ハイドラ・エネア

正木大陸

Chapter1:日常

 西暦2501年。

 26世紀の始まりとなったこの年、半永久機関"ワイズマン・リアクター"の実用化により、エネルギー問題を一挙に解決した人類は、一つになるべく動き出した。

 世界全ての国家を統一し、地球に一つの国家圏を打ち建てようとする"統合派"と呼ばれる勢力が誕生したのだ。

 だが、統合派の性急すぎる行動は、多くの反発を呼び、半年足らずで戦争となって結実した。

 後に"統合大戦"と呼ばれるこの戦争において、画期的な新兵器が登場した。

 汎用有脚ゆうきゃく兵器"ウォーレッグ"である。

 実戦投入されたウォーレッグは、その性能と汎用性で既存の機動兵器を駆逐し、戦場の主役となった。

 地球全土を巻き込んだ9年にもわたる戦争の末、2510年、地球には統合政府が樹立し、世界は一先ずの安寧を得た。


 それから15年――


 統合大戦の惨禍から着実に復興しつつある西暦2525年。

 地球統合政府成立以前、"ヨーロッパ"と呼ばれていた地域の、とある港町。

 町並みと海を一望できる丘の上に、まさにそれらを見下ろすように、一軒の屋敷があった。

 今となっては趣味位でしか建てる者がいないような、レトロな外観ではあるが、3階建てで庭にはプールもある。それなりに金がかけられているということの証左だ。

 その3階、玄関に向かって左端の部屋で、ハイドは目を覚ました。よく知った人の呼び声が聞こえたからだ。

 体を起こしベッドから下りる。

 必要最低限の物しか置かれていないが、決して殺風景ではなく、ある程度の温かみも残されている部屋だ。

 ベッドの足側に置かれたクローゼットを開き、寝間着から普段着に着替える。

 部屋を出る直前、クローゼットの反対の壁際に置かれていた戸棚に視線を向け、いつものように軽く挨拶をする。

「おはよう、みんな」

 戸棚の中に置かれているのは、今はもう居ないハイドのとの写真を始めとする思い出の品々だ。

 階段から1階に下り、寝起きする部屋とは反対側にある食堂に向かう。

 その廊下の途中で、足元に毛むくじゃらの塊が擦り寄ってきた。

 ダークブラウンの中にかすかに縞模様が入っている、マンチカンと呼ばれる品種の猫だ。

「おはよう、リコ」

 屈んで喉元を軽く撫でてやり、再び歩き出すとリコも付いてくる。

 20人程が一度に座れるアンティーク物のロングテーブルが置かれた食堂は、それ相応に広い。やはりこの屋敷は二人と一匹で暮らすには向いていない。

 その食堂の入り口に一番近い席に、朝食を用意している三十代後半といった見た目の女性がいた。

「おはよう、母さん」

「おはよう、ハイド」

 彼女の名前はディシェナ・ミデン。血の繋がりはないが、"統合大戦"で両親を失った自分を引き取り、育ててくれた、ハイドにとっては母親といってもいい人物だ。

 そして自分達に理不尽に抗う力をくれた人物でもある。

「早く食べてしまいなさい。今日も仕事なんでしょう」

 彼女の言葉に頷き、ハイドは席に着く。ディシェナも彼の向かいの席に座る。

 今日のメニューはベーコンエッグとトーストだ。

 「いただきます」と一言言ってまずトーストに手を付ける。

 リコもテーブルの脚に括りつけられたペット用のボトル型給水器の側に置いてある、皿からキャットフードを食べ始めた。

 テーブルの傍らに置かれたホロプロジェクタからは、ニュース映像が流れている。

 ジャムを付けて口に入れながら、アナウンサーの声に耳を傾ける。

『……の宝石店に武装した複数の男が押し入り、持っていた武器で店員を脅して、現金にして1000万テール相当の貴金属類を奪い、自動車およびウォーレッグで逃走しました……』

 すぐ隣の町での事件だった。

 そのニュース映像を見ていたディシェナの目に不安がよぎるのを、ハイドは見逃さなかった。

 ここ最近、似たような強盗事件がよく起きている。

 ディシェナが集めた骨董品だらけのこの屋敷がいつ襲われてもおかしくない。

 そんな時、自分ができる事は、そして今、自分がディシェナにしてやれることは一つしかない。

「大丈夫。母さんは僕が守るから」

 ハイドがそう言うと、彼女の表情が少しだけ緩んだ。

「ありがとう。その気持ちだけで充分よ」

 ディシェナのその言葉を聞いてから、彼はベーコンの最後の一切れを口に入れ、席を立った。

「それじゃあ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

「母さんこそね」

 自室に戻り、荷物を取って階段を駆け降りる。

 ほとんど物置と化している車庫からエアスクーターを引っ張り出し、アシストホイールの状態で押して屋敷の外に出る。

 玄関の猫用ドアからリコも見送るように出てくる。

 今日もいい天気だ。

 はるか遠くの海沿いにある発電所が、ワイズマン・リアクター特有の青い余剰エネルギーの光を放っている様子までよく見える。

 モーターの電源を入れると、ハイドはエアスクーターに跨り、アシストホイールを車体に格納し、町へ向けて走り出した。


 航空機で一度に運べる輸送量が格段に増えた現在でも、海上輸送は現役である。

 ハイドの仕事場は、丘を下り、街を抜けたその先にある港の倉庫街だった。

 いつものように通用門の守衛と挨拶を交わし、いつものように事務所に併設された更衣室で作業着に着替え、いつものようにミーティングを済ませ、いつものように作業用機械の格納庫へ向かう。

