第2話 グリフォンの条件
胡坐をかいていた俺の視線に合わせてしゃがんでいた彼がすっと立ち上がると、俺より十センチくらい大きかった。相手の方が年齢が上なので、当然と言やぁ当然なのだが、男としては少し悔しい。彼は子供を褒めるように、ぐりぐりと俺の頭を撫でた。
「じゃあさっそく」
「ちょっと待て」
浮かれまくる彼に、俺は手を振り払って抵抗した。彼はすぐさましゅんとなり、さっと青ざめる。
「なんか条件に不都合があったか?承諾したんじゃなかったのか?」
この男、頭がいいのか悪いのかわからない。さっきは俺が異世界に来たということをすらすら説明してみせたくせに、相当逃げたいのか今は頭が全く回っていないようだ。ため息をついてから、子供扱いされた腹いせに、今度は俺が子供に諭すように彼に言う。
「俺は異世界人だろ?」
「ああ。それはさっきお前が信じなかったことだろ?」
「そうだな」と相槌を打ってから、俺は勝ち誇ったように言う。
「この世界の常識も非常識も俺は知らない。俺の常識通りに動いて、この世界では大丈夫なのか?」
言った後、自分の情けなさに気付いた。こんな言葉、脅しにもならなきゃ、威張れるもんでもないじゃないか。恥ずかしすぎる。無知を自慢するほど愚かしいことはないだろ、俺!
頭を抱えてもだえ打つ俺を無視して、彼はハッとした顔になる。いまさら気付いたらしい。と思ったら、いきなりドカリと座りだした。せっかく背が高いのにもったいないと思ってしまう。俺だってその身長はほしいのに。
「んじゃ、なんか質問あったらしてきていいぞ」
「は?」
なぜか上から目線だった。年齢も身長も上だからって、頼みごとした相手にミッション成功への最低知識も与えずに遣わす方がおかしいじゃないか。もうこんなやつ無視してやろうかと、すこし蔑んだ目を向けた時、それを察した彼が慌てて付け加える。
「いやいや、わかんないんだって、オレも」
「わかんない?」
すると彼は肘をついて俺を見る。
「お前がこっちの世界の常識を知らないように、オレもお前の世界の常識を知らない。だから、何が違うのかわかんねぇのよ」
言われてみればそうだ。異文化理解の話を持ち出してみたって、相手の常識と自分の常識の何が違うのか、体験してみないとわからない。そして今両方の常識を体験しているのは俺だけで、この男は全然知らないんだった。それじゃあ聞かれない限り、解ることはない。
でもそこでふと思った。待てよ?俺はこの世界の説明を受けることは、「ミッション成功への最低知識」と考えていた。それが俺の常識だから。でも俺のわずかなこの世界の知識では、これも交換条件になるんじゃないだろうか?俺は恐る恐る聞いてみる。
「・・・もしかして、これも交換条件になるのか?」
「え?一つ目の質問それ?」
ぽかんとした顔をされた。俺は結構真面目に聞いたのに。それから彼は不機嫌になる。会ってから初めて見る表情だ。
「そんなケチじゃねぇよ。これはあくまでも必要最低知識の一つだ」
どうやら同じ考えだったらしい。とはいえ、結局交換とかさっき彼が零した従属?とか、その辺はいまいち掴めていないことが実感できた。それをそのまま伝えると、彼はなるほどと驚く。それからまた近場にあった枝を拾って、がりがりと何かを書き始めた。右の方にA、左の方にBとある。その間に、AからBへ、BからAへと進む二本の矢印。いったい何なんだろう?
