その穴の奥、鏡の向こうに

神田 諷

第1話 有須、ワンダーランドへ(1)

 どうしていつもこうなんだろう。

 どうしていつもこうなるんだろう。


 きっと多くの学生が、今の俺、有須ありす啓介けいすけの心境に同情してくれると思う。

 今日の授業で、とうとう中間テストの最後の教科の結果が届いてしまったのだ。揃って芳しくない成績が、頭の中をぐるぐると旋回する。ミキサーのように数字が混ぜられて、一つの文字になって頭に残った。

「留年」

 はぁ~っというため息が知らずに漏れた。中間テストの成績と期末テストの成績を足した総合点が、80点を超えていないといけない留年になるうちのシステム。クラスメートの何人かは、期末テストでの挽回を試みる者が多いが、俺には無理だ。言い訳がましいが、うちの教師陣の傾向として、範囲がどんどん広がるようなテストが好まれる。

 つまり、中間テストより期末テストの方が範囲も広いし、格段に難しいということ。

 大体ここの先生たちは生徒の実力を過信しすぎている。どんどん範囲を広げて行っても必死に何とかできるのは、一部の頭のいい生徒だけ。というかそれ以前に、うちのシステムから考えると、期末テストは一種の救済処置であるべきだろう。それを何だと思っているんだ。まるで多くの生徒を落としたいかのように、バンバン難しい問題を出して、苦しむ生徒を見て嘲笑う。

 と、いろいろ責任転嫁をしてきたのだが、実際のところは違うと俺自身がわかっている。

 また、いつもの癖が出たんだ。前回のテストの反省を生かし、真面目にノートを取ってきて、テスト対策のまとめノートまで着実に作ってきた。教師がテストをほのめかし始めたときに、勉強を始めようと一大決心もした。

 でも結局決心は二時間で切れ、ずるずると勉強しない日々が続き、いつの間にか試験期間になっている。で、慌てて一夜漬けでまとめノートを見直すも、前半部分くらいしかまとめられていなくて、後半の授業に関しては丸抜け。そんな状態でテストができるわけがなかった。


「アリス、どうだった?中間」

 話しかけてきたのは、クラスでも中くらいのレベルを保っている浜谷はまやだ。下の中という低空飛行を保っている俺にとっては、十分頭がいいと言える頭脳の持ち主とも言える。席が隣だというだけでいろいろ話しかけられるのだが、テストの後は特に恒例になっていた。テストってのは、中間期末の大きなテスト以外に、小テストも含んでいる。

 当然俺の酷い成績を教えたこともなく、俺が一方的に浜谷の成績自慢を聞いているだけだ。いや、浜谷はただ報告しているだけで、さしていい成績でもなく、彼自身も自慢しているつもりなど露ほどもないのだろうが。

 今回もまた「俺50点台で期末冷や冷やもんよ~」と嘆く浜谷に、俺は相槌だけ打って成績なんて教えやしない。すると浜谷は恨めしそうに俺を見つめる。

「いいなぁ・・・、どうせお前成績いいんだろ?」

 チタンフレームの黒ぶちメガネに、大していじっていない落ち着いた髪形。制服を着崩すこともなく、授業もノートだけは真面目にとっている。基本的には面倒くさかっただけだったり、ノートも落書きが多かったりするのだが、見た目だけは俺は真面目で優秀そうな生徒だ。だから浜谷は俺の事を外見から秀才と認識し、成績がいいのだと思い込んでいる。ま、俺が言ったわけじゃないし、気分もいいから訂正はしていないのだけど。

 今回は放課後という時間帯が、俺に逃げ道を与えた。苦笑いをしたまま、浜谷に別れを告げて教室を出る。いつも一緒に帰っている仲間もいるのだが、こういう時は大体中間の話になるので、メールで連絡だけ入れて、一人で帰ることにした。


 普段目も向けない茜色の空が妙にまぶしくて、ずっと下を向いて歩いていく。近隣の私立の学校と下校時間が重なって、見るからにエリートな制服姿の同学年の楽しそうな話し声が、嫌でも俺の耳に入ってきた。いつもは無視できるのに、進学の話や勉強の話をする彼らの会話から、気をそらすこともできない。

 留年という言葉は、ここまで人の心をうっ屈させることができるのかと、その破壊力を思い知った。


 どんっ


「あ、すみません・・・」

 下を向いていたら、向こうから走ってきた女子高生にぶつかってしまう。謝りながら相手を見ると、それは大層な美少女だった。着ている制服は赤色のブレザーにタータンチェックのプリーツスカート。ブレザーの胸ポケットに入っている金色の鎖から放たれる光が、まるで彼女から放たれているような錯覚を覚えた。大きなリボンを胸元につけた彼女は、俺の方を見ずに走っていく。


 ・・・ん?


