第9話 嗤う猫( 1 )

 うんうんと思わず頷いていると、ゴホンと咳ばらいが聞こえた。

「失礼、話題が逸れてしまったね」

 逸れたままでいい!

逸れたままでいいって!

 早く夜が明けないかと空を見るが、今晩は妙に長い。ちっとも寝れないまま夜を越すのは、そう簡単なことじゃないらしい。完徹とかしたことないから知らなかったけど。


「で、何か知ってるかい?」


 何とかして説明に戻そうと、零れた言葉は「もし」だった。「もし」何?何も考えてないよ?何とかして絞り出さねば。

「もし、アリスが、協力を拒んだら、どうするんだ?」

「拒む?ああ、確かにその可能性はあるね」

 少し訝しげな表情をしているところが気になったけど、納得はしてくれた。が、少しも考えずに、怖いくらいの無表情でこちらを見てきた。

「まぁ、協力するように仕向けるだろうな」

「し、仕向ける?」

「軟禁・監禁は、どちらの王も十八番だ。アリスの精神力がどんなものか知らないけど、『何をしてでも』力を使わせると思うね」

 い、言わなくてよかった・・・。そうほっとしたのも束の間。今まで修正能力と思い込んできたが、服部は頭の回転が速いほうのようだ。

「なぜ、君がそんなことを気にする?」


 ・・・墓穴を掘るって、こういうことか?


 いや、学習している場合じゃない。何とかして誤魔化さなきゃならないんだって。えーっと、えーっと・・・

「や、た、ただの興味さ」

 感染うつった。こいつの言葉遣いとか、考えが、まるまんま感染った回答じゃないか!バレるぞ、バレるぞ流石に!心臓がバクバクいってるのが解る。ってか聞こえてくる。血管に異常に血が巡ってるんだな、きっと。

 胡乱気うろんげに俺の事を観察してきたが、ふうと息をつくと、くるりと方向転換をして肩をすくめた。

「や、解らんね。やっぱり、非能力者の考えは解らない」

 た、助かった。思わず左胸を押さえると、オマケで勢いよく口から空気が抜けた。

「で、情報を持っているのかい、いないのかい?」

 助かってないじゃん!そうだよ、どうしようどうしよう。

 頭の中でフルスピードのシュミレーションを行う。

 もし俺がアリスだと名乗った場合。きっとすぐに城に連行されて、檻の中に突っ込まれるんだろうな。それは避けたい。

 もし俺がアリスだと言うことを隠しつつ、情報を提供した場合・・・なんて無理だ。俺にそんな器用なことは出来ない。そんなに賢い真似も出来ない。


 やっぱり駄目だ。もうこれしかない。


 俺はガリガリと頭を掻いて、そのままホールドアップする。

「悪いが、何の情報も持ってない。正直、今初めて知ったくらいの情報量だ」

 やばい。ちょっと演劇調になり過ぎた。冷や汗やばい。これくらいサラッと出来てくれよ俺!何処まで何も出来ないんだ俺!

 目が泳いでるので、不審に思ったのだろう。しかしすぐに服部は嘆息する。

「そんなに怯えるな。知らないのなら『知らない』ということが情報だと言ったろう」

 服部の優しさに感謝!良かった!男同士なら信じてくれるって信じてたぞ!いや、騙してるわけなんだけどさ!

 再び帽子を脱ぐと、彼は何かをこちらに放ってきた。何とか受け取ってそれを見ると、それは一枚のクッキーだった。そういや羊元が白の騎士からもらってたな。定番菓子なのか?

 目的も意味も解らずに固まっていると、服部が指を差しながら教えてくれた。

「早くトーヴにやりなよ」

「え?」

「・・・君はどこまでも常識の欠けた人だね」

 ごめんなさい。でも「常識が欠けている」んじゃなくて、「常識が違う」だけなんだって。俺だって日本の常識くらいは持ってるんだって!

