第3話 公爵夫人の家へ(2)

 とにかく、こういうときはばれる前に用件を済ませるに限る。俺は痛い全身に鞭打って、何とか立ち上がった。


 鷲尾のカギは何処にある?引き出しか?


 そう考えて周りに目を向けた瞬間、俺は固まった。

 対立してるっていう話は聞いてた。なんか、赤だったか白だったかが。でもそれは思想的対立とか参議院衆議院みたいなものだと思ってた。でも。

 今俺の目の前に並んでいるのは、大型の銃だとか研ぎ澄まされた太剣だとか、「人を殺すための道具」が陳列していたのだ。それも、部屋一面に。

 俺は思わず腰を抜かした。本とかで見たことあるし、ファンタジー小説も大好きだ。だからこういうものは知ってるし、怖いと思ったこともない。

 でも、本物は違う。威圧感があるし、何よりも、これによって自分の命が絶たれるかもしれないという恐怖心があふれる。いや、自分の命じゃない。誰かの命をこれらが奪ってきたのではないかと恐怖が募るのだ。


 ふと視界に鍵が入った。違和感を抱くほど、巨大なカギだ。でもあの鍵さえ手に入れば、俺はここから出れるかもしれない。それなら、すぐにでもあれを手に入れたい。

 俺は気合を入れ直して、鍵をフックから外した。乱暴に扱うと上に置いてあるだけの剣が落ちてきそうだったけど、そんなのを考えてる余裕なんてない。鍵を小脇に抱えて、行きと同じ要領で窓から出る。着地するときにベストも回収した。

 鍵を丸出しで持ち歩くのも何なので、ベストで鍵を包んだ。大きい印象の強かった鍵だが、胴長の俺のベストで裕に包める程度である。

 心臓に慣れない負担がかかったので、手足が尋常じゃなく震える。俺はとんでもない世界に迷い込んだのかもしれない。鷲尾に確認を取るまで信じたくはないが。


 正体の分からなくなった鍵を抱えて再び走り出そうとしたとき、目の前から声がかかった。

「あなたは亀まがいではないですね?」

 顔を上げると、あのメイド服が目の前にいた。全然気が付かなかった。俺がしゃがんでいるせいもあってスカートの中が見えそうだったが、何段にも重なっているフリルのおかげで見えないようになっている。いや、俺だってスカートの中が見たいわけじゃないけどさ、この状況で。

 見つかったことに気まずさを感じながら、とにかく今は返すべきだと判断する。

「・・・そうっすね。亀まがいさんではないかと・・・」

「ならば答えは簡単。武器泥棒として、制裁いたします」

 は?武器泥棒?制裁?え?

 状況のつかめない俺を無視して、メイド服は巨大なスプーンを振り回し始めた。はっとその意味を理解した瞬間、とっさに転がって避ける。スプーンが叩きつけられた俺が元々いた場所は、大きく陥没した。人間に当たって生きていられるような破壊力じゃない。スプーンで力の限りに潰されるジャガイモが頭を過ぎった。

 メイド服は再びスプーンを持ち上げると、俺に向かってまた打ってくる。必死になった俺は、鍵を抱えて低木を飛び越えた。そのまま両手を使わない首に負担のかかる前転で体勢を直し、ばっと走り出す。

 彼女はスプーンを持ち上げる際、結構よっこいしょって感じだった。だから、きっとあれを持って速く走ることはできないはずだ。あれを持ち上げられているというのは少し驚きだけど。

 森は走り慣れない。だからどうにも速度が遅くなる。いや、きっと道じゃなくて、この巨大な鍵のせいだな。行きはこんなに大変じゃなかった。

 ふと、影が俺の上をよぎった。鳥にしては妙に巨大な気が・・・。違和感に俺が足を止めると、もしこのまま走っていたら、そこにいたであろう場所に、どすんと何かが降ってきた。地面がボコッとへこみ、降ってきたそれはゆらりと立ち上がる。


 それはあの、メイド服だった。


 絶対に足がどうにかなってんだろ!って感じだけど、当のメイド服は全然痛そうじゃなさそうで、それどころか立ち上がってすぐに臨戦態勢に入った。俺的には足を押さえてうずくまってほしかったところなんだけど・・・

「逃がしません」

 逃がしてくれ!

