第18話 龍の爪
「……お前、軽すぎ。あっさり嶺鷹から乗り換えやがって」
つけているイヤーカフからいつなの愚痴が長々と流れた。
どうやら外に音が漏れないようにしているようで、それをいいことに言いたい放題璃羽に浴びせてくる。
――うるさいなぁ。お前がいるんだから、他に誰が護衛になったっていいじゃないか
嶺鷹もあっさりそばを離れて牛司と共に出て行ったが、それもいつながいるから。
璃羽はいつなの愚痴に不満を抱きながらも、長老たちと最上階を目指して歩いていたが、その間もずっといつなの文句は尽きなかった。
――何でそんなに機嫌が悪くなるんだ?
隠れて様子をみると言われた以上、声に出していつなに話しかけることができず、璃羽が更にムズムズしていると、隣に立つ影早と目が合いニコッと微笑まれた。
すると璃羽の頬が少し紅く色付き、いつなの機嫌がぐんと悪くなる。
「おい、討伐に来たんだろうが」
――分かってるよ、そんなこと
璃羽だってそのつもりでここへやってきているのだ。
そう思いながら腰に備えている短剣にそっと触れた。
流石に丸腰ではどうしようもないと翠が璃羽に用意したもので、当然どこかで拾ったボロボロの草刈り鎌とは違って上質なものだから、色んなオプションをつめ込みやすいと言って、いつながこっそり細工を施した双剣となっている。
だからこそ戦いの中で試したかったというのに。
璃羽がそんな思いに打ち拉がれていると、塔の上に出たのか肌寒い風が彼女の髪を揺らした。
夕陽が沈みきったのか、辺りは夜の暗闇が広がる。
「そろそろか」
長老の一人が呟いた。
里の避難は既に完了しているようで、上から見ても明かりの灯った建物はほとんどない。
璃羽たちの馬も嶺鷹が安全な場所へ移動させたのだろう、姿が見えなくなっていた。
空では、輝いている筈の月もいつの間にか雲に隠れていて、満月に近かったというのに、男たちの持つ松明の光の方がより目立っていた。
もちろん璃羽たちがいる塔の上であっても襲ってくる可能性がある為、男たちの何人かは集まっている。
パチパチと燃える音が響き渡る中、神経を研ぎ澄ませて妖魔が現れるのを待った。
すると――
「レーダーに反応っ! 数……300、前方から何か来るぞ!」
「え……!?」
いつなが突然声を張り上げ、璃羽は驚きながらも正面の景色に目を凝らした。
見ると、遠くの方から赤く光るものが大勢でこちらに迫ってくる。
「妖魔だ!」
誰かが叫んだ。
赤く光っているものは妖魔の双眸で、人型に近いそれは大群となって走ってくる。
日を追うごとに増えているのか、報告にあった複数体、なんて数じゃない。
けれど、男たちがまず弓矢で遠距離から妖魔を狙い撃ち、里を侵略されないよう食い止めるが、急所に命中している筈なのに、妖魔は倒れてもすぐ起き上がって再び動き出す、そこは報告の通りだ。
「……まるでゾンビだな」
「その上、動きが速い」
映画などでよく観るそれとほぼ同じで、不自然に身体を歪ませてやって来るが、体勢がふらついているというのに、一つ一つの動作が尋常じゃなく速い。
けれど男たちは場慣れしているからか、動じることなく抗戦し、次々と妖魔を倒していく。
「妖魔の攻撃パターンは、噛みつくか切り裂くか、かどうやら速いだけで勝てない相手じゃなさそうだが……」
璃羽は呟く。
けれど問題は、奴らが不死身ということだ。
たとえ首をはねたところで身体は起き上がり、いつの間にか新しい頭が生えている。
それが300体、押し寄せてきているのだ。
対する討伐隊は150人程だと聞いているが、どう対処すべきなのか。
「……キリがないな」
「はい。夜明けまで持ち堪えるしかないのです」
「夜明けまで?」
璃羽の隣で見ていた影早が答えた。
「日が昇ってくると、妖魔は去っていきます」
「それって太陽の光に弱いってことか?」
「はい。そのせいか妖魔は、主に暗闇となる夜に活動するのが一般的なのです」
影早はそう言うと、視線を空へと移した。
「そして夜であっても、空が晴れ渡り月の光が届く明るい夜ならば、日中ほどではありませんが妖魔に影響します。なので満月の夜は、それほど強い妖魔が現れることはない。けれど……今夜みたく曇って光が届かない夜ならば、たとえ満月であっても妖魔の力は衰えることがないのです」
曇り切った空を眺めながら、影早は悔しそうに話してくれた。
きっと晴れていたら、もっと有利に運べていたのだろう。
もしかして、不死身にすら妖魔はなっていなかったりするのかもしれない。
璃羽は、先日倒したムカデの妖魔を思い出した。
あの日は確か、それほど曇っていなかった上に、ほぼ満月に近い明るい夜だった。
順位をつけるとしたら、あのムカデの力は下の中、くらいだったのかもしれない。
そう考えると、璃羽はちょっぴり誇らしげにしていた分、恥ずかしくなった。
「……太陽の光、か」
そんな時、巾着袋の中でいつなが呟く。
「上手く組み込めたら、強力な武器になるかも」
――いつな?
