037 帰還

「……うっ、気持ち悪い」


 目眩と吐き気を覚えて頭と口を手で覆う。なんていうか、グラグラする。

 森の奥から無事に撤退できたのはいいものの、これはあまり良くない……喉の奥がちょっと酸っぱい気がする。


『酔いに関しては仕方ないからね。慣れてもらうしかないわ』

「非常時を除いて二度と使わない……」

『それが良いわ。貴重なカードだもの。乱用されたら困る』


 相変わらずカードのことを重視した意見言われて、ハァと溜め息を慎重に吐く。大きく吐いたらガチで吐きそうになるので。


「モンスターは……完全に撒けたよな?」

『そうね……近くにあの量の気配はしないから、振り切ったと思うわよ』

「よかった……そこが不安だった」


 少女だけに頼らず、俺も森の方の様子を伺うが……特に何もわからない。フクロウが低く鳴いているからモンスターの群れが近くに居ないのは確かなのだが。

 それで……これからどうしようか。ああいや、リヴィアさんを探す目的は変わらないのだが、あんな群れが襲ってくるような状況で森の中を探索するのは良い考えではないと思えてしまう。


『とりあえず、宿か何かで夜が明けるのを待ったら? 多分だけど夜だからモンスターが活性化してあんな大群で押し寄せて来たんだと思う。朝ならモンスターも落ち着くでしょ』


 ……確かに、以前もモンスターの大群が押し寄せて来たのも、馬車が襲撃されたのも夜間だ。もしかすると相手の語り手がモンスターを使役できるのは夜間に限られているとかだろうか……?


「逆に昼の間ならあんな大群に襲われることは無いんだな?」

『断言はしかねるけど、モンスターの夜行性を考えれば辻褄が合う』

「……リヴィアさんは大丈夫なのかな」

『正直無事なのか怪しいわね。アンタ、最悪の場合ぐらい考えておきなさいよ』

「ッ、お前なぁ……!」


 思わず反発したが、少女の言葉は何も間違えていない。

 語り手の軍勢。この体ですら退却を余儀なくされたモンスターの量。並の人間がアレに襲われれば一体どうなるのか――答えは考えたくなくてもわかってしまう。


 それでも、俺はリヴィアさんの無事を祈っている。何が何でもこの暗い森から見つけ出したいと願っている。


『ここで考えてても仕方ないわ。とりあえず宿に行きましょ。アンタが語り手に挑むのなら万全の状態が良いわ』

「……リヴィアさん」

『なに後ろ髪引かれてんのよ。今はアンタのコンディションの方が大事なのよ! ほら!』

「……わかったよ」


 実体化した少女に背中を押されて俺は宿に向かう。

 ……願う事なら今すぐにでも捜索を再開したい。でもそれは愚策だと身をもって退官したから、これは仕方のないことだ――そう俺は自分自身を納得させるのだった。


 ■


「…………」


 再び借りた宿のベッドに倒れ込む。

 以前との違いは心境か。今この状況、心境でリラックスなんて微塵もできる気がしなかった。


「リヴィアさんは結局戻ってきていなかったな……」


 宿を借りた直後に色々な場所を周った。

 ギルドにも顔を出してみたし、以前一緒にご飯を食べた店にも行ってみた。しかし、どこも共通して言われたのは「昨日から見ていない」という言葉であった。


「……どうしてそこまでするんだよ、リヴィアさん」


 きっとあの人は俺を探して森の中をさまよっている。でも、俺にはそこまでする理由がわからなかった。自分の身の危険を二の次にしても捜索する気持ちなんて――


(もしかして……いや、きっとそうだ)


 そのずっとわからなかった答えは、いい加減に見つかった。

 リヴィアさんが俺を探すのと、俺がリヴィアさんを探すのは同じ理由なんじゃないか? いや、言語化できる理由なんて無い。ただ言えるのは相手が“心配だから”という感情だけで、俺もリヴィアさんも動いている。


(……今の俺と同じぐらいか、それ以上にリヴィアさんは心配しているんだな)


 ボスッ、とシーツを殴る。

 自分がこの事態を招いたことと、不甲斐なさに対する怒りを込めた一撃だったが、埃を舞わせるだけで終わった。

 ああ、こんな何でもできてしまう体を手に入れても、自分は思ったよりも無力なんだな――


『……ねえ、どうしてアンタってそこまでしてあの女性を助けようとしているの?』


 またネガティブな思考に陥ろうとしていたところで、殴ったシーツとは反対に寝転んでいた少女からそんな質問をされた。いつの間に実体化していたのだろうか。

 気が付かなかったが、彼女との距離はとても近い。どちらかが寝返りをうてば体がピットリとくっついてしまいそうな距離感だ。


「そりゃ、心配だからだよ。彼女のことがさ」

『本当にそれだけぇ? まさか、あの女に惚れてるとかじゃないでしょうねぇ?』

「……なんだよその顔、別に関係ないだろ!」

『ま、どうでもいいんだけど』

「あのなぁ……」


 人をおちょくって何がしたいんだ、と口に出そうとしたところでピッ、と口に人差し指を当てられる。

 ……彼女の眼は真剣だ。さっきまでの冗談とは違うものが込められている。


『ただ、何が何でもあの女を助けたいのなら、全力で備えて全力で挑みなさい。じゃないと何もかも失うことになるわ』


 それが彼女の言いたかった言葉なのだと理解する。

 全力で、か。今まで中途半端な意気込みしか持たなかった人間には中々ハードルの高い要求である。だが――


「――わかったよ。やってみせる。ああ、やってみせるとも。俺は初めて心の底から全力を出してやる」


 決意は固まった。

 俺が腹の底から決意の言葉を張ると、納得のいく答えだったらしく、少女はニヤリと笑みを浮かべていた。

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