第35話 虹が運んできた奇跡
「猫神パンケーキ四つ下さい」
「はい! 少々お待ち下さい」
界隈商店街に軒を連ねた出店の一つで、私はお客さんの注文に威勢良く答える。猫神パンケーキとは、ナッツを散りばめたホットケーキに猫顔の焼印を入れた商品だ。
はちみつ、メープル、バター、ホイップクリームのトッピングを自由にお客さんに選んで貰う。
出店の看板に書かれた「幸運あるかも? 猫神パンケーキ」と言う怪しき文字に誘われたのか、お店には行列が発生し猫神パンケーキは飛ぶように売れた。
私が考案したこの猫神パンケーキ。この先、界隈商店街で尊楽能猫神商品の一つとして売り出して行きたいと私は密かに目論んでいた。
その時、紺のジャケットを着こなす中年の紳士が暖簾を潜って現れた。
「どうも。金梨さん」
「いらっしゃいま······あ、お、大仏(おおふつ)さん!!」
「凄い人気ですね。向こうで家族が待っているので三枚お願いします」
「は、はい。あ、大仏さん。その節はお世話になりました」
「いえ。金梨さんの言葉を借りれば、きっと鯨信用金庫と「またたび商店」さんは縁があったのでしょう」
大仏さんにお祭りの開催にあたっての私の挨拶を持ち出され、私は恐縮してしまう。三週間前、魍魎に闇落ちしようとした南耕平さんが成仏出来たあの日。
空にかかる虹を見上げていた私達の「またたび商店」に奇跡が起きたのだった。父である南耕平さんを見送った小夜子さんが権蔵さんと寄り添い家に帰ろうとしようとした時だった。
「社長!!」
黒いスーツ姿の大仏さんが叫びながらこちらに走って来た。何でも権蔵さんのスマホが電池切れで通じず、大仏さんは直接出向いて来たらしい。
大仏さんが社長夫妻に伝えた内容は驚くべき物だった。なんと鯨信用金庫で一度流れた「またたび商店」への融資が再考され、融資が正式に決定されたと言う。
「······遅きに逸したとは思いますが、御検討して頂けますか? 社長」
「またたび商店」が今月末で閉店すると既に知っていた大仏さんは、厳しい表情で権蔵さんの返答を待つ。
権蔵さんは特に驚いた様子も無く落ち着いていた。同じく泰然としている小夜子さんに顔を向ける。
「······小夜子。今日は不思議な事が重なるね
。どうだい? 長野に行くのはもう少し先にするかい?」
「そうですね。あなた。私達の身体は無理が効かないけど、お店には優秀な従業員が二人もいますからね。もう少し先にしましょうか?」
社長夫妻は頷き合い、鯨信用金庫の融資を受ける旨を大仏さんに伝える。私は夢でも見ている様な心地でその光景を見ていた。
「······不方さん。これって。もしかして。ひょっとして。私達の「またたび商店」が閉店しないで済むって事ですか?」
私は台詞の後半で既に涙声になっていた。
「······そうだよ。金梨さん。夢じゃないよ。俺達の「またたび商店」が存続するんだ
!!」
私と不方さんは人目もはばからず抱き合った。二ヶ月前、お店が閉店すると宣告され絶望の縁に落とされた私は、思いも寄らない奇跡に喜びの涙を流した。
「金梨さん。そろそろ隣の焼きそば屋さんを手伝いに行ってくれる?」
「あ、は、はい!」
三週間前に起きた奇跡の記憶から現実に引き戻された私は、猫神パンケーキを一緒に焼いていた町内会婦人会の笹峰さんの指示の元お店を出た。
巫女の服の上に「またたび商店」の文字が入ったエプロン姿と言う妙な格好の私は、次に手伝う焼きそば屋を目指して多くの人達で混み合う商店街の大通りを歩いて行く。
界隈町の商店街がこんなに人で溢れるなんて私の記憶には無い光景だった。出店は飲食だけでは無く、子供や家族連れも楽しめる様にゲームが楽しめる露店も充実していた。
私の耳に子供達の歓声が聞こえた。二体の猫神の着ぐるみが、小さい子達に囲まれていた。
この猫神祭りの為に、私は猫神の着ぐるみを界隈町にあるアトリエ会社に依頼した。着ぐるみのデザインは猫神の石像と同様に、大学の後輩である椎名六郎君に無報酬でお願いしていた。
椎名君はぶつぶつと文句をいいながらも可愛らしい猫神のデザインを完成させてくれた
。
猫神の着ぐるみの評判は子供達の反応を見れば一目瞭然だった。老若男女問わず、着ぐるみと一緒に写真を求める人達が絶えなかった。
私はこの猫神の着ぐるみをゆるキャラとして売り出し、界隈町商店街の活性化に繋げたいと企んでいた。
人混みを掻き分けて歩く私は、見覚えのある顔を見つけた。
「あ。椎名君!!」
腰までの長い金髪を束ね、赤いダウンジャケットを着たイケメンを発見した私は、無報酬労働を強要してしまった後輩を呼び止める。
椎名君は一人では無かった。我が後輩の隣には、白いダウンジャケットを着たお下げの女の子がいた。
ほ、ほほう。これが椎名君の女子高生の彼女ね? 私の好奇の視線を察知した椎名君は
、諦めた様なため息をついて彼女を紹介してくれた。
「は、初めまして。小田坂ゆりえと言いま
す」
名前を名乗ってくれたゆりえちゃんに私も挨拶を返す。ふ、ふーん。礼儀正しくて感じの良い彼女さんじゃないですか?
「小田坂さん。お祭り楽しんで下さいね。あ
、椎名君。石像の猫神と着ぐるみのデザインありがとうね。あと、募金もありがとう!」
道を急ぐ私は、まくし立てる様に椎名君に
感謝の気持ちを伝える。そう。椎名君は「またたび商店」に設置したお祭りの為の募金箱に五千円も入れてくれたのだ。椎名君。やっぱりいい奴だ。
「先輩。急いでるんだろ? 礼はいいから行きなよ」
若干呆れ顔で椎名君がそう言った時だった
。私達が立つ大通りのすぐ脇にあるベンチに、白いフリフリのドレスを着た美女が足を組んで座っていた。
椎名君と小田坂さんが急に周囲を見回す。
「······六郎。甘い薔薇の香りがしない?」
「ああ。ゆりえも感じたか?」
二人は大勢の人達の喧騒の中で、時間が止まった様にその場に立ち止まっていた。
「······椎名君。小田坂さん。この香りが分かるの?」
私の問いかけに、椎名君と小田坂さんは互いに顔を合わせる。二人の見解は一致していた。
「······以前に。いや違う。思い出せないんだけど、知っている気がするんだ」
ベンチに座る玲奈が私に手を振ってきたので、私は椎名君と小田坂さんと別れその場を離れた。
私は一度だけ二人を振り返ったが、椎名君と小田坂さんはまだそこに立っていた。
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