 そこにはハイドの黄色い相棒が鎮座していた。

 全体的な形状はほぼ立方体。底面の四隅から甲殻類を思わせる脚が4本。両側面やや前方にアーム、その先端には三指型のマニピュレータ。正面には右寄りの位置にカメラアイを含むランプセンサー、同じく下部にはウィンチ。背部にはカウンターウェイトを兼ねるバッテリーパックを背負っている。

 ウォーレッグを基に作られ、現在多くの作業現場で使われている汎用作業機械"ワークレッグ"の荷役作業仕様となるC3型だ。

 右側面後方部分にあるドアからコックピットに入り、シートに四点式シートベルトで体を固定する。

 モニターはシートから見て手前にある小型のコンソールモニターと、奥側にある大型のカメラモニターの2種類。その内コンソールモニターの側面にある大きな電源スイッチを入れる。

 カメラモニターはすぐに外の様子を表示し、コンソールモニターはOSの起動画面が現れてから一旦ロード画面を経てデジタル表示の計器類を表示する。

 さあ、今日も始めよう。

 ハイドは体に染みついた感覚の赴くまま、両足のペダルをゆっくりと、流すように踏みこんだ。

 オートマチック方式なので、基本の操縦はアームレストの先にある一対の操縦桿と、足元にあるペダルとフットバーで事足りる。

 マニピュレータの肩部分にある黄色い回転灯を光らせながら格納庫を出ると、倉庫長からすぐに仕事内容を知らせる無線が来た。

『おし、坊主、早速だが11番倉庫の9号ジョイントの箱を前のトラックに積んでくれ。87エクスプレスさんのトラックだ』

「了解。11番倉庫の9号ジョイント。87さんのトラック」

 倉庫長は僕をいつも"坊主"などと呼んでいるけれど、本当の年齢を知ったらきっとひっくり返るだろうな、などとハイドは思いながらC3を進ませる。

 すぐに補佐してくれる生身の作業員達が集まってきた。

 側面に"11"と大きく描かれた倉庫の前にやってくると、倉庫長の言う通り荷台のコンテナに複葉機を模した87エクスプレスのマークを付けた半自動トラックが待機していた。

