第3話 理の外の存在
「······貴方は?何故私の名前を知っているの
?」
身体の芯から凍える真冬の夜の中、私は突然目の前に現れた美女に問いかけた。波打つ長い茶色い髪。長い手足に整い過ぎた美しい顔。
この美女は確かに私の名を呼んだ。お店の常連客には私の名を知っている人は多いが、この二十歳前後に見える美女を店で見かけた記憶は私には無かった。
そうだ。私は思い出した様に顔を下に向ける。今はそれどころでは無かった。店の前で倒れていた不方さんの背中に手を置き、何度も擦って私は呼びかける。
「不方さん!しっかりして!不方さん!!」
すると、美女の透き通る様な白い腕が伸び私のその手を掴んだ。美女は私の顔を見てにっこりと微笑んだ。
その瞬間、私の周囲の景色が一変した。私と不方さんはフローリングの上にいた。怪訝に思った私は必死に周囲を見渡す。
······白い壁紙。窓にはベージュのカーテン。隅にはちゃぶ台が置かれ、壁には厚い本がところ狭しと並んだ本棚。机には何かの本が何冊も重なっていた。
そこは、八帖程ある部屋だった。部屋の出口には四帖のキッチンがあった。私は既視感を覚えた。家具を除けば、ここは私の住む部屋とそっくりだったのだ。
「ここは泰山君の部屋よ。ふさよちゃん」
私は再び声の方向を向く。そこには、先程外にいた美女が長く綺麗な足を組みながら宙に浮いて······る?
両肘を床に着いていた私は、物凄い勢いで後退る。な、何!?何この人?ちゅ、宙に浮いている?
て、て言うか何で私達部屋の中にいるの!
?店の前に!外にいた筈なのに!?な、何これ?ゆ、夢!?私夢でも見ているの!?
「夢じゃないわ。これは現実よ。ふさよちゃん」
······甘い薔薇の香りがした。その薔薇の香りと同じ甘く可愛らしい声は、私の耳元から聞こえた。
私はこれ迄の人生で一番俊敏に振り返った
。先程まで私の目の前で宙に浮いていた美女が、一瞬にして私の背後に現れたのだ。
「落ち着いて。ふさよちゃん。ちゃんと最初から説明するから」
美女は柔らかい表情で微笑み、私の頬に手を添えた。その時、私の鼻孔にまた薔薇の香りがした。
「私の名前は玲奈。今見せた通り。普通の人間では無いの。私は「理の外の存在」と呼ばれている組織の者なの」
······こ、ことわりの外の存在?な、何それ?何なのその組織って?
「そうねえ。この世の全てを司る神様みたいな存在。そう思ってくれて構わないわ」
か、神様?この美女が神様だって言うの?玲奈と名乗った美女は、微笑みを絶やさず説明を続ける。
「理の外の存在」はこの地球が生まれた頃から存在し、森羅万象を司る存在だった。だが、悠久の長い月日を経て、その存在も変化していった。
「理の外の存在」は徐々にその力を弱めて行った。その影響力低下は地球全てに関係し
、自然環境の悪化、人心の荒廃に直結して行った。
「理の外の存在」は事態を憂慮し、早急に対策を講じた。それは、人間を組織にスカウトし、優秀な人材を増やし組織を強化する方法だった。
「私は組織にスカウトされた正規雇用社員よ
。自分で言うのも何だけと、上層部の評価は高いエリート社員なの」
玲奈は少し悪戯っぼい表情で笑った。玲奈の説明で私が理解出来る事は一つも無かった
。
でも、目の前で見せられた玲奈の超常現象は否定出来なかった。唯一分かるのは、この美女は普通の人間では無いと言う事だつた。
「さて。泰山君なんだけど、今は意識を失っているだけだから安心して頂戴」
玲奈は私の隣にちょこんと座った。私は何かを思い出した様に不方さんと顔を凝視する
。不方さんの口元に耳を近付けると、規則正しい呼吸音が聞こえた。
私は隣に座る可憐な美女に聞きたい事が幾つもあった。何故初対面の私の名前を知っているのか?
い、いや。もし玲奈の言う通りの彼女が神様なら、そんな個人情報など容易く知り得るのだろうか。
「ここからはちょっと深刻なお話なの。よく心して聞いて。ふさよちゃん」
私の疑問を余所に、玲奈は言葉とは裏腹に笑いながら話を続ける。
「不方泰山君。彼が意識を失ったのは呪いをかけられたからなの」
玲奈がまた私を混乱させる様な事を口にする。の、呪い?そ、それってホラー映画とかによく出るワード?
