第3話 台風のような彼女

「店長、休憩をいただきます」

「はーい。お疲れ様」

 時刻は14時。予約のキャンセルがあったことから30分の休憩を取ることができた修斗は、スタッフルームで店長に一声かける。


「修斗君は今日もコンビニかい?」

「はい、今日もいってきます」

 軽い会話をしながらロッカーから財布を取り出す。

 スタッフ皆、出勤前にご飯を買って休憩時間を多く確保しているが、修斗は少し違う。

 店から外に出ることで気晴らしも兼ねている。

 これは本店の頃からずっとしていることで、ルーティーンのようなもの。


「事故のないように気をつけてね」

「はい。ありがとうございます」

 休憩に入っていることを考慮する店長はすぐに話を切り、送り出してくれる。

 そんな気遣いに感謝しながら店内を抜ける修斗。

 エントランスにいる受付スタッフに頭を下げて店外に出る。


「ふう……」

 仕事場から抜けたことで一気に気持ちが軽くなる。凝り固まった体を伸ばして深呼吸をする。

 仕事中は常に責任感に襲われながら集中を続けているのだ。この時ばかりは肩の荷が下りる。


「あと6時間……。この調子で頑張ろう」

 自分自身にエールを送る。

「さてと」

 そうして最寄りのコンビニまで歩いていく。

 便利なことに3分で着く場所で営業しているために贔屓にしているのだ。

 いつも通りに立ち寄り、お茶二つとおにぎり二つを買って買い物を終える。

 あとはシャルティエに戻り、軽食を取って仕事に戻る。

 これが普段の日常だが、今日ばかりは違うことが起きたのだ。


「あっ……」

 支店に戻ろうと歩みを進めていたその時、修斗は偶然目に入れる。

 目の前を歩くキャップを被った女の子が、カバンにつけたキーホルダーを落とす瞬間を。

 カバンと結んでいるヒモが切れたのだろうか、ゴム製のキーホルダーは音を立てることなく地面に落ち、小さく跳ねて地面についた。


「……」

 いきなりの出来事で呆気に取られる。そして、落としたことに気づいていない女の子はどんどんと距離を離していく。

「——ちょ」

 そこでようやく我に返る修斗は、落としたキーホルダーをすぐに拾って女の子の元に走っていく。


「すみません」

「……」

「す、すみません」

「…………」

 追いつき背後から二度をかけるが、返事は帰ってこない。それどころか、早歩きに変えて距離を取ろうとしてくる。


「あ、あのー」

 こちらも早足になって再度声をかけるが、避けられているのも無視をされているのは明白。こちらが見えていないような対応でいなしてくる。

 このままでは埒が明かない。そう判断した修斗は要件を先に伝えることにした。


「すみません! キーホルダー落としましたよ」

「え?」

 途端、可愛らしい声が漏れる。

 すぐに立ち止まった女の子は、カバンを正面に持ってくると手でサワサワと確認を始めた。


「えっ!?」

 なくなっていることに今気づいたのだろう。さらに大きな声を出した女の子はやっと振り返ってくると、初めて目が合う。

 黒のキャップと黒のマスクで顔は隠れているが、色白の肌に細く整った眉、吸い込まれそうなほど綺麗で大きな赤の瞳。

 綺麗に伸びた黒髪はインナーをピンクに染め、ツートン色になっていた。


(あれ、この特徴的な髪色、どこかで見たことがあるような……)

