
それでは素っ気ない行動を取る理由が見つからないのだから。
「顔を覚えていないのは仕方ないよ。休憩が取れてないくらいに忙しそうだったし、『支店で働いている』ってことは教えてなかったから」
「あ、ああ……」
確かにその情報があればきっと記憶には残っていただろう。お忍びで来店したと言っていい。
「もう正直に話すんだけど、最初は『最年少の実力なんて大したことないよ、絶対』って思ってて……。偵察目的の指名をさせてもらったんだけど、それは間違ってた」
「……」
「カットする腕はもちろん、接客スキルにヘッドスパに、パーマにホットタオルの当て方一つに、盗むところばっかりだった」
偵察と言ったからには一挙一動、確認していたのだろう……。そんな現役美容師からの高評価は嬉しい以外にない。
そして、もっと嬉しいことを次に言われる。
「あのね、その時に修斗くんにオススメしてもらった髪型がこれなんだよ?」
「っ!?」
ハサミを持っていない方の手でパーマのかかったポニーを指さす乃々花は、どこか恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
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