「ふさよちゃん。ニュースとかで聞かない?常識的にどう考えてもあり得ない事件の数々
」
玲奈が私に問いかける。確かに世の中には信じられない耳を覆いたくなるような事件が起こっている。
「······全てでは無いんだけどね。それらの事件を起こした人達には、不方泰山君みたいに呪いをかけられた事が原因で事件を起こすケースがあるの」
玲奈が腕を伸ばし、眠る不方さんの額に指を当てる。
「これを見て。ふさよちゃん。不方泰山君が呪いをかけられた印よ」
私は玲奈の腕から指先まで急いで視線をずらした。不方さんの額にには、これまで無かった黒い染みの様な痣があった。
「······の、呪いって?一体誰が不方さんにかけたって言うんですか?」
「そうねえ。悪霊。死霊。地縛霊。貴方達の世界でそう呼ばれている類の物ね。私達「理の外の存在」では地場霊と呼んでいるわ」
······じ、地場霊?な、なんでその地場霊が突然不方さんに呪いをかけるの?何の理由があって?
「地縛霊が人間に呪いをかける必然性は無いわ。地場霊達は常に無作為に。そして相手を選ばず呪いを振りまいているの。たまたま不方泰山勲と地縛霊の波長が合ってしまった。それが泰山君が呪いを受けた理由よ」
は、波長が合ったから?そ、それって不方さんが運が悪かったて言う事?
「今から言う事が一番重要なの。不方泰山君は時期に目を覚ますわ。そして一歩外に出れば、間違い無く呪いによって泰山君の意識とは関係無く犯罪行為を働いてしまうの」
は、犯罪行為!?あんなに真面目な不方さんが!?そ、そんなのあんまりよ!!玲奈は両手を私の肩に乗せる。
「いい?ふさよちゃん。私は貴方にお願いをしに来たの。貴方が不方泰山君の暴走を止めるの。それは、貴方しか出来ない事なの」
玲奈の表情から笑みが消え、真剣な顔つきで私を見る。わ、私が不方さんの暴走を止める?
ちょ、ちょっと待って。玲奈さん達は神様何でしょう?神様なら呪いの一つや二つ簡単に消せるでしょう!?
私の至極真っ当な言い分に、玲奈は両目を閉じ首を横に振った。
「······無理なの。したくても出来ない事情があるの」
玲奈は言う。理の外の存在はその力を弱めつつあった。玲奈が見せた超常現象。それは玲奈自身の力では無く、組織上層部の力を借りて行使できる奇跡だと言う。
不方さんの今回の様なケースは吐いて捨てる程数が存在し、力を弱めた組織がそれを是正する余力は無いと言う。
そこで組織は玲奈の様な人材を派遣し、私のようなごく一般人の人間の協力を得て事態に当たっていると言う。
······玲奈の言う事が本当なら、組織の、神様の力は全く当てに出来ないって事?
「······ん?」
その時、不方さんの声が私の耳に届いた。意識を失っていた不方さんが目を覚ましつつあった。玲奈が私の肩を叩く。
「じゃ。ふさよちゃん。私は退散するから後はよろしくね♡」
玲奈はそう言い放つと、宙に浮き上がり姿が薄れて行く。ちょ、おいちょ待ってよ!!
よろしくって、私は一体どうすればいいのよ
!!」
無責任な神の組織の正規雇用社員に、私は魂の底から絶叫する。
「一つだけ忠告しておくわね。不方泰山君の欲求を満たす事。それが彼の呪いを暴走させない為のコツよ」
玲奈はそう言い残して姿を消して行った。私は恐る恐る不方さんを見る。不方さんは既に覚醒していた。
眼鏡の中の眠そうな両目が私をぼんやり見ていた。ま、まずいは!!ここは不方さんの部屋!何で私が居るかってどうやって説明すればいいの!?
不方さんの表情が一変したのはその時だった。いつも無愛想で無表情な不方さんが満面の笑顔になった。
不方さんは私を優しく抱きしめる。ちょ、ちょっと!?突然!な、何ですかこれー!?
「ふさちゃん♡ただいまぎゅー♡」
······その甘い声。その赤ちゃん言葉。不方さんの信じられない豹変に、私の顔は真っ赤になる。身体が凍りついた様に未動きも出来なかった。
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