「なんだ?それ」
「ちょっと待てって」
急かされた彼は、その図の上に「A=B」と書いた。
「えーっと・・・」と続いた彼の説明はこうである。
AとBが対等な関係の場合、Aに何かをしてもらうためには、Bも何かをしてあげなければならない。しかしそれはA、あるいはBの提示した条件に則ったものであり、必ずしもA・Bに対してのアクションとは限らないらしい。これを交換ではなく、「契約」と言うそうだ。ここで注意しなければならないのは、条件まで対等とは限らないということ。しかも、契約破棄は不可能だそうだ。しかし、条件承諾の前に条件の全件提示もまた義務であり、もし一部でも隠していた場合のみ、契約破棄が認められる。
そこまで話してから、彼は「BからA」の矢印を消して、上の「A=B」の「=」を「>」に書き換えた。
その続きはこうだ。
AがBに仕えている場合というのがこの世界にはある。この場合の時、BはAに無償で手を貸すことができ、条件も発生しない。つまり、Aのためになることならば、Bは何をしてもいいということだ。この関係を「従属」と言い、AのためにBが行うことを「提供」と言う。しかしもしBが他者と契約した場合は、提供よりも契約を優先しなければならないそうだ。また、AからBへの提供はなく、許されているのは「罰」だけだという。ちなみに契約と違って、従属の掛け持ちは禁止らしい。
それ以上も何だとか言っていたが、もう俺の一度に覚えられる許容範囲を超えてしまった。
「あー、駄目だ。もう頭壊れる」
「え?頭って壊れるのか?」
この表現はこの世界では使われないようだ。俺は「破裂はしないから大丈夫」と一応伝えておく。すると彼は安堵の息を吐いた。迂闊な発言ができないじゃないか。
確認と整理の時間を少しもらってから、次の質問に移る。
「で、能力ってのは?」
「能力?」
「言ってたじゃないか。俺が『アリス』の能力の持ち主だって」
それで彼は思い出したらしい。少し考えてから、たどたどしく言った。会話を続けて行くとかなり長くなるので、説明だけ書かせてもらう。
まずこの世界には「能力」というものがある。能力ってのは、様々な条件はあるものの、要は超能力の事らしい。この世界の全ての人が持っているわけでもなく、それどころか数えるほどしかもっていないらしい。能力者には、同じく役職持ちの人達の容姿や能力の情報が何処からか発信されてくるのだそうで、おかげで誰が何の能力を持っているのかバレバレなんだとか。プライバシー無いよなぁ。
「それって、メールとかで来んの?」
「めーる?なんだそれ?」
判明。この世界にメールはないらしい。詳しく聞くと彼はまた頭を悩ませてから、とても抽象的に言った。
「こう・・・頭に流れてくんだよ。写真?みたいなのが・・・」
よくはわかっていなかったのだが、とりあえず電波的なものらしい。どうせ異世界なわけだし、仕組みを事細かに聞いたところで通じない理論を理解できると思えないしな。それでも俺はふと気付いた。
「そうか、だから俺がアリスだって解ったんだな」
「おうよ」
さっと理解できたことが自分で嬉しくて、ついそう言ったのだが、彼はさらりと肯定した。肯定を受けてから、俺はハッとする。
「・・・あんた、役職持ちなのか?」
「え?あ、そっか。アリスは知らないんだもんなぁ」
そう言うと彼はすくっと立った。そして俺を見下ろしながら、自分を指す。
「オレはグリフォンの力を持ってるんだ。俺しか俺の友達のところに行けない理由はそこにある」
グリフォンと言えば、あの半鷲半獅子の架空の生物だ。想像力の貧相な俺にとってはなんだかカッコいいイメージがあって、こいつと見比べてつい納得してしまった。グリフォンに負けたのなら、俺もいろいろ諦められる。
「で、グリフォンの能力ってどんなのなんだ?」
俺のその質問が妙に嬉しかったようで、ふっふっふっと含み笑いを浮かべた。
「ひ・み・つ」
溜めといてそれかよ!しかも男の俺が男にそう言われても、嬉しくない。そっちの気もないし。
これ以上何も質問が浮かんで来ないので、また思いついた時にいろいろ教えてくれるということで一件落着した。ふとそこで思い返す。
「あ、そういえば、あんた、名前は?」
「あ、そっか。知らないんだったな」
どうやら役職持ちは名前まで情報が筒抜けらしい。すごい話だ。ほんと個人情報保護法とか、やっぱり異世界だとないもんなんだな。
彼はいつでも説明を書けるようにと持っていた枝を、くるくると回しながら自己紹介をした。
「オレは
「そっか、俺は有須だ」
思わず俺は自分まで自己紹介をしてしまった。「あ」と思った時にはもう遅く、鷲尾にはケタケタと笑い転げられる。最悪だ。涙を拭きながら、彼はくそ丁寧に続けてくれた。
「聞いたよ」
恥ずかしくなって、八つ当たりをする。
「で、名前は?なんなんだよ」
すると、鷲尾の顔色が変わる。険しい顔になり、ぎゅっと真ん中に摘まんだように変化した。それから頭をぽりぽり掻いて、大声で叫ぶ。
「いいだろ、呼び名には困らねぇんだからッ!お前だって名乗ってないじゃんかぁ!」
俺は目をちかちかさせて、思わず耳を塞いだ。どうやら名前にコンプレックスでもあるようだ。もうこの話題に触れない方がいいかもしれない。
解ったと言って彼をなんとか宥める。とても年上だと思えない。こんな大の男が騒ぐなんて。逆にどんな名前なのか、そんなに嫌がられたら気になるけどな。
