第2話 お先真っ暗

 私が住むこの界隈町には、鰹川と言う都会にしては綺麗な川が流れている。その川沿いには桜の並木道が一キロに渡って続き、春には多くの人で賑わう。


 私は田舎から都会に出てきてから、その鰹川の桜を七回見てきた。そして川の隣には「平安通り」と呼ばれる場所にある小さな商店街があった。


 私がこの界隈町に来る数年前に、その商店街の近くに巨大なショッピングセンターがオープンした。


 当然客足はショッピングセンターに流れ

、商店街は苦境に陥った。だが、界隈町に長く住む人々は商店街を救おうと積極的に動いた。


 商店街だけで使える商品券やイベント。そして季節ごとのお祭りを開催し、なんとか小さな商店街を守って来た。


 私もその運動に賛同し、買い物はなるべくこの商店街で済ませて来た。微々たる額だが自分の支払ったお金が商店街の役に立つと思うと嬉しかった。


 私が働くこの「またたび商店」は界隈商店街の中でも歴史ある古い店の部類に入る。ここは元々小さな煙草屋だったらしい。


 看板娘の小夜子さん目当てに客が絶えなかったと言う。確かに小夜子さんは今も可愛らしい。若い頃なら尚の事だろう。


 夫の権蔵さんは猛烈サラリーマンで仕事ばかりの毎日だった。妻の小夜子さんとろくに話も出来ない日々に嫌気が差し、権蔵さんは会社を辞めて小夜子さんと二人で小さな商店を始めた。


 それがこの「またたび商店」だ。店名は猫好きな小夜子さんが命名し、イタリア美術が好きな権蔵さんは飼い猫にミケランジェロと名付けた。


 今の白猫は四代目ミケランジェロだと聞いた。お店はこの界隈商店街を見守る様に何十年も続いて行った。


 社長夫妻の優しい人柄もあり、この店には年配の常連客で支えられていた。


 馴染みのお客さんに「ふさよちゃん」と親しく名前で呼ばれ、私も気持ち良く接客が出来た。


 この「またたび商店」は私にとって大切な居場所だった。そのお店閉める?閉店する?お店が無くなってしまうの?