イヤーカフからいつなが作業をし始める音が聞こえ出した。
何か名案を思いついたのだろうか。
そんな風に璃羽が思っていると、その時、
――ドォーン!!
爆音と共に、急に大きな揺れを感じた。
耐えきれずしゃがみ込むと、周囲で叫び声が響き渡る。
「敵襲だ! 下に妖魔がいるぞ!!」
「何っ!?」
急いで覗き込むと、塔の下で数体の妖魔が体当たりを繰り返して建物を壊そうとしていたり、よじ登ろうとしているのが見えた。
これでは璃羽たちがいるこの場所も危ない。
「姫、お下がり下さいっ」
「矢を放てぇ!!」
影早が璃羽の肩を抱いて後方へ下がらせると、長老の指示で妖魔へと一斉に矢が放たれた。
その内のいくつかは妖魔に突き刺さるも、簡単に引き抜かれ、勢いは止まらない。
「このままじゃ、いずれここも……っ」
璃羽の手が短剣を握った。
やはり戦わなければならない、そもそも救世主だといわれている龍姫が、何もしないでただ見ているだけなんていい筈がない。
妙な正義感が璃羽を突き動かす。
「影早、私たちもいくぞ」
「姫……?」
璃羽はそう言って、前は進む。
けれど、それを阻むように影早の手がすぐさま彼女の腕を掴んだ。
「なりません、危険です!」
「危険? ここにいても同じだ」
「私がお護り致します」
璃羽を護ることに強い使命感を抱いているのか、影早はなかなか彼女の腕を離そうとしない。
そうしている間にも、妖魔たちはどんどん塔を登ってきている。
「じゃあお前は、皆がどうなってもいいのか?」
璃羽は彼に訊ねた。
影早は、長の屋敷に忍び込んで龍姫を狙おうとするほど、里のことを考えている奴だ。
ならば、少しでも戦力を増やしたい筈、それなのに。
「それでも俺は貴女を護ります」
「影早……?」
影早はそう言って体を寄せると、璃羽に顔を近づけた。
「誰より――貴女を一番に」
「……!?」
それはまるで、キスを迫ってくるかのような距離。
いつの間にか腰にまで彼の腕が回っていて、逃げられない。
それほどまでに護りたいと思ってくれているのか、真剣に見つめてくるその美しい容貌を目の前に、璃羽の顔は不謹慎にも真っ赤になる。
がその時。
「え……?」
璃羽の巾着袋から突然、水泡がブクブクと溢れ出して見覚えのある膜が大きく広がり、彼女から引き離すように影早の体を弾いた。
巨大ムカデから人々を助け出した時にいつなが展開させたあのシールドだ。
――いつな?
「璃羽に……触るな」
どす黒いとも言えるいつなの静かな怒り声が、璃羽の耳だけに聞こえた。
――影早を弾くなんて、強度を上げたのか? 何で、今?
急に現れたシールドに、影早も驚いて目を丸くさせている。
――真面目に護ってくれようとしてる奴を弾くなんて、何考えてるんだ?
思わず璃羽が声に出して問いただしそうになるが、次の瞬間。
「がぁぁああっ!」
妖魔が幾体も上まで登り切ったのか、長老たちや男たちを前に大声を張り上げた。
その耳を塞ぎたくなるような響音に、皆の注意が一気にそちらに向く。
「もっと放てぇ! 妖魔どもを撃ち落とせ!」
何本も矢が飛び交い、それに当たった妖魔は塔から落ちて行ったり、その場に崩れて倒れたり。
それでも襲ってくる妖魔には直接刃を向け、斬り倒した。
しかしやはり不死身の力ですぐに起き上がってくる妖魔たちは、なかなかに手強い。
そしてその間にもどんどん他の妖魔も登ってくる。
「璃羽、シールドの外に出るなよ」
いつなが言った。
もしかして彼は、妖魔が登ってくるのに気づいて展開させたのだろうか?
璃羽の方にも妖魔の体当たりが飛んでくるが、シールドのお陰で攻撃は弾かれた。
この中にいれば、大抵の攻撃は大丈夫だろう。
けれど。
「いや、私も戦うっ」
やっぱり璃羽はそれでいいとは思わず、短剣を構え外に出ようとするが、いつなが妙に冷静に彼女を止める。
「お前は出なくていい――もうすぐあいつが来る」
――あいつ?
璃羽がどういうことかと首を傾げた、その時。
――ブォォーン!!
大きな突風が塔の下から吹き荒れ、次の瞬間、何体もの妖魔たちが一気に吹き飛んだ。
「何だ!?」
璃羽が驚いて目を見開くと、そこから飛んできたかのように嶺鷹が現れる。
「え……!? ここ塔のてっぺんだぞ……!?」
「姫、あまり前へ出ないでくれ。巻き込んでしまう」
隊のどこかで戦っていた筈の嶺鷹が、一瞬のうちに塔の頂上まで来たというのに、それが当たり前のことのように彼は平然としていて、スッと刀を構える。
そして――
「ハッ!」
彼がその剣を振るうと、突風と共にたちまち周囲の妖魔たちが簡単に吹き斬られ飛んでいった。
その暴風に一瞬視界が閉ざされてしまうが、その間に妖魔たち全てが落とされたのか、次第に収まりを見せた景色の中には、妖魔の姿が一体もなく消え去っていた。
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