 瓶のフタを開けると、中でトーヴが跳ね回った。なんて言うんだろう。なんか、ネズミとか、アナグマとか、そういう「生き物」よりも、毛糸屑が瓶の中で揺らめいてるように見える。

 クッキー、このままあげてもいいのか?いや、でも・・・。

 なんか、かわいそうだ。

 手を添えてから、瓶を逆さまにすると、毛糸屑はころりと落ちてきた。ちょこちょこと手のひらを動き回る感触がくすぐったい。

 このままでは大きいだろうと思い、クッキーを砕こうとトーヴの乗る手に近付けると、トーヴが興味を示した。本物の毛糸屑ではなかなか見られない、すっと立った姿勢だ。

「わ、ちょっと待てって」

「平気だろう。トーヴも肉食だ」

 肉食だから何だ。こんな大きいものは食べれないだろ。奥で笑いを堪えている状態の服部の言うことは、よく解らない。しかもボロが出るかもしれないと思うと、下手に聞けない。追い詰められてるなぁ、俺。

 結局砕く暇もなく、手のひらで毛糸屑がもしゃもしゃとクッキーを食べ始めた。動物好きなら「かわいい!」と悶えるのかもしれないけど、俺にはクッキーに糸屑がぶら下がっているようにしか見えない。いや、動物が嫌いなわけでは決してないんだけど。

 少し手が疲れてきたので、そのまま腿の上に移して、手を後ろに着いた。そう言えば。

「なあ、服部」

 返事がない。寝たのか?また寝ちまったのか?寝るなら寝るって言ってくれよ?

 やっぱり返事がない。やっぱり寝たのか。

「なんだね?用がないなら寝るよ」

 起きてたの?なら返事しろよ!

「本当に戦争が起きてるのか?」

 公爵夫人の武器庫も見たし、粉っぽい血が地面に残っているのも見た。シープ&ゴートでは、軽く戦闘もした。でも、イメージしていた戦争とは違う。飛行機も飛んでいないし、柳崎だって軍隊は連れていたものの、戦車は使っていなかった。それに、怪我人もほとんど見てない。目の前にいる服部も愛川も、何の武器も持っていないように見える。

「ま、無所属の非能なら、抱いて当然の感想かもね」

 伸びをしながら、彼が答えた時だった。


 ガサッ


 物音がした。服部が今までののんびりさからは考えられない俊敏な反応でそちらを見る。その手には、今まで持ち歩いていたステッキが握られていた。もしかして実は剣だとか、そういうカッコイイ感じなのか?愛川は未だ爆睡中で起きる気配はない。スタイル良くて、絵に描いたような美少女が、ミニスカ・ハイソの組み合わせで無防備に寝てるのに、色気も何もないってのは、ある意味凄いことだろう。

「誰だね?」

 服部が尋ねるが、姿を現さない。あれじゃね?なんか獣系じゃない?鹿とかウサギとか熊とか・・・。や、熊は困るけど。

「今は休戦中のはずなのだがね」

 悠長にそう言いながら、ステッキを構えた。でも、剣の構えじゃない。あれってもしかして・・・


 ドドドドドドドッ


 ステッキの先から勢いよく弾丸が飛び出した。どういう仕組みなのかさっぱり解らないけど、あれは銃だったんだ。聞き慣れない爆音に耳を塞いで目を瞑る。びっくりしたのか、腿の上にあった糸くず…じゃなくて、トーヴが姿を消してしまった。風に飛ばされたわけでは…たぶんない、だろう、きっと。

 空はまだ深緑色だ。つまり夜中ってことである。夜は休戦協定があると聞いていた。眠るため、というのが第一らしい。が、なぜか今日の俺は夜中に目を覚ましたまま銃声を聞いている。


可笑しくない?


「ちょ、ちょっと待って下さいって!」

 銃弾を避けて転がり出てきたのは、一人の少年だった。濃いピンクの、ぼさぼさの頭が目立つ。鷲尾よりも輝いた黄色の瞳が印象的だ。なんかぶかっとした格好で、なんというか、漫画やアニメから飛び出してきたみたいな恰好をしてる。フードが膨らんでいることから、さっきまで被っていたんだろうなと思う。

 少年の姿を見るなり、服部は大きく息を吐いた。

「なんだ、打海うつみか」

 服部が向きを変えると、打海と呼ばれた彼は、体勢を直して服に着いた赤い芝のような葉をパンパンと落とす。それからなぜか、俺の方をじっと見てきた。


 何だ?


 再び服部がこちらを向くと、彼は視線を元に戻した。


 ・・・何なんだ?


 フードをかぶり直した彼は、へらへらと笑っている。フードにタートルネックって、結構顔が隠れるんだな。

「で、君が来るなんて珍しいね」

「帽子屋が三月ウサギ、眠り鼠以外を連れて歩いている方が珍しいっしょ」

 言い返せなくなったのか、服部は口をつぐんだ。相当閉鎖的な友好幅なんだな、三人は。狭く深くの交友関係の否定はしないけど、契約社会のここにおいては、なかなか珍しいタイプなんじゃないか?

