山本 康介(31歳・日雇いアルバイト)

拝啓

盛暑の候、母君におかれましては、ますますご健勝のこととおよろこび申し上げます。

さて、今回私がこうして筆を取りましたのには理由がございます。

少しだけ貴方との思い出話がしたくなったのです。

覚えておいででしょうか?

私が小学1年生から始めたピアノレッスンのことを。

幼い頃からピアノを習っていた貴方は、ピアノ教室に向かう前にいつも私のピアノをみてくださいましたね。ピアノの先生に迷惑をかけるといけないからと言って。

しかし、私は貴方と違って覚えも出来も悪く、よく泣いて貴方を困らせました。

「どうして出来ないの?」

ため息交じりのこの言葉は何度も、何度も私の幼心に突き刺さり、余計に涙が止まりませんでした。

これは覚えておいででしょうか?

私が小学5年生の時、算数のテストで100点を取れたことが嬉しくて、意気揚々と貴方に報告しに行ったことがありましたね。

今思えば、その時の貴方の言葉が私をずっと縛り続け、今でも苦しめるのです。

「当然のことをそんな自慢げに語らないで頂戴、恥ずかしい」

そう言い放った時の貴方の顔を未だに忘れる事が出来ません。

聞いた事はありますか?

心が割れた音を、顔から笑みが消える音を、全身の体温が冷めていく音を。

それらはゆっくりと私をむしばみ続け、大人になった今でも耳奥でずっと鳴り響くのです。

あの時は言いませんでしたが、実はクラスで唯一の100点をとった子だったのですよ。

いつもは大人しい隣の席のれいちゃんですら、目を輝かせて自分事のように一緒に喜んでくれましたよ。

「すごいね康介こうすけ君! いいなぁ、私も100点とれたら、きっとお母さんがご馳走作ってくれるのになぁ」

「そうなの?」

「うん! こないだ絵で1等賞とった時は、おっきなハンバーグとケーキを焼いてくれたんだぁ」

礼ちゃんの何気ない会話に私は心底驚きました。

他の家庭では優秀な成績をとれば、何か褒美ほうびがあるのだと初めて知ったからです。

私がどんなに優秀な成績をとろうとも、貴方から褒美を貰ったことなど1度もありませんでしたから……。

どうして、私は貴方の元に生まれ落ちてしまったのでしょうか?




 私はふと、筆を止めた。

 いつの日か、ぼうっと眺めていたテレビから聞こえた、ある言葉が頭に浮かんだのだ。

「親ガチャ」

 世間では、失礼だの、いいや単なる例え話だの、と物議をかもしていると深刻そうな顔をしたニュースキャスターが言っていた。

 今の時代、分かりやすい例え話なのかもしれない。

 ただ、私はその時こう思ったのだ。あまりにも勿体無い事だ、と。

 生まれの不遇を「ガチャ」などといった言葉でしか言い表せないのであれば、何とも勿体無い事ではないか。

 かの有名な夏目なつめ漱石そうせきが書いた「坊ちゃん」を読んだ事はあるか?

「親譲りの無鉄砲」などという書き出しから始まり、あんなにも厭味いやみったらしく、憎悪ぞうおにじませながら語っているというのに……。

 親ガチャ――何とぬるく、生易なまやさしい響きだろうか。

 己の不幸を言い表すには、あまりにも短すぎる。これではただの単語に成り下がってしまっているではないか。

 せっかくこの世にはこんなにもにくしみやうらみを言い表す言葉が溢れているのだから、多分に使わなければ勿体無いだろうに……。


 ああ、話がれてしまった。

 私はもう一度筆を握り、付けた墨汁ぼくじゅうを何度もすずりでこそぎ落とした。

 せっかくここまで書き上げたのだ、筆からすみを垂らして台無しにはしたくない。




それからの日々はあまりにも無味無臭で単色な日々でした。

しかしながら、私は貴方の期待通りに名門進学校へ進み、貴方の期待通りに成績トップに君臨し続けました。

3年生になると生徒会長をつとめあげ、卒業式では卒業生代表として立派に答辞を読み上げました。

お陰様で、私立大学最高峰とうたわれる大学にも入学でき、無事に卒業することが出来ました。

そうして順風満帆だと思われた私の人生はここで終わりを迎えることとなりました。

卒業後、私は就職した会社であまりにも強烈な社会の洗礼を受けたのです。

業務過多、休日出勤、サービス残業、高圧的な上司たち、陰での蹴落とし合い、帰って寝るだけの毎日。

それら全ては、私が今まで積み上げてきた小さな小さな我慢と、ほんの僅かな光をことごとく壊していったのです。

私は何のために生き、誰のために働いていたのでしょうか?