 このタイプのトラックは基本の運転はコンピューターが行い、同乗するオペレーターは積み荷の管理と緊急時の運転を受け持つ。

 右のマニピュレータを軽く上げて、運転席から降りてきたオペレーターと挨拶を交わし、いよいよ作業に入る。

 左のアームレストにあるスライドドアの遠隔開閉ボタンを押すと、11番倉庫の正面に据えられた巨大な引き戸がゆっくりと開いた。

 周辺機器の操作スイッチや、あらかじめ登録された動きを呼び出すファンクションボタンの類は全て、アームレストの部分に集約されている。

 周囲の作業員の誘導に従って倉庫に入ると、積み込むべき小型コンテナはすぐに見つかった。

 カメラモニターに表示されるタグの内容から、中身が9号ジョイントであることを確認してから、ハイドは両方の操縦桿を奥に倒し、親指のボタンを押し込んだ。

 その操作に応じてC3のアームが前に向かって伸ばされ、先端のマニピュレータが開かれる。

 次は操縦桿を両方とも体の内側に向けて倒しながら人差し指のボタンを押し、小型コンテナを掴ませる。

 小型コンテナを持ち上げたら、左のペダルと右のフットバーを入れ、機体をその場で180度回転させる。

 再び作業員の指示に従って小型コンテナを抱えたC3を倉庫から出し、半自動トラックに積み込んだ。

 簡単なことのように見えるが、流れるような無駄のない動作でできるのは熟達者の証拠だ。

 倉庫長から無線通信とともに送られ、カメラモニターに表示しておいた情報によると、積む必要がある数は12個。

 十分時間はある。

 C3型の外部集音マイクの感度を上げる。

 コックピットに入ってくる作業員達の雑談をBGMにハイドは作業を続ける。

 それがハイドの心の安らぎであることは仕事仲間達も知っているので、特に咎める者は居なかった。

 この職場は良い人ばかりだ。自分が人並外れた身体能力と操縦技術を持っていることを知っても、何一つ態度を変えず、何一つ詮索しないでいてくれる。


 事件が起こったのは午後のことだった。

 ハイドが昼食を終え、今度は貨物船からの荷下ろし作業をしていると、急に警報が鳴り響いた。

 持ち上げかけていた穀類の小型コンテナを下ろし、甲板に出ると、カメラモニターに思わぬ光景が映った。

 主に大型コンテナの積み下ろしを目的とする大型ワークレッグ・T7型が、海に向かって倒れていたのだ。

 ドライバー用コックピットブロックの側面には、"03"と大きく書かれている。

 あのナンバーのT7型は確か、明日大規模点検が行われる予定だったはず。まさにその矢先のこの事故だ。

 そしてハイドは、海水に浸かっているクレーン・オペレーター用のコックピットに誰が乗っているのか思い当たるのと同時に、C3を事故の場へと向かわせていた。

 貨物船と岸壁に渡されたスロープを下りながら、装輪走行のロックを解除する。

 ペダルを強く踏み込むと、足の中程までが折り畳まれ、残った関節部分にあるローラーを地に着け、ハイドのワークレッグは走り出した。

 こういう時は通常の歩行よりもローラーでの走行に限る。

 T7に近づいていくにつれ、詳細が明らかになっていく。

 まるで巨大なタワークレーンを背負ったヤドカリのようなワークレッグの6本脚の内、左前の2本が根本から折れてしまっている。

 クレーン部のマストは3分の2程が海に出ていて、沈むのは時間の問題だ。

 おそらくレスキュー隊が到着するまでは持たないだろう。

 ハイドは意を決し、横倒しのワークレッグの胴体と、コンテナの間にC3をねじ込み、脚を突っ張らせた。ローラーの回転を利用し、T7の上まで一気に登る。

 甲高い警告音が鳴り響き、コンソールモニターのメッセージが内部電源に切り替わったことを告げる。

 ワークレッグを稼働させる電力は、主に地中や床面に埋設された送電コイルから脚部との接触電路で供給される。

 何らかの理由で脚部が地面から離れれば、自動的に内部電源に切り替わるが、暴走事故などに備えるため、その容量は決して多くはない。内部電源が切れる前にやるしかない。

 再び通常歩行に戻し、網状のマスト部分の付け根まで移動する。

 ファンクションボタンでウィンチからワイヤーを伸ばし、左のマニピュレータでマストに引っ掛ける。

 これからやることを考えるとしっかり結び付けたいところだが、その暇はなさそうだった。

 カメラモニターに後方の様子を映し出し、慎重にフットバーを入れる。

 ワイヤーが常に張り詰めるよう、速度を調整しながら後退。マストに食い込ませた脚で左右を、ワイヤーで前後を安定させ、オペレーター用のコックピットへゆっくりと接近する。

 モニターに映ったコックピットブロックは、半分程が水没してしまっている。

 その窓から助けを求めるようにガラスを叩く白い手が見える。ドア側が水没して出られないのだ。割って助けるしかない。

 こういう時は細かい動きの苦手なマニピュレータより、素手の方が手っ取り早い。

 ハイドはワークレッグを下り、生身でT7のコックピットに取り付いた。

 窓ガラスの向こうに、恐怖に顔をひきつらせた若い男の姿があった。

 間違いなくヨハンソンだ。この倉庫街で働き始めた時から、多くをあまり語れないハイドに特に親身になってくれた男で、親友と言っても過言ではない存在だった。

「ヨハンソン!」

 ハイドが叫ぶと、ヨハンソンは隅に退いた。

 ハイドは何の躊躇いも無く、拳でいとも容易く窓ガラスを叩き割った。

 ふちで手が切れて血が滲むのにも構わず、残ったガラスを剥がすように穴を広げていく。

 人一人が確実に出られる大きさになったところでヨハンソンの腕を掴み、上へと引き上げる。

 コックピットブロックの上に一旦彼の身体を置いたところで、T7全体が大きく揺れた。安心するのはまだ早い。

 水没まで秒読みに入った。

 息をく暇もなくヨハンソンを担ぎ上げ、C3型ワークレッグのコックピットに滑り込んだ。人の足よりも機械の方が速い。

 シートベルトを締める暇すら惜しんで両ペダルを限界まで踏み込む。

 ここは安定性より速力だ。ウィンチを巻き取る勢いに装輪走行モードをプラスし、ワークレッグでは本来ありえない速度で港へと引き返す。

 マストの角度が次第に急になり、併せてT7は次第に海へと引っ張られていく。

 最後に胴体が地面から浮かび上がり、海中へ最後の一歩を踏み出したT7をジャンプ台代わりに、C3は空中に飛び出した。

「何かに掴まれ!」

 ヨハンソンに叫ぶが、当然姿勢制御などできるはずもなく、C3は地面に激しく叩きつけられ、シートベルトをしていなかったハイドは額でコンソールモニターにヒビを入れた。

 朦朧とする意識の中、ハイドは「バカ野郎!」「こんなひどい怪我してまで!」などと、責めるヨハンソンの声を聞いた。随分と張りがある。ひどい衝撃だったが、大したことはないらしい。

 間違いなく全損であろうC3のコックピットの外で、歓声が響くのも聞こえる。

 しかし、ハイドには友を無事に助けられたと確信したとき、喜びよりも安堵の方が大きかった。

 それは、自分が持っているひどく暴力的な力でも、こうして誰かを救えるという事実への安堵でもあった。


(つづく)

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