 杖の先っぽから出た硝煙をかき消すように、ぶんぶんとステッキを逆さにして振る。顔をしかめていることから、どうにも硝煙の匂いが嫌いらしい。戦争社会において、それもどうなのよ?

 そこで思い留めたはずだったが、俺の口はたまに言うことをきかなくなる。

「・・・あんた、変わり者だって言われない?」

 やっべ!言っちゃったよ!思わずポロリとこぼれ出たよ、超失礼な言葉が!絶対気ぃ悪くしてる、絶対撃たれる!

 ・・・かと思いきや、服部が驚いて顔でこちらを見ており、打海が腹を抱えて隣でゴロゴロと転がり出した。こいつも笑い上戸か!

「そりゃそうですよ!イカレ帽子屋って言われているくらいですからね!」

 打海はたまに丁寧語になるらしい。それはともかくとして、イカレ帽子屋って酷い言われようだな。


 ・・・あれ?


 ふと、頭の中を幼いころの記憶がよぎる。イカレ帽子屋って、何かにいなかったか?考えてみればそうだ。三月ウサギも眠り鼠も聞いたことがある。なんだっけ、何の作品だっけ?

 うんうんと唸りだした俺に、服部がステッキを突きつけてきた。あ、やっぱり怒ってるんだ。

「君も大概イカレてるだろう。常識知らずも酷いところだ」

 それはバカって言わないか?

「イカレちゃいないでしょう、帽子屋がイカレてるって解ったんだから」

 打海、そのフォローもどうかと思う。そして体勢を直せ。

 蘇りかけた記憶を何とか呼び戻そうと奮闘する。その横で打海がぴょんと立ち上がった。その動作は何人か見ているけれど、彼の動きが一番身軽に見える。

「じゃ、自己紹介が必要っすね」

 後にしてくれ。そう言う前に、彼が俺に握手を求めながらこう言った。

「『チェシャ猫』の打海笑太しょうた です。以後、お見知りおきを」

 その一言で一瞬にして理解する。

 不思議の国のアリスだ。小さいころ、あの鼠が有名な米国企業のアニメで見た記憶がある。物語自体はほとんど覚えてないけど、とにかく女の子が異世界に行ってなんかする話だ。確か夢落ちだったと思うけど、今の俺も同じ状況ってこと?考えれば俺の力の名前もアリスだった。ついでに俺の名前も有須だけど、まあそこは置いておこう。

 でも、あれにグリフォンだとか、売り子だとか、ましてやドラゴンなんて出てきたっけか?メイドだって記憶にないんだけど。

 握手を交わそうかというところで、思い出したように、服部が再びステッキ型の銃を向けた。

「非能相手に、何を考えてるのか分からないけれど、まぁいいや。チェシャ猫ならアリスの居場所、知ってるでしょ?」

 穏やかな口調とやっていることに差があり過ぎる。ってか、戦争嫌いとか、硝煙苦手とか、平和っぽいこと言っときながら、すぐに銃を突きつけるなよ!

 けどその前に。

「なんでチェシャ猫がその・・・アリスの居場所を知ってるんだ?」

「それは・・・」と言いかけた服部の口を、打海が銃のステッキを弾いてから、わざわざ両手で塞いだ。そのままこちらに振り返り、元々の裏のありそうな笑みとは違う、まざまざとした作りました感のある笑みを向けてきた。胡散臭いとはいえ、作り笑いが得意そうなヤツなのにな。

「か、勘ですよ、勘!おいらは勘が冴えてる方でしてね」

「ああ、能力じゃないのか」

 この世界で何か特殊なことがあると、かなりの確実で能力だって言われるもんな。

 打海の手をはたき落した服部が、彼の事を睨んだ。俺だったら凍りつく表情だけど、打海はへらりと笑う。

「非能においらの情報、あんまり流さないでくれない?」

「あれを隠す気があったとは、驚きだ」

「恥じらいってもんがあるんでね、一応」

 にゃははと笑うところが猫っぽい。

ただその会話、非能扱い中の俺の前で堂々としていいもんじゃねぇよな?

もっとこそこそやるべき会話だよな?

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