 私の脳内は恐慌状態だった。気付いたら足元が震えていた。その足首にすり寄っていた白猫のミケランジェロは、隣の不方さんの足元に移動する。


「······店を閉める理由は色々あるんだがね。やっぱり一番の影響は近所に増えたコンビニかな」


 権蔵さんは白髪を掻きながら申し訳無さそうな顔をする。権蔵さんの言う通り、ここ数年で「またたび商店」の周囲にはコンビニが相次いで出店した。


 最新のコンビニ設備は凄いの一言だ。スーパー、本屋、カフェ、銀行、チケット。色々な機能があの広くはない一つの店に集約されている。


 この「またたび商店」は昔ながらの小さな商店だ。コンビニの様にコピー機すら無いい。


 以前、若い学生にコピー機の有無を問われ

、無いと答えると小声で「使えねぇ店」と心無い言葉を浴びせられた事があった。


 近所のコンビニ出店で、確かに客足の影響は私も感じていた。でも、このお店が閉店に追い込まれる程深刻だったなんて気付きもしなかった。


「······信用金庫からの融資の件は流れたんですね」


「ああ。融資は断られたよ」


 不方さんと権蔵さんの会話に私は驚く。


「ごめんなさいね。ふさよちゃん。貴方を不安にさせたくなくて黙っていたんだけど。この店にコンビニみたいな機械を入れようと思って、信用金庫に融資をお願いしていたの」


 小夜子さんが申し訳無さそうに私に説明してくれた。社長夫妻はこれまで無借金で店を長く続けていた。


 それは夫妻が借金を嫌い、自力で店を続ける事を是としていたからだ。そんな考えを曲げ、店を続ける為に嫌いな借金を信用組合に頼んでいたなんて。


 私は激しく自己嫌悪に陥る。社長夫妻が苦悩していた事なんて知らずに、なんて能天気に日々を送っていたのか。


「······すいません。権蔵社長。小夜子さん。俺がもっと売上を上げていれば」


 不方さんが社長夫妻に頭を下げる。夫妻は慌ててそれを否定する。


「何を言ってんだい。泰山君がいなけりゃ、この店はもっと早く閉店していたよ」


「そうよ。勿論ふさよちゃん。貴方のお蔭でもあったのよ。看板娘のふさよちゃんがいるから来てくれるお客さんだって多いんだから


 権蔵さんと小夜子さんの優しい言葉が私の胸に突き刺さる。限界を越えた涙腺は躊躇なく私の両目から涙を流れ出させる。


「······嫌です。このまたたび商店が無くなるなんて。私、お給料なんて要りません。だがら、だからこれからもお店に置いて下さい」


 私は涙声で子供の様に駄々をこねる。椅子から立ち上がった小夜子さんが優しく私の頭を撫でてくれる。


「済まない。ふさよちゃん。だが早く決断しないと、二人の優秀な従業員に退職金も用意出来なくなるからな。小夜子と話し合って決めたんだ。ごめんよ」


 権蔵さんの弱々しい声に、私は再び自己嫌悪を味わう。そうだ。一番辛いのは私じゃない。


 この店を生き甲斐としていた権蔵さんと小夜子さんだ。


「店は何時まで営業するんですか?」


 不方さんが普段通りの声色で社長に質問する。なんで?何で不方さんはそんなに冷静で居られるの?


「······急な話なんだがね。二ヶ月後の三月一杯で閉めようと思うんだ。鰹川の桜を見てからじゃ決心が鈍ると思ってね」


 権蔵さんの宣言に私は再び項垂れる。あと二ヶ月。たった二ヶ月でこの「またたび商店」が無くなってしまう。


 ······気付くと、私は寒空の下でシャッターが下ろされた店の前に立っていた。午後九時半。平安通りの商店街も多くは営業時間を終え、聞こえる音は私の吐く白い息の音だけだ。


「······何時までそこに立っているの?いい加減にしないと風邪を引くよ」


 真冬の空気のように乾いた声に、私は顔を横に向けた。そこには、黒いコートを来た不方さんが立っていた。


「俺達が幾ら考えて仕方ないよ。どう仕様も無いんだ」


 不方さんの冷たい言い様に、私は急に腹立たしくなる。


「不方さんは冷静ですね。この「またたび商店」が無くなっても何とも思わないんですか

!?」


 言い終える前に私は自覚していた。店が無くなる悲しみ。不安。何も出来ない自分への苛立ち。


 私はそれらのやり場の無い感情を不方さんにぶつけていた。でも。それでも。幾ら好きな人でもあの冷静な態度はあんまりだ。


「······俺は店が閉店するまで自分の仕事をする。それだけだよ」


 私の八つ当たりに対して、不方さんの表情も声色も何も変わらなかった。私は怒りが収まらず、駆け足でその場を立ち去った。


 私は店の裏手に回った。そこには、雑草に囲まれた小さな祠があった。私がこの祠に気づきたのは店で働き始めて随分経ってからだった。 


 権蔵さんと小夜子さんによると、この祠はかなり昔から存在しているらしかった。店の敷地にあったので、夫妻は祠の手入れをしていたが、二人とも持病が悪化してからはその役目は私請け負っていた。


 ボロボロの木で覆われた囲いの中には、小さな石が静かに鎮座していた。その石の形をよく見ると、私には何となく猫に見えた。


 以来、私はこの祠を勝手に「猫神様」と名付けていた。たまに祠を掃除して花を添えて手を合わせていた。


 猫神様にお願いするのは、不方さんと仲良くなれますように。何時もそんな願い事だった。


 私は猛然と祠の前に座り、両手を合わせて猫神様に願った。この「またたび商店」を私から奪わないで下さいと。


 でも。幾ら願っても。猫神様は沈黙していた。これまでも。きっとこれからもそうなんだろう。


 私は項垂れながら歩き店の表に回った。お店の二階がすぐ部屋なので通勤時間はゼロだ。


 全くなんて恵まれた職場環境だろう。しかも隣の部屋には好きな人が住んでいる。私は急に不安になる。


 ······不方さんにあんな態度を取ってしまった。感情的な女だと思われただろうか。元々対して好かれているとは思っていなかったけど、さっきの件で決定的に嫌われちゃったかな。


 私はまた泣きたくなって来た。表通りに出た時、誰かが倒れている姿が視界に入った。


「······え?ふ、不方さん?」


 シャッターの前で倒れていたのは、つい先刻話していた不方さんだった。私は急いで駆け寄り不方さんの背中を叩く。


「不方さん!しっかりして!不方さん!!」


 不方さんからの反応は無かった。完全に意識を失っている。私はパニックになる寸前で

、ポケットからスマホを出し救急車を呼ぼうとした時だった。


「待って。ふさよちゃん。病院には行かない方がいいわ」


 ······突然甘い薔薇の香りがした。そして聞こえたのは、とても可愛らしい女性の声だった。声の聞こえた方向に視線を移すと、そこにはフリフリの白いドレスを着た美女が立っていた。


 

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