第2話 「現実と皮肉」

 喫煙所で隣り合わせになったその男は10秒程度のインターバルで「フゥーッ」と力強く煙混じりの息を吐いていた。その様子はまるで年の数だけ蝋燭を立てられたケーキの火を吹き消す誕生日パーティーの主役みたいだった。

男は時計にチラリと目をやり、まだ十分吸えそうなタバコを指先に軽く力を加えて灰皿に押し付け、未練がましい表情を顔に浮かべて駅の方面へと消えていった。


 1週間後、仕事の合間に喫煙所で一服していると、その男が現れた。男は前に会った時と同様に一定の間隔で力強くその小さな口から煙を吐き出し、夏の暑さを象徴するような大粒の汗を額に光らせていた。

煙を吸ったり吐いたりする度に仰々しく揺れる腹部には十分すぎるくらいの贅肉が蓄えられており、太く短い両腕には汗で湿った無駄毛が所狭しと生えていた。


「なぁ兄ちゃん、人間は何のために生きていると思う?」


喫煙所には僕たち以外の利用者はいないため、間違いなく自分に向けて発せられた言葉だった。互いの距離感を考慮すると十分すぎるくらいの声量だった。


「さぁ、さっぱり分かりませんね。少なくとも喫煙所で出会った見ず知らずの人間に

 こんな質問を投げかけるために生きているわけでは無いでしょう」


男は満足げな様子で小さく笑い、2本目のタバコに火をつけた。男の笑った表情は、不思議と親戚と話しているような安心感を僕に与えた。


「そしたら質問を変える。人間はなぜ生きていると思う?」


「さっきと同じ質問じゃ無いですか」


男は仰々しくタバコを持っていない方の人差し指を左右に振ってみせる。


「違う違う。それとこれとじゃ全然ニュアンスが変わってくるだろう。よく考えてみるといい」


 男が何を言いたいのかさっぱり分からなかったが、気づくと僕も2本目のタバコに火をつけながら質問に対する答えを真剣に考えていた。

 10秒ばかりの長い沈黙が重い空気の塊となって喫煙所を右往左往に漂い、国道を走る車の音や忙しなく鳴き続ける蝉の声が必要以上に五月蝿く感じられた。

今年の夏は例年以上に日差しが強く、少し近所のコンビニに歩いただけでも全身の毛穴から嫌な汗が湧き出る。

地球温暖化は僕たちが思っている以上に深刻なペースで進行しているのかもしれないし、家電メーカーは破竹の勢いで冷房家電が売れていく様子を受けて今年の予想売上高を上方修正していることだろう。

 気づくと男の姿は喫煙所から消えていた。

僕は男に与えられた質問の意味を理解できず悶々とした気持ちに襲われた。まだ二口くらいは吸えそうなタバコを灰皿へと投げ捨て、喫煙所を出てあたりをざっと見回してみたが、男の姿はどこにも見当たらなかった。僕は自分の着ているTシャツが胸の辺りまでぐっしょりと汗で濡れていることに気づき、容赦無く地上へと日差しを振り下ろす太陽をゆっくりと見上げた。



 その日のうちに片付けなければならない仕事があったため、家に帰ると時刻は既に23時を回っていた。

スーツから部屋着に着替えベランダでタバコを吸っていると、なにやら騒がしい話し声が聞こえてきた。家の向かいにある居酒屋へと視線を下ろすと、店から出てきたスーツ姿の男たちが賑やかな様子で円を作り、幹事のような人物が抑揚のない声で演説をしていた。中にはハメを外しすぎたのか、円からこっそりと離脱し、電柱に片手をついて胃の中のモノをぶちまけている者もいた。


 僕はこれまで20幾年生きてきた中で一度としてサラリーマンというものに憧れたことはない。週に5日も働き、時には理不尽なことで説教されることもある。例え自分がいなくても仕事は回るし、自分が居てもさして特別な何かを生み出せるわけでもない。そんな社会の歯車として生きる彼らを内心ずっと小馬鹿にしてきたし、次第に社会に染まっていくことによって(あるかないかも分からない)自分らしさが損なわれていくことに恐怖さえ覚えていた。しかし、今の自分はどうだ。あれだけ毛嫌いしていたサラリーマンにしっかりとなっている。この現実があまりにも皮肉で時々泣き出したくなる衝動に駆られるが、泣いている自分を俯瞰視するとさらに無様になると自分に言い聞かせてなんとか堪えることにしている。


 幹事らしき男の長い演説も終わりを迎えたようで、「よぉ〜」の掛け声とともに一丁締めが行われた。あまりにもピッタリと息の合った一丁締めだったため、僕は「お見事」と内心呟き、自分も今日という日を締めるべく部屋の電気を消して布団の中へと潜り込んだ。

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