 なんだかもやっとしたものが胸に残る。それからハッとして周りを見た。やっぱりそうだ。

 この辺の制服に、あんなデザインのものはない。

 あれだけの美少女なのだから、もしかしたら映画の撮影か何かかと思ったが、カメラや音声マイクも見えない。俺は彼女の走り去った方を見て、思わずつぶやいた。

「コ・・・コスプレイヤーって初めて見た・・・」

 唖然とする俺に目に、何やら金色に光るものが入った。それほど遠くないところに落ちているそれを見に行くと、それは金色の懐中時計だった。本体と同じ色の鎖を見て、俺は気付いてしまう。

 これは彼女の物で、俺とぶつかったことが原因で落としたのだと。いや、俺が直接原因だとは言わない。それは今落ちている懐中時計の位置と、そこまで俺が五歩以上は移動したという事実が裏付けてくれる確たる証拠だ。しかし、だからといって無関係というのも難しい。ぶつかったというのも事実だし、ぶつかったのが時計を付けていた左側であったというのもある。というか、基本的にこれを無視するわけにはいかないし、何よりも俺の良心が疼いた。

 懐中時計を拾った俺は、慌てて彼女の走り去った方を追った。幸い俺は足だけは速い。いや、陸上部とかの世界に入れば、たぶん「やっとこさ平均値」ってレベルなんだろうけど。

 駅に向かう学生の波をかき分けて逆走する。見えるのは紺色やグレーのブレザーだけ。もういい加減無理かと思った時、波からふっと一人の少女が外れた。臙脂色みたいな学生服らしい色じゃない、鮮やかな赤色のブレザー。


――見つけた!


 寮に住んでいる友達に連れ回されている俺は、この辺の地理が結構得意だ。彼女が右に曲がっていったので、俺は一本手前の道で右に曲がる。二本の道の間には入口こそ小さなアパートが建っているものの、何メートルもいかないうちにすぐ開けた公園がある。一本手前で曲がっても、彼女を見失う心配はない。また、コスプレするような人を見たことがないので、この辺の住人だと言う線も極端に少なかった。週六日間毎日学校に通う学生なめんなよ!

 案の定、彼女が公園の向こう側を走っている姿をすぐ捉える事ができた。じっくりと見てみれば、彼女はまるで異世界の人のようだった。きっとマンガやアニメのキャラクターだから、カツラか何かをかぶっているのだろう。真っ白で長い髪の毛が走るたびにうねっていた。俺は金色の懐中時計をぎゅっと握りしめる。古風に見えるが、新品かと思うくらいきれいに手入れされている。きっと、大切なモノなんだ。


 公園を挟んだ状態で、俺が彼女を数メートル追い越して、そこで左に曲がって公園に入った。このまま公園を横切れば、彼女とはち合わせることができるはずだ。

 しかし。

「ちょ・・・ッ!嘘だろ!」

 予定していたところより先に左に曲がった彼女は、藪の中に申し訳なさそうに存在する階段の方へと消えて行ってしまったのだ。


 彼女が入っていったのは、コスプレうんぬん以前に女子高生が入りそうにない場所、道祖神を祭っている簡素な神社だった。どのくらい簡素かと言うと、近所の一般的な大きさの神社の神主が、週一程度で遠征して掃除に来てくれている状態なほど放置されている神社だ。雑草もぼうぼうに生えていて、春でも花なんて咲いているところを見たことがない。鳥居もなく、社も埋もれていて見えない。ただ道祖神の石像と、その真後ろに大きな神木だけが目立っていた記憶がある。

 何の抵抗もなく、もう少し段数を増やすべきじゃないかと思うほど段差のある階段を彼女は上っていく。追いかけなければと思いながらも、男の俺でもそこに入るのを躊躇ってしまった。そして入りたくない一心で階段下から呼びかける。