 声こそ出なかったものの、驚愕の速さでその反応ができた自分を褒めたい。そんなに会話も得意じゃないし、機転も利かないのに。

 森の中に逃げたのは当たりだったかもしれない。メイド服の猛攻を、俺はと言うと戦闘マンガみたいに軽やかに避けられず、スプーンが木にぶつかって止まってくれるおかげで回避できてるようなもんだったからだ。

 とはいえ、やっぱり逃げ切るには森はきつい。道路が整備されていることにここまで感謝の念を抱いたことはない。

「ちょこまかと動きますね!」

 そりゃ逃げるって。俺だって死にたくねぇもん!

 闇雲に走っていたら、間違って空間の開いた所に出てしまった。マズッた!と思った時にはもう遅く、引き返す先にはメイド服がいて、その他に森に逃げ込むにもその道は遠い。というか、メイド服から逃げ切れる自信がない。

「もう終わりです。観念なさい」

 そういって、黄色の空にメイド服がスプーンを振るう。俺は思わず振り返ったのだが、その拍子にどすんと尻もちをついてしまった。しかも腰が抜けるという始末。情けないったらない。

「ちょっ・・・ちょっとたんま!」

 つい口から出た言葉だった。もちろん期待もしてなかった。でもなぜか、彼女は動きを止めた。スプーンを、ハンマーよろしく大きく振りかぶったその姿で。

 怖いからちょっと格好を変えてほしいなぁと思うのだが、そんな願いは届かない。メイド服はその格好のまま、俺に尋ねてきた。

「・・・それは、どういう意味ですか?」

 意味が伝わってなかった。答え方次第でせっかく止まってくれているこの状況が、動き出すんじゃねぇの?迂闊には答えられねぇよな・・・


 思わず「そんなことより」と、俺は話をそらしてしまった。メイド服がピクリと動く。いちいち心臓に悪い!

「俺なんかに構ってていいのか?」

「よそ者を排除するのも従者の仕事です」

 メイド服はドスンと、巨大なスプーンを下した。ほんと、よく持って歩けるよな。っていうか、さっきこれ持ってものすごいジャンプを決めてなかったか?

 話を聞いてくれる体になったメイド服に、俺は自分の仮説をぶつけてみる。

「公爵夫人が帰ってくるときに、迎えがいないとダメなんじゃねぇの?」

 するとメイド服が再びスプーンを持ち上げた。

「心配には及びません」

 外した。

「ちょっ!それに!俺追っかけてて本物の亀まがいが侵入してきたらどうすんだよ!」

 するとメイド服の動きがまた止まった。動く時と言い、固まる時と言い、本当にロボットみたいで気味が悪い。重たいとしても、大股開きで匙を構える姿も喜ばしくない。いや、「スプーンを構えている」というのは喜ばしくないとかそういうレベルじゃないんだけど。

 ショートしたのか?メイド服は全く動かなくなった。足腰に感覚が戻ってきて、そろそろ立てそうだ。逃げるなら今だ。

 けど、世の中そんなに甘くないらしい。メイド服は少しだけ下がってしまったスプーンをもう一度持ち上げた。

「あなたが鍵を盗んだ以上、亀まがいは来ません」

「それは違うだろ」

 妙に冷静になって訂正してしまった。逃げる隙を生みだすことが不可能じゃないと余裕ができたせいだろう。俺も驚き。

 ぽかんとした顔の彼女に、俺は思い付きを並べ立てる。

「俺は亀まがいと知り合いじゃないし、だったら亀まがいはまだ鍵は家にあると思ってんじゃねぇの?」

「・・・・・・」

 沈黙が怖い。

「それは・・・そうですね」

 よし!もうちょっとだ。

「だろ?だったら俺なんかより、亀まがいを待った方が『忠実』なんじゃねぇの?」

「・・・・・・」

 沈黙が取れないまま、十分くらい経った。いや、体感時間で。たぶん現実的には二分も経ってないと思う。そろそろと後退し、ゆっくりと立ち上がると、俺がもともといた斜め下を見たまま固まっていたメイド服が、おもむろに顔をあげて俺を見た。恐怖でドキッとする。

「私は従者です。『忠実』であるべきです。それにあなたの言い分は、確かです」

 ・・・それはつまり?

