私のかわいいお姉さま

「……っくしゅん! うぅ」


 ベッドに横たわる那須野桃子なすのももこは、鼻をすすり上げた。


 桃子は今年の春に入学した新入生だ。

 学園生活に慣れ始めた梅雨時、発熱で学校を休んでいる。幸いなことにりょうは一人部屋で、誰かに病気をうつす心配はなかった。

 桃子は熱で朦朧もうろうとする意識の中、うわ言のように呟いた。


「……玲香れいかお姉さま」



 ここ、男子禁制の「聖ラ・ヌール学園」は貴族が通う一流の高等学校で、教養から社交界のマナーまで幅広く学べる。ここでは教育の一環として、上級生と下級生でペアを組む制度 《ラ・シストーラ》がある。

 この《ラ・シストーラ》で強い絆を結び、幅広い人脈を作れるかどうかで、卒業後の進路が決まると言っても過言ではない。


 桃子の家は没落ぼつらく寸前。十分な御布施おふせを積めなかった桃子が入学できたのは奇跡に近い。さらに桃子の強運は続き、ペアの相手は貴族御三家きぞくごさんけの一つ、九魔御門くまみかど家の玲香だった。彼女はすらりとした長身で、つやのある黒髪を腰まで伸ばし、完璧な清楚系せいそけいお嬢様だ。


 ……見た目だけは。


「お前が那須野桃子なすのももこか?」

「は、はい!」


「悪くない顔だな。あたしは九魔御門玲香くまみかどれいか。名字は好きじゃないから名前で呼べ」

「かしこまりました、玲香お姉さま」


「なんっか『お姉さま』ってむず痒い……柄じゃねぇんだけど」


 眉根まゆねを寄せて、ひたいの当たりをポリポリといている。玲香は困っているだけだろうが、通りすがりの人には桃子が絡まれているようにしか見えないだろう。


「んー、その呼び方を許す代わりに、あたしの言うこと、全部きけ」

「はい!」


 これも御家再興おいえさいこうのためだ。桃子は決意を持って返事をした。


 しかし、ここからが本当に大変だった。


「朝は二年生の寮まで迎えに来い。学園まで荷物持ち、よろしくな」


「あー、小腹が減ったな。なんか甘いもの持ってこい」


「なあ、寒いからお前の上着、貸せよ」


 もはや桃子は奴隷どれいだった。まるで呼吸のように自然と玲香からワガママが放出される。

 最初は御三家ごさんけだからと従っていた。だけど、玲香が時折見せる寂し気な表情に気付いてからは、玲香を放っておけなくて、理解したくて、この身を捧げてきた。

 ここまで踏ん張って気持ちだけで動いてきたけれど、さすがに身体が音を上げた。



 額がひんやりして気持ちがいい。れタオルでも載っているのだろうか。

 桃子が目を開けると、思いもよらない人の姿があった。


「れ、玲香お姉さま!?」

「……おう、元気……なわけねぇな」


「どうしたんです? 今日は『姉妹日シストーラ』じゃないし、寮母りょうぼさんに見つかったら怒られちゃいます! それに授業は!?」

「うるせぇなー。せっかく来てやったのに、感謝の言葉もなしに説教かよ」


 桃子は怒られた子どもが隠れるみたいに、布団を口元まで引き上げた。


「っだー、もう! ……あたしが全部、悪かった」

「……は!?」


「今日寝込んでるのも、あたしのせいだろ? それを謝ってんだよ」

「どどどどうしたんです!? そんな低姿勢、らしくない! もしかして偽物?」


「本物だ! よく見やがれ!」


 ずいと眼前がんぜんに玲香の顔が現れた。

 静かで温かい玲香の吐息といきを感じ、鼓動こどうが早まる。雪のように白くてきめ細やかな肌。整った目鼻立ち。玲香の粗野そやな言動が、この神秘的な美しさのバランスを保っているのかもしれない。

 紅色べにいろの瞳が、ちらりと桃子に向けられた。


「……ありがとな、桃子」


 玲香はし目がちに続ける。


「今まで近づいてきた奴らの目的は九魔御門くまみかど家。だから、こき使ってやった。でも……桃子はなんか違う。だけど、すぐ態度を変えられねぇし……。今日は寮に迎えに来ねぇし……あたし、桃子に嫌われたのかって。そう思ったら、ここまで走ってた。だから、今までごめん。それと、ありがとな」


「お姉さま……」


 桃子は起き上がり、玲香の手を優しく握る。


「私、玲香お姉さまのこと、大好きです」


 玲香の顔は真っ赤になった。桃子の手を振り払い、よろめきながらドアに向かう。


「は、早く治せよな! じゃあな!」


 乱暴に閉じられたドアを、愛おしさ溢れる瞳で桃子は見つめた。


「もう……本当に、かわいいお人」


 夢の中でも会えますようにと願いながら、桃子はゆっくり目を閉じた。

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