「そこのあんた!ちょっと待て」

 結構な大声だったのに、彼女は平然と無視をする。いらっとしながら俺は彼女に怒鳴った。

「おい!落し物したろ、時計!」

 近くで丸まっていた猫が、飛び起きてこっちを見た。そのままピャッと走り去る。もう青色はほとんど残っていない空に溶け込むように、彼女は階段を上がっていく。

 俺は彼女の失礼さに憤慨しながら、彼女を追いかける。

 というか、なんで俺はここまでしなきゃいけないんだ。彼女が時計を落としたのは、俺が間接的にかかわっていると言っても自己責任の範囲内だし、俺のせいだとしても俺が追いかけ続けなければならない理由はない。もうここで彼女を追うのをやめてもいいのだが。


――もしかしたら、彼女は耳が聞こえないのかもしれない。


 そう思うとまた投げ出せなくなって、俺は悔しさで手を握りしめる。こういうときに投げ出せないくそ真面目さは自分でも嫌いだ。テストの時はいくらでも投げ出せるのに、こういう本当にどうでもいいことに限って投げ出せない。

 だって、こんなに大切に使われているんだ。彼女にとっては大切なものかもしれないじゃないか。俺にはただの古風な懐中時計だとしても、彼女にとっては親の形見かもしれない。俺の両親は今でも二人で旅行に行くぐらい、むかつくほど健康的だからその心情は測れない。

「俺って、なんでこうなんだろう・・・」

 思わずそうつぶやくと、無意識にため息がこぼれた。俺はあふれ出る不安を振り払うように首を振ると、神社の階段を上り始めた。


 神社の階段と言うと、こう、何十段もあるイメージが俺にはある。しかし、ここの階段はたったの十段だった。その代わり繰り返しにはなるが、駆け上ることはおろか、普通に上ることすら足元に不安を覚えるほどの段差だ。何度も重心が後ろにずれかけて、転びそうになった。こんなところ、冗談でも階段落ちなんてしたくない。

 階段をすべて登り終えた俺は、体力の限界を迎えていた。走っていた、というのもあるのだが、それ以上に階段がハードだった。段差を減らして段数を二倍にした方が、絶対に参拝客も来るだろうに。しばしば掃除をしている姿を見ていた神主に尊敬と呆れを抱いた。

 息を整えてから、顔を上げる。すると目の前に巨大な神木がそびえたっていた。神社とかの常識に疎い俺には、神木が何の木なのかすら分からない。それでもその太さ、逞しさには一種の感動を覚えた。これが何年間もここで生きているのかと思えば、当然の反応だろうけど。

 彼女を探して神木の周りを一周する。あとから神木の後ろを抜けて行ってしまったかもしれないと思って慌てたけれど、神木の奥にはやっぱり雑木林があるだけで、人が通れそうな道なんてなかった。彼女に追いつくこともないまま、道祖神の前に戻ってきてしまった。

「やべ、もしかして入れ違った?」

 階段を上っている時にすれ違わなかったため、ここにいると踏んでいた。が、考えてみれば、この神木の周りを回っている間に、彼女が階段を下りてしまっていても可笑しくなかった。俺は自分の不注意さと馬鹿さを思い知る。ちらりとみた道祖神が、にやりと俺を嗤っているように見えた。むっとなって、罰当たりなことに、その道祖神の頭に触れた時、俺はあるものに気づいた。


 道祖神の後ろ、木の根もとに大きな穴があった。深さは底に生えている雑草が見えるほど浅く、どうやら木の下に道が続いているらしい。俺はふとマンガに出てくるような光景が出てきた。こういうほど道を行くと、奥に開けた秘密基地があり、そこで何らかの密会が開かれている、みたいな。

「え?コスプレ集会?」

 そんな馬鹿な、と自分で思う。でも気になって、俺は空を見た。空にはまだかろうじて青色が残っている夕焼けで、まだ夜の色は見えていない。どうせ兄弟はいないし、今両親は二人で旅行に行っている。帰りが多少遅くなっても心配されることはないだろう。ま、男子高校生の帰りが遅いなんて、ある意味健康か?俺の中でも健康な男子像が、都合のいいように改変されている自信はある。けど、迷いがないのは事実だ。

 俺は足元に気を付けながら、穴の中に下りた。雑草はかなり背が高かったようで、ずぼっとはまった感覚を味わう。木の下に続く道は俺の身長よりも低くて、草に埋もれるようにして進んでいく。もう掻き分ける、というレベルだ。木の下でも雑草の生命力は衰えない。日の光を求めて出口側に傾いているそれらに、逆らうようにして進んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る