 メイド服はドスンと匙を地面に立てると、なぜか俺に一礼した。

「失礼します」

 彼女は個性的な武器を持つと、たった一蹴りで俺の前から姿を消した。最後までなんとも機械じみている。それにものすごい跳躍力だ。たぶん彼女の能力ってやつだろう。でもその能力なら、スカートはアウトじゃね?

 ぽかんと固まっていた俺はふと我に返り、いろいろな目に会いながらも決して離さなかった鍵を抱え直した。人間、必死な時は意外と落とさないものだ。

 青色の葉を見ながら、俺は鷲尾の元に向かって走り始めた。


∴∵∴∵∴∵


 やっぱり駄目だ、たどり着かない。何処を歩いても同じに見える。同じところをぐるぐると回ってしまっている気がしてならない。まっすぐ歩いてるのに。

 いや、観念しよう。迷ったのだ。

 逃げ回っているときは意識していないくらい軽かった鍵も、今になってはもう重たくてしょうがない。どっかにおきたいけど、それじゃ帰れないし・・・

 あれ?ポケットで何かが動いた。なんだ?なんか虫でも入ったか?ワイシャツが上に出てるはずなのに。

 ポケットを探ると、金具の手触りについで、ふさっとした感触がある。そこでふと思い出した。RPGバリの超便利アイテムがあったじゃないか。

 ぐいぐいと動くそれを引っ掴んで取り出す。見てみれば働く気満々だった。これがあれば鷲尾の元に辿り着けるのだと、本人が言っていたけど、正直半信半疑だ。いや、本当に正直に言うと、二十パーセントも信用してない。でも今はこれしか頼みの綱がない。藁にもすがる思いだ。縋りつこうと思っているそれは、藁よりも頼りないたった一枚の羽根だけど。

 それでもこいつはこんなに働く気でいる。だったら頼んでみるのもアリじゃないか。

「よし!頑張ってくれよ、鷲尾の羽根!」

 すると羽根の付け根がにょろりと伸びて、人差し指に絡みついてきた。そのままぐいぐいと俺を引っ張る。直後、自分が油断していたことを思い知った。

 ものすごいスピードで引っ張るのである。

 草原のうちはよかったのだが、森の中に入っても同じ速度だった。当然と言えば当然なのだけれど、さっきっから言っている通り、森の中を走るなんて不慣れ極まりないのだ。だから、体の至るところを木々に打ちつけられるという酷い目にあった。ぶつかった拍子に鍵を落とさないように、必死にさせられた。


「おお、帰ってきたか!」

 ボロボロになった俺を、暇そうに座り込んでいた鷲尾が迎えてくれた。羽根は俺の指から離れ、鷲尾のもとに戻っていく。「ほめて」と言わんばかりに鷲尾の周りをくるくる回るそれは、まるで帰巣本能を働かせて家に帰ってきた犬のようだ。いや、そんな犬見たことも聞いたこともないんだけど。鷲尾は羽根を労ってから、俺を見た。満身創痍な俺の姿を見て、

「・・・なんか、大変だったんだな」

「どっちかと言うと、あんたのその羽根の方が俺をボロくしてくれたよ!」

 必死の俺の訴えに、鷲尾は爆笑と言う非常に不快な返しをした。なぜだろう。こいつの清々しさが、たまに俺の癇に障る。

 鷲尾は俺をじろじろと見ると、可愛くもない「小首を傾げる」という動作をした。いい歳した男がやる動作じゃねぇよ。すっげぇ苦労した上にボロボロにされて、しかもそれを笑われて、もうこいつなんかに使う優しさは残ってない。