 こんな感覚を覚える修斗だが、表情を変えずにやり取りする。


「これ落としましたよ。お姉さんのキーホルダーで間違いないですよね?」

「ぁ、う、うん」

 手のひらに乗せて見やすいように渡すと、彼女は状況を整理したように両手で受け取った。


「本当ありがと。これお姉ちゃんからもらったやつだから大切にしてて」

「そうでしたか。渡すことができてよかったです」

 安堵したような笑みを浮かべられ、修斗も同じ表情を返す。

 最初は近寄り難いような彼女に思えたが、こうして話してみると随分と親しみやすい雰囲気を持っているように思えた。


「えっと……さっきはごめんね? 冷たい態度取っちゃって。恥ずかしい話、ナンパかと勘違いしてて。この辺って特に多いからさ」

「あはは、確かにかけ方がそうっぽかったですね。すみません」

 軽く両手を重ね、謝罪を伝えるように首を傾けた彼女。

 その言葉で態度の変化には納得だった。

 そして、普段からよく声をかけられているのだろう。

 キャップにマスク姿で容姿を隠している彼女だが、端正な顔立ちが窺える。スタイルもさすがと言えるほどだった。


「っと、では、落とし物も渡し終えたので自分はこれで」

 休憩時間もじわじわと削られている。要件も終わった。

 簡単に挨拶を済ませて当たり前に立ち去ろうとしたが——。


「わ、珍し……」

「はい?」

「あ、ごめん。ちょっと……その、もうちょっと時間ちょうだい? すぐ終わるからさ」

「どうされました?」

 相手から呼び止められ、動揺を隠しながら聞き返す。


「あのね、怪しまないで聞いてほしいんだけど、後日お兄さんになにかお礼させてくれない? 今から仕事だから時間作れないのが申し訳ないけど」

「いえいえ、お礼なんていいですよ。ただ拾っただけですから」

「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、仕事柄そうもいかなくって」

「仕事柄……ですか?」

「うん。自分勝手な話にはなっちゃうんだけど、私ってイメージ商売をしててね? だから、筋は通しておきたくて……」

『悪い噂を流されると困るって感じで……ね?』

 なんて伝えたいように苦笑いを浮かべながらキャップを深く被り直した彼女。


「イメージ商売ですか……」

 この時、はっきりとした事情は汲み取れなかったが、修斗は話を合わせることにする。

「それでは、そこの自動販売機で飲み物を一ついただいてもいいですか? それが今回のお礼と言うことで」

「私も最初はそうしようとしたんだけど、もうお兄さん買ってるでしょ? お茶二つ、コンビニ袋から透けてるもん」

「っ、あ……」

 筋を通したいとのセリフは本心なのだろう。必要なことをしたいという気持ちが伝わってくる。


「そんなわけでお兄さんの連絡先を教えてもらっていい? それさえあればお礼の機会作れるから」

「……この流れで逆ナンされるとは思いませんでしたよ」

「うわ、見た目からも予想してたけどお兄さんコミュ力高いね。まあ連絡先を交換してくれることと、誰にもバラさないなら逆ナンって話でもいいよ?」

「……」

 見たところかなり若い彼女だが、かなり余裕のある態度でさらに冗談を言い返してきた。


「それでダメ? 連絡先の件は」

「今手元にあるのが仕事用のスマホなので名刺でも大丈夫ですか?」

「うん。連絡が取れるものならなんでも」

「少し待ってくださいね」

 許可が取れた修斗は財布を開き、中に入れていた名刺を渡す。


「緊急用なのでちょっと曲がってますが……」

「だいじょぶ。いきなりお願いしたのは私だから」

『ありがと』と言うように綺麗な目を細めながら名刺を受け取った彼女は視線を動かしていく。


「ふんふん。名前は修斗さんって言うんだ。って、この名刺……お兄さんシャルティエで働いてるの!? あの美容院の! 私、ホストさんかと思ってた」

「美容師ですよ……」

 常連の客や、新規の客にそう言われたことが実際にある修斗。だが、どうしてそう思われるのか実際のところはわからない。


「それにしてもお兄さん若すぎない? そんなシャルティエで働いてるにしては」

「あはは、ありがとうございます。シャルティエをご存知も含めて」

「仕事柄ちょっとね。なんかバケモノしか雇われていないみたいな話を聞くけど」

「バ、バケモノですか?」

「とりあえず上手すぎるみたいな。お姉ちゃんから聞いた話でもあるけど、『この美容院にいけば間違いない!』みたいな感じで雑誌にも特集されてるらしいね?」

「そ、そうですね。ありがたいことに」

 雑誌に特集されたのは皆の力のおかげ。自慢したりはしないが、しっかりと認める。


「あ! それならいいこと思いついた。今回のお礼は私からの予約ってことでどお? そろそろ髪整える時期だし、それだとお兄さんも嬉しいと思うし」

「確かにご指名が入るのは嬉しいですけど、もっと別のもので大丈夫ですよ。自分が言うのもなんですけど、他と比べて結構お値段がするので」

 シャルティエは完全個室という空間だけあって、他の美容院に比べても高い値段設定になっている。

 彼女の見た目から判断するに高校生から大学生だろう。

 キーホルダーを拾っただけでそんなにお金をかけさせるわけにはいかない。


「優しいね、お兄さんは。まあそうだと思ったからちゃんとお礼したいって思ったわけだけど」

 修斗の考えを全て読んでいるように笑顔を浮かべた彼女。


「でも、私ならだいじょぶ。経費で落ちるから」

「経費? あ、もしかして!」

「私の職業だいたいわかったっぽいね。ってことで、ごめん! そろそろ仕事マジヤバいからいかなきゃ」

「あ、はい」

 彼女の勢いに負け、常に会話の主導権を奪われている修斗である。


「今日は本当にありがと!」

「いえ、頑張ってくださいね」

「うんうん。お兄さんもねー」

 その言葉が最後となる。

 バッグを背負い直してキーホルダーをポケットに入れた彼女は、自分のことを名乗ることなく颯爽と去っていった。



 ∮   ∮   ∮   ∮



 その数日後、修斗は店長から聞かされることになる。

「修斗君はやっぱり凄いね。あのモデルの律華さんから指名をもらうなんて」

「え? 律華さんって、あの……?」

 まだ自分自身知らないことだった。店長からその名前を聞き、一人の人物を思い浮かべる。


「そうそう。桜蘭ガールズコレクションのトップバッターを務めたモデルさん。指名ってことだから修斗君の知り合いさんだと思うんだけど」

「あ……」

 そこで思い出すのだ。名刺を渡した彼女の顔を。ファッション誌で見たことがある人物だったことを。

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