落ち着いた彼から、一体俺は彼を逃がすために何をすればいいのかを尋ねると、鷲尾は肩で息をしながら説明した。
要約すると、この鎖を杭に繋ぎとめている巨大な南京錠を解錠してくれればいいとのことだった。鷲尾が持ち上げた鎖を追っていくと、その先には確かに両手で持たないと重たくて持ち上がらなさそうなビックサイズの蝶番の姿が見える。それに見合ったサイズの鍵穴から、鍵の大きさを知った。持って走るのはなかなか大変そうだ。
「で、その鍵ってのは何処にあるんだ?」
「公爵夫人の家だ」
「公爵夫人?」
なんだか偉そうなおばさんを想像する。借りるためには説得をしなければならないのだろうし、その際に鷲尾の名前を出すこともダメだろう。鷲尾を逃がすことがばれたら、それこそ俺も捕まっちゃうかもしれない。自慢じゃないけど、俺には説得力ってもんが備わっていない。小学校のころに仲の良かった「そう君」にも、よく丸めこまれていた記憶がある。喧嘩して、彼に口で勝った例がなかった。
不安を隠すことも出来ず、俺がそれを伝えると、彼に呆れられてしまった。
「お前、公爵夫人を説得するなんて、誰だって無理だよ」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「盗み出す」
犯罪だ。それはまごうことなき犯罪だ。しかもきっと、盗難罪とかのレベルじゃなくて、不法侵入を含む犯罪だ。思わず怒鳴りつけてしまった。
「犯罪じゃねぇか!」
「犯罪じゃないだろ。契約破棄でも従属放棄でもないんだから」
熱くなった俺を冷やすように、冷静に訂正してきた。どうやらこの世界でも犯罪とは、その二つの事だけを指すようだ。住居侵入が犯罪じゃないなんて、俺の感覚では無法地帯に近い。いや、そんなことを犯罪する奴の方が少ないのか?でもこいつがすぐそれを口にしたということは、やっぱり考えとしては珍しいものではないはずだ。それとも、本当に切羽詰まっているから、出てきた発想なのか?だとしたら、なんと理性と言うか、道徳観の浸透した世界なんだか。
そんなふうにいろいろ考えていると、鷲尾が俺を覗き込んできた。
「なんか難しいこといろいろ考えてるみたいだけど、どうした?」
「いや、住居侵入罪がないなんてと思って」
よく解らなかったのか、鷲尾は頬をぽりぽりと掻いた。
「ま、こっちじゃ『住居』を持っている人の方が、珍しいくらいだしなぁ」
まさかのホームレスだった。確かに家がなければ、住居侵入罪は成立しない。詳しく聞くと、ホームポイントが数か所あるというのが通常らしいが、別に家具だとかそういうものもないそうだ。なんとも野性的…
しかし。俺は鷲尾を観察した。鞄の一つも持っていないし、身一つでふらふらと徘徊しているのだろうか?飯とかいろいろどうすんだろう。もしかして、果実が何処にでもあるとか?ぱっと空を見たが、真っ白い木には青色の葉っぱしか付いていなくて、何色かも想像できない木の実の姿は見つからなかった。
「あ」
俺が変な行動をしている間に、鷲尾がこぼした。見てみると、ポケットをごそごそと漁っている。それから「ほれ」と俺に何かを差し出してきた。よく見てみると、それは何かの羽根だった。白地に茶色のグラデーションで、黒の模様がちょいちょい入っている。
「何これ」
「俺の羽根?」
なぜ疑問形。当然俺も聞き返す。
「羽根?」
鷲尾はグリフォンだと言っていたが、翼なんて見えない。しかも、この羽根をどうしろというんだ。そう聞く前に、鷲尾から説明してくれた。
どうやらグリフォンの羽根とは、この世界の魔法アイテム的なものらしい。それを聞いて、俺はもうこの世界はRPGと思うことにした。その機能はと言うと、何処にいても鷲尾の元に辿り着けるものらしい。俺がここに戻ってこれるように、ということだそうだ。しかし同時に、絶対に落としてはいけないものでもある。
「『戻ってこれるように』は助かるけど、まず公爵夫人の家は何処なんだ?」
「あ、そっか」さっきからこれが多い。こいつ、大丈夫なのか?
鷲尾は斜め上を指差した。指を追うと、燦々と輝く、地球と同じ白っぽい色の太陽が見える。眩しいけど、少し安心した。鷲尾が指したのはその太陽ではなく、その下にある赤い屋根だった。雑草の色が真っ赤だから、あの屋根は深紅っていうんだろうか?色の概念に疎いから、そんな大雑把な表現しかできない。少なくとも、屋根ってことは建物だ。住居が一般的ではない中に見つかった建物ならば、きっとそこが公爵夫人の家なんだろう。
「あそこが公爵夫人の家だ。赤に仕えているから、屋根の色を最近赤色にしたんだと」
後半の知識はどうでもいいが、ともかく予想は当たっていたようだ。
ポケットに羽根を突っ込むと、懐中時計が手に触れた。そうだ、この懐中時計も返さないと。そのためにここに来たんだから。でもこれは最低知識じゃないし、何らかの対価が必要かもしれない。そう思うと今の俺に差し出せるものは少なくて、鷲尾に尋ねるのをあきらめた。
「んじゃ、盗ってきてやる」と意気込むと、
「帰るために、な」と笑いながら鷲尾が俺の頭をぐりぐりと撫で回した。こいつ、絶対弟か妹がいるな。
俺は赤色の屋根を目指しながら走り出した。
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