 不機嫌な俺に気付きもせず、鷲尾が口を開いた。

「鍵は?」

 とっことん自分か、このやろう!俺は今まで大切に扱ってきた鍵を、思いっきり地面に叩きつける。ベストで包まれてるから壊れる心配はないだろう。っていうか、この鍵は包まれてなくたって、そんな柔じゃないと思う。

「この通り!きちんとお持ち参じましたよっ!」

「お・・・おう。なんか怖ぇな」

 やっと俺の怒りを感知した鷲尾は、恐る恐るベストに手を伸ばした。しばしベストと格闘したのち、鷲尾は鍵を手に入れる。

「おお!間違いない、これだよ、これ!」

 テンションが上がるあまり、彼は鍵を黄色の天に掲げて、その場でくるくると回った。古ぼけた巨大な鍵が、自由の象徴なのだから仕方ないか。

 鷲尾は近くに鍵を突き刺し、鎖を手繰り寄せる。地面にだらだらと伸びていた鎖がまっすぐになり、鷲尾の手元に蝶番が届いた。

 俺はその間、何もすることがなくて近くに座り込んでいた。ないとは思うけど、こいつの話した「提供」だの何だのの話が嘘かもしれない。もしそうなら、こいつは鎖から解放された途端に逃げるんだろう。そんな事態、あってはならない。自分の疑い深さを思い知るが、まあ警戒心が強いのはやむを得ない。っていうか、現状に至っては褒められるべきところだろう。

 鍵穴と格闘する鷲尾を見ながら、俺は一つの事を思い出す。

「そう言えば、お前の友達って、亀まがいっていうのか?」


 ガシャーン


「いった!」

 別に何処にも行ってない。蝶番を足の上に落とした鷲尾の口から、ただ洩れた言葉だ。痛いってことでいいんだと思う。

 鷲尾は自分の足を押さえながら、俺の方を見てきた。

「なんで知ってるんだ?」

「メイド服と燕尾服が話してるのを聞いた」

 結構普通に言ったつもりだったのだけれど、鷲尾の目が面白いぐらい見開かれた。口もあんぐりと開かれる。

川澄かわすみ宇尾うおに会ったのか?」

「いや…名前は知らないけど」

「あと盗み聞いただけだ」という俺の言葉は、鷲尾の耳に届いたか解らない。ただ俺は、鷲尾の予想を上回った活躍が出来たらしい。期待外れという言葉なら嫌というほど言われてきた俺にとって、それはなんだかこしょばゆい気がする。

 あまりに長い間鷲尾が感心しているので、俺は恥ずかしくなった。鷲尾が苦戦していた鍵を、彼の隣に落ちていた南京錠に差し込む。

「お」と鷲尾が声を出したかと思うと、ガチャリと錠前が外れた。南京錠と同じくらい巨大な鎖をはずし、パンパンと手をはたく。

「よし」

 条件を果たしたからには、約束は守ってもらわねば。俺が鷲尾の方を見ると、彼は首輪に残った鎖を、また天に掲げていた。嬉しい時の彼の癖のようだ。全身で喜びを表現しているとも言える。

 鷲尾はくるりといきなり振り返ると、鎖を手放して俺の手をつかんできた。鎖が勢いよく垂れて、首に結構負荷がかかりそうだが、鷲尾は平然としている。

「ありがとなっ、アリス!」

 だからアクセントが違う!

 くどくど繰り返すのもうざいので言わないけど、一度言われたら少しは気を遣えよ。しかも男に手を握られても気持ち悪いだけでうれしくない!

 我慢の限界に達して、俺は思わず鷲尾の手を振り払った。しかし鷲尾は傷つくそぶりを微塵も見せず、むしろより楽しそうに口を開いた。

「さ、今度はオレの番だな!任せておけ」


 にっこりと屈託なく笑う鷲尾は、なんとなく、信頼していい気がした。

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