PART2 ”大兄”氏の憂鬱

 電話がかかってきたのは23:30。

 即ち午後11時半の事だった。

 現在いまよりさかのぼる事1か月前。俺はラジオを聴きながら、慣れないパソコンに向かって、ついこの間カタをつけたばかりの依頼ヤマの報告書と格闘し、どうにか書き終えたところだった。

 椅子に掛けたまま、一度だけをする。

 それからデスクの右側、一番下の引出しを開け、封を切っていない、とっときの

ワイルドターキーのボトル。それからグラスを出し、手近にあったハサミで封をカットする。

 栓を開け、琥珀色の液体をグラスに注ぎ、一気に開ける。

 いい気分だ。

 そこに電話のベル。

 三回までわざと放置して、受話器を取る。

”私だ。夜遅く済まないね”

 聞き覚えのある、少し訛りのある日本語だった。

 そう、俺が敬愛をこめ、

”大兄”と呼んでいる人物だ。

 俺の記録を度々読んでくれている諸君なら、誰だか分かるだろう。

 東南アジアの某国を拠点に、今やアジアはおろか、世界中にネットワークを持つ

組織シンジケートのナンバー2、否、事実上のボスである、あの男だ。

 だが、どうした事かその声には、少しばかりいつもの”カミソリの如き鋭さ”が欠けているようだ。

”仕事中だったかね?”

『いや、今何とかなったところだ。これからネグラに帰って、ひと寝入りしようかと思ってさ』

”そうか・・・・”彼はそう言って、一度目のため息を漏らす。

”君にどうしても頼みたいことがあってね。ミスター・イヌイ”

 俺は受話器を肩に挟み、ボトルから二杯目を注ぎながら、

『ん、まあいい。取り敢えず話してみなよ。イエスかノーかはそれからだ』

”すまん”、そう言って、二回目のため息。

 彼はゆっくりと話し始めた。

 要約すると、こうだ。

 彼には今年19になる一人娘がいる。

 名前は・・・・いや、それは避けておこう。

 プライバシーに引っかかったら困るからな。

 まあ、仮に”リン”とでもしておこうか。

 そのリンが、実は今コスプレってのにはまっていて、近々その

世界大会が、東京で開催されるので、参加したいと言って聞かないのだという。

『何を困ることがある?参加させてやればいいじゃないか。幾ら父親のあんたが”危ない世界”の偉いさんだからって、娘には関係ないだろ。』

”娘にも同じことを言われたよ。しかし、そうもいかんのだ”

 三回目のため息が、俺の耳を打った。

 何でも、今彼の組織シンジケートの日本支部と、東京を根城にしている別の在日外国人の武闘派グループが、ちょっとした小競り合いになっているのだという。

”そっちの方は、君には無関係だから、割愛させてもらうが”彼はそう断って、話を続けた。

”連中、どこで調べたのか、娘が来日することを知ってね。私への脅しのタネに使おうと、こうなんだ。”

 そのことを知った大兄氏は、娘の来日に反対した。

 だが、生来気の強い彼女は、父親の言葉を受け付けない。

”これは私の趣味の問題よ。パパの仕事ビジネスとは無関係の筈だからね。私は絶対に行くわ!”と、こういう訳だ。

『それじゃ、君のところの屈強な子分わかいの護衛ゴリラにつけてやっちゃどうだね?探偵を頼むよりは安上がりだろう。』

”ところが娘はそれも嫌だというんだ”そこで四度目のため息。

 俺は三杯目を注ぎたし、また呑む。

『なるほど、それでこの俺に可愛い一人娘には内緒でボディーガードをやって欲しい・・・・と、こうなんだな』

”察しが良くて助かる。金の方は着手金で30万、他に必要経費と危険手当を20万だ。全部円で払う。依頼しごとを無事に済ませてくれたら、謝礼として60万、いや、70万は出そう。何ならもう少しを付けても構わん。”

 随分気前のいいことだ。暗黒街の強面も、可愛い一人娘の事となると、財布の紐も緩むんだな。

『オーケィ、引き受けた。謝礼の方は70万で手を打とう。別になんか必要ない』

 彼はやっとほっとしたように、

”有難う。感謝する。娘は四日後に羽田に着くそうだ。時刻は午後17時丁度。着手金の方は早速明日にでも前に教えて貰った君の口座に振り込もう。他に出来ることがあったら、何でも言ってくれ。”

 それだけ言って、彼は電話を切った。

 俺は少し苦笑いをしながら、もう一杯グラスを干し、栓を締め、ボトルとグラスをしまうと、椅子から立ち上がった。

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