私の心は限界でした。

会社を辞めると伝えた時、貴方は私にこう言いましたね。

「せっかくいい企業に入ったというのに、本当に何をさせても駄目ね」

ずっと耳鳴りのように鳴り続けるあの音が、一層大きくなった瞬間でした。

どうして私はこうなってしまったのでしょうか?

考えた所で数学のように答えは出ないままです。




 私はまたしても、書く手を止めた。

 いっそ私も、詩人中原なかはら中也ちゅうやのように破天荒に生きれば良かっただろうか?

 一切のチャンスを棒に振り、親や友人に金をたかりながらも自身を「孝行者だった」とのたまえる図太い精神を持てば良かっただろうか?

――いいや、彼の真似をしたところで、私にはなんだかんだ言いつつ仕送りをしてくれるような心優しい母はいない。

 そして何よりも、亡きあと有名になり、きちんと証明された彼のような才能も有りはしない。

 泣きながら指を動かしたピアノも、監視されながら解いた数字の羅列も、叩かれながら覚えた貴方譲りの教養も、今となってはそれら1つたりとも、私の人生の役には立っていない。

 そればかりか、母の呪縛から抜け出せず、今も尚藻掻もがき苦しんでいる。

 なんたる惨劇さんげきだ。私はこの先もずっと、ダメ息子というレッテルを貼られながら生きていくのだろうか……。


 ああ、申し訳ない。また話が逸れてしまった。

 いやはや、もう少しで完成しますから、皆さまにはもうしばらくお付き合い願いたい。




会社を退職してからの私の日々はご存知の通り、酷い有様です。

何もかも上手くいかず、どの仕事も長続きしません。

いえ、あれから連絡も取り合っていないのですから、私の今の惨状をご存知ではないかと思います。

しかしながら、そんな事はもうどうでもいいのです。

長々と書き連ねましたが、全て過ぎた事です。

唯一気掛かりなのは、貴方が私という木偶でくぼうを作り上げてしまったと気に病んでおられないか、それだけが心配です。

では、暑さの厳しい日々が続いておりますが、どうかご自愛ください。

                              敬具




 私はようやく筆を置いて、完成した手紙を目の前まで持ち上げた。

 自然と笑みがこぼれる。

 しっかりと封をして、意気揚々と郵便ポストへ向かった。

 道中、近くでお祭りがあるのか、ピンクの可愛いらしい浴衣を着た女子高生たちが楽しそうに歩いているのを見かけた。

 私は、そんな彼女たちとは反対方向にある郵便ポストの前で立ち止まった。

 しかし、いざ投函とうかんしようにも、どういうわけか手から手紙が離れてくれない。そればかりか、一度おろした腕はそれきり投函口まで上がらなかった。

 どれ程そこに居たのだろうか、投函したそうな男に声を掛けられて、私は我に返ってそこから退いた。

 私は絶望し、無心で自宅に帰り、静かに封を開けた。

 頭語から読み返していく内に、ふつふつと湧き上がる笑いをこらえきれず、声を上げて笑った。腹を抱えて笑った。

 気が済むまでひとしきり笑った後、私はそれを一気に真二つにやぶいた。

 二枚になった紙を綺麗に重ねてもう一度。二度三度と繰り返す内に一枚の紙だったものは変わり果てた姿となって床に散らばった。

 こうして、バラバラになってしまった私の憎悪は誰に読まれる事もなく、ただ床を汚すごみくずに成り下がってしまったのだ。

 頬に伝った生温なまぬるいものが、顎からぽたりぽたりと垂れてごみ屑をにじませていくそのさまを、私